To Save Japanese Boxing World
Yoshihiro Kamegai, a professional boxer, is the most likely candidate to next Japanese world champion in professional boxing world that rang a gong with 10 counts on former WBA right-weight champion Jose Alfaro 6 days ago.
He named himself “MAESTRITO” as the nickname. MAESTRITO is Spanish word means “Small professor” that meaning show his principle which “a defense is first rather than offense”. He is not white feather, but stresses “perfect defense makes perfect offense”. He has shown his principal in his professional career so far. He fended Alfaro’s swings by a hair and immediately punched the Nicaraguan through inside and outside. That quicker transition made the spectators excited and the spectators would follow him until he will be a world champion.
His skillful tips had basically developed his amateur career that brought a triple crown in Japanese amateur boxing competition. Looking over other sport categories, broad amateur population and competitive unprofessional competition are a fundamental background of producing professional players who flourish globally.
However, Japan’s that structure of Boxing is hopelessly poor. Japanese amateur boxers have ranked lower position in several Asian amateur boxing competitions, of course no one won a medal in Olympics two to three decades. Kamegai’s attraction and prospective make an appeal that the Japanese Amateur Boxing Association have to rebuild, more properly word, build a reinforcement strategy for saving