Man is what he reads. -7ページ目

経営知能

経営知能―リーダーは育てるより、探し出せ!/ジャスティン メンクス
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近年取り上げられた企業における「リーダーの必要条件」にはどのようなものがあっただろう。

随分と沢山あったと思うが、よく耳にするのは、

「構想力」、「指導力」、そして「人のやる気を喚起する力」であろうか。

確かにどれも大事で、かつどれが欠けても「リーダー」は成り立たないと思う。

一番始めにくるのは構想力だろう。辞書によると構想力とは、“物事を体系的に考え、まとめあげる能力”とある。なるほど、構想力なくしては企業の目的を達成する為の組織や業務を考案することはできなさそうだ。

指導力なくしては、どんなに優れた戦略もひとり相撲に終わるだろう。ビジネスは個人スポーツでは無い。指導なくしては実現できないことが山ほどある。

そして、人のやる気を喚起する力なくしては組織を継続することはできない。やらされ仕事は長続きしない。先の二つ、優れた構想力によって練られた戦略とそれに基づいた組織と指導力、これらが揃えば当面の運営に支障はないだろうが、仲間にとっては「与えられた仕事」以上になることはない。やる気を喚起する力なくして主体性は生まれないだろう。そして主体性の無い人間が成長することはない。かくしてその集合体としての企業は、いずれ存続の危機に陥る。顧客は進化するからだ。

そうなのだ。

これらは、企業がビジネスを勝ち抜く上で極めて重要な要素なのである。



だが、違和感がある。

これらの前に、具体的には、構想力の前に来るものがあるのではないだろうか。



おそらくそれは、本書で紹介されている「認知スキル」だ。

私は、“経営知能 = 認知スキル” だと読みとった。

「場の空気を読む力」と言ってもよいだろう。言うまで無くこの「場」は長い時間軸を持つ。



センサーメーカーのキーエンスは、ビジネス書でよく高収益企業の事例として取り上げられる。開発と直販営業に専念したビジネスモデルがその収益を実現している、というのが多くの見解で、よくシステマチックかつ勤勉、そしてユーザーのニーズをヒアリングするのに長けた営業にスポットが当たることが多い。構想力の意味を、先の辞書通りに捉えるならば、おそらくこのモデルを構築する際に、構想力が大いに貢献したのは間違いない。

「センサーで儲ける」という目標を実現する為の競争力の要素とは何か、その要素を実現する為の業務とは何か、その業務は一人でできるか、できないならば、多数にその業務を徹底させるには何が必要か、というような具合にである。

だが、最初にあったのは、「センサーで」という認知なのだ。「センサーは、これからの社会でもっと必要とされる。高度なセンサーがたくさん必要になる」、この認知が正しかったからこそ、キーエンスの高収益ビジネスモデルが生まれたのだ。


荒廃した土地にも植物は生まれる。それは進化だ。そこに生まれることができたこと、そして生存できていること。まさしく進化である。しかし、大きく枝を広げる木が生育できる土地は限られている。ましてや荘厳かつ深遠な森を求めるとなればなおさらである。


宮崎駿の苦悩とショーペンハウエル

孤独と人生/ショーペンハウアー
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9世紀の哲学者、アルツール・ショーペンハウエルの著書である。

本書におけるショーペンハウエルの基本的教示は、「人生を苦悩と空しさに満ちたものと捉え、その中でいかにして安らぎを得るか」というものである。 原題は直訳すると「生活の知恵のためのアフォリズム」である。Amazon.co.jp 本書紹介文、本書訳者後書き参照 


ショーペンハウエルと言えば、悲観主義的な概念を持つ哲学者として知られている。

悲観主義の意味を、Wikipediaから引用する。

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悲観主義(ひかんしゅぎ)とは、ペシミズムpessimism)の訳語の一つ。厭世観(えんせいかん)とも。語源はラテン語 で最悪のものを意味する pessimum に由来する。

元来は哲学 の分野で用いられる語で、この世界は悪と悲惨に満ちたものだという人生観をさす。反対語は楽天主義 (オプティミズム)である。世界は盲目的な意志によって動かされているとするショーペンハウアー の思想が悲観主義の代表である。

悲観主義はしばしばうつ 状態に伴って現れ、自分自身・世界・将来についての悲観的考えが支配的となる。認知療法 では、患者の悲観的考えを同定しその妥当性を再検討することを治療技法として行う。また、アドレリアン は子供の発達において励ましが不可欠であることを説き、不用意な批判がペシミズムを招き、発達を阻害することの危険性を説いている。

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発達心理学上は色々と悪い面もあるようだが、わたしは悲観主義的な人生観を尊敬する。

