この週末も、
いろんな方とセッションでお会いしつつ、
「TOSCA」を劇場で観てきました。
オーケストラとオペラ、
バレエを目の前で観れたのは感動でした。

美しい踊りの中に物語の表現があり、
その動きだけで一気に引き込まれていき、
無音の時間さえ世界観に没入して目が離せない時間でした。

 

昨日は「TOSCA」の初日でした(^o^)/

結論から言いますね!!!

素晴らしかったですラブ恋の矢

幸江さんのトスカが、本当にドラマティックでした気づき

幸江さんの一挙手一投足、つま先から表情の一つ一つが繊細で情感たっぷりで、感動しました赤薔薇
 

「踊っている」でもなく、「演じている」でもなく、TOSCAが生きている世界がそこにありました!!!


そして、

Online Labでは、
仲間内だけで共有するための、
とある便利サイトを作成して共有しました。
(かなり喜びの声が届いて嬉しいです。コンシェルジュではありません)


 
こうした一般には公開していない案内や、
特別な企画は、
Khronos/The salone online lab の中で
不定期にお届けしています。



Khronos/The salone online lab では、
一般公開していない講座の募集をしたり、
特別な不定期プレゼント企画をやったり、
定期的な遠隔ヒーリングを開催しています。

セッションでも少しお伝えしたことですが、

本当に重要な変化のきっかけとなるものは、
関係の中で生まれ、移動した先で繋がりが観えてくるものであったりします。

たとえば、
身体であれば、
力を抜けば動けるはずなのに、
安心するために固めてしまう苦しい状態から解放される。

言葉であれば、
本当はもっと自然に出てくるはずなのに、
正しく見せようとして繕おうとしてしまう状態から制限を取り外せる。

人間関係であれば、
本当はもう違和感があるのに、
これまでの自分を保つために、
同じ距離感を続けてしまうことから抜け出すことができる。

仕事であれば、 
本当はもっと別の可能性があるのに、 
これまで評価されてきた自分を失うことが怖くて、同じ場所に留まってしまう。 

あるいは、 
ここではない場所でも評価されるのか。 

自分は別の場所でも価値を生み出せるのか。 



そうした不安によって、 
動けなくなっていた状態から、 
軽やかに動き出せるようになる。

どれも違う話のようで、
移動した先の世界では整合的なことが観えていない「だけ」で、今の自分を守るために頑張っているのかもしれません。

だから、苦しいのかも。

なぜそこで怖がってしまうのか。
なぜそこで考えることをやめてしまうのか。

なぜそこで、
これまでの自分にとって都合のいい結論を採用してしまうのか。

観たいのは、
その奥にある構造です。

その構造は、
あるときには一つのカタチとして、
繋がりを持ったものとして観えてくるかもしれません。


 
シンプルにクリプキの言っていることをしっかり認識すれば、それほどトリッキーに考えなくても、一気に論理学から統計、そこから物理学というかシュレディンガーの猫から二重スリット実験、そしてエヴェレットの多世界解釈からの量子コンピューターまで一挙に理解できるということです。
 
セカイのカタチ→クリプキの可能世界→クリプキの可能世界意味論(▢p,◇p)
(そもそも)パスカルの数学の確率(というかパスカルが発見したのは期待値から)
(そしてサイコロを振っている時点で)物理(神も人もサイコロを振る優しいセカイ)→エヴェレットの多世界解釈→シュレディンガーの猫→二重スリット実験→(EPRパラドックスを経て)→量子テレポーテーション→量子コンピューター
↓
(もう一つの物理学として)ボルツマンのエントロピー(可能世界の数としてのエントロピー)



これに絡めて、

Mentoring Program 2ndの
募集記事で書いていた、
「成功に向かう確率を上げる土台をデザインする手助けをする」
という言葉も、ここで改めて置いておきます。
(MPメンバーの方々の中には、ここが繋がる方がいらっしゃると思います)


 
扇の大量の可能世界はどういう風に積み上がるかと言えば、ベルカーブ(ガウス分布、正規分布)に積み上がります。



だからこそ、例のwに関する順序集合作成機械(函数)を用いて、土台を変えてしまえばよいのです。



Intention(Intentionality)は重要なテーマです。
E=M=I
という
(エネルギー)=(質量)=(情報)
のIはInfomationではなく、Intentionじゃないかと思うくらいです(いや、そもそもこの式自体は「まといのば」が勝手に書いていること)。

このような図の構造が観え始めると、

今まで別々の問題だと思っていたものが、
急に一つの線でつながることがあります。

それは──

「図のカタチ(扇や台形など)」として観ること。
「形式化(Sgen=Sphys+ΣwαHα, dSgen/dt=Π≥0)」として観ること。
「言語抽象度での定義(定理15とは──)」として観ること。

という三つのカタチを行き来する移動力であったりもします。
(この関係を行き来できる移動の軽やかさがIQが高いといってもいいかもしれません。関係性をデザインする力にも繋がることですね。)
そのような繋がりが起きる時、
問題を一つずつ解決していくのとは、
まったく違う変化が起こり始めます。

なぜなら、
一つひとつの現象を直しているのではなく、
それらを生み出していた構造そのものが、
変わり始めるからです。

これまで一緒に観てきたことを、
別々のノウハウとして扱うのではなく、
同じ構造の異なる現れとしても観ていく。

そうすると、
自分の中だけで起きていると思っていた変化も、
他者との関係性の中で起きている変化も、
そもそも別々のものではなかったのだと、
観えてくることがあります。

自分という固定的なものが先にあって、
その内側だけが変わっているのではなく、
関係性の中で立ち上がっていたものが、
関係性ごと組み替わっていく。

これまでなら、
偶然だと思っていたこと。

たまたま上手くいったと思っていたこと。
なんとなく気分が変わっただけだと思っていたこと。

そういう小さないろんな変化の出来事が、
一つの物語として繋がっていたことに気づいていきます。

そのとき──
世界の観え方が変わったことの、
喜びが溢れてくるのだと思います。

そんなことを、
仲間からいただくメッセージを拝見して感じています。



今回の記事も、
お付き合いありがとうございました。

また次回の記事でお会いしましょう!

Khronos / The salone|Hiro

追伸:
感想・ご質問、大歓迎です! 
たった一言でも構いません。もし何か感じたことがあれば、ぜひシェアしてください。言葉にすることで、観えなかったものが形になり、次の扉が開いていくのです。
あなたの一言が、次の扉を開く鍵になり、
どんな小さな気づきでも、それが新しい変容の始まりになります。そして、“場”をさらに深める力となります。