なぜなら、「世界は悪と悲惨に満ちたものだ」という前提を認めた上で、それでもなお自律的に生きることは容易に揺さぶられることのない強靭な自己、つまり世間一般が求めるような評判とは距離を保った自己を持った人間でなければできないと思うからだ。 
そういった強い自己をもった人間の例を、本書冒頭「基礎となる前書き」から引用する。


“善良で節度があり、しかも柔和な性格の持ち主は、貧しい環境にあっても満足していられるけれども、貪欲で嫉妬深く悪意のある人は、いくら富があっても満足できない。”


本例の両者の立場に立った自分を考えている。

貧しい者の場合、おそらくその貧しさを許容できないだろうし、富める者を妬み、そういった格差を生んだ社会を恨むに違いない。また、富める者になった場合、富の量を相対化することでのみしか自己評価できなくなるように思う。つまり貧しい者たちに優越を持ち、自分より富める者に嫉妬を抱くことになるだろう。


このように、世の中を「悪と悲惨、苦悩と虚しさに満ちたもの」と捉えた上で、それでも他者との比較に依らない自己を保っていられるというのは非常に難しいことである。


ショーペンハウエル以後、こういった世界を苦悩に満ちたものと捉え、それでも前向きに生きてゆくための思想としてニヒリズムが生まれた。

ニーチェはそのような生き方を説く意味で「無意味な人生の中で自らの確立された意志でもって行動する“超人”であるべき」だと言った。

ショーペンハウエルもニーチェも土台となる世界観は同じだが、彼らの思想の軸足はあくまで個人にある。先に紹介した「善良で節度があり、柔和な性格を持つ人」の在り方も、「超人」としての在り方も、これは個人として苦悩に満ちた世界で生きぬく為の処方箋である。


他方、こういった現実を厳しく見つめ、それでも自律的に生きる様をアニメ映画監督宮崎駿氏は、「澄んだニヒリズム」と表現した。


出発点―1979~1996/宮崎 駿
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時代の風音 (朝日文芸文庫)/堀田 善衛
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「澄んだ」とは「遠くをみつめること」だと氏は語っている。この言葉には、氏が尊敬する作家堀田善衛氏と司馬遼太郎氏が影響を与えている。宮崎氏は、両作家が「人間は度し難い」と語るのを聞いて非常に安心したと心情を吐露している。

作品を著する中で、鋭敏な想像力を持って歴史と人と向き合い、深遠な洞察力、つまりはるかに遠くを見通しているはずの先輩二人が語った「度し難い」という言葉。その上で礼を尽くして生きようとするその様。それらが宮崎駿を励まし、崩壊したタタラ場とシシ神の森。癒えぬ怒りと悲しみを胸に、決して交わることのできないもののけ姫サンと山犬たちを前に、「共に生きよう」とアシタカが語りかける映画「もののけ姫」のラストシーンへとつながってゆく。



翻って、私自身はどうなのだろうか。今は半人前もいいところで、吹けば飛ぶ木の葉である。

常に現実を厳しく捉え、しかし「困ったもんだ」と不敵に笑いながらその現実と向き合う強さを身につけたいと切に思う。そしてできたら、その強さをもった上で、山奥で一人きり思索にふけるのではなく、崩壊したタタラ場でたくさんの仲間と苦楽を共にしたいと思うのだ。


10億+10億=?

http://news.indochannel.jp/news/nws0002621.html

10億人のマーケット+10億人のマーケット=20億人のマーケット。

人口はマーケットの魅力を語る上で重要な要素だが、事はそう単純にいかない。


マーケット、というのは容易に繋がるものではない。

故に企業は各国どころか、一国の中においてもブランチを置く。

個別の対応をすることによって、当該地域で早く、多くの利益を生む為だ。


ところで、マーケットが個別に留まる理由は文化の違いである。

文化の違いとは、生活習慣の違いと言い換えてもよいだろう。

生活習慣を変えるのは容易ではない。

ましてや変えさせるなど不可能である。


しかし、生活習慣を変えることは困難でも適応することはできる。

適応するには生活習慣の理解と実践が必要で、その理解に言語が大きく貢献することは言うまでもない。


挨拶は大切な生活習慣だが、

「Hello」

をもって励行する人より、「オハヨウゴザイマス」と実行する人の方が地域に馴染むのは早い。

単に話が通じるからというのではない。

その人に愛着が湧く。

馴染むと様々な情報が入ってくるようになるし、発信もしやすくなる。


コミュニケーションの質が変わるのである。

こういった質の高いコミュニケーションが商売をし易くすることは間違いない。


中国は製造に強みを持ち、インドはIT関連サービスに強みを持つ。

こういった質の高いコミュニケーションがそれぞれに異なる強みを持つ10億人のマーケット間で行われたら、おそろしく競争力の高い20億人のマーケットが誕生するかもしれない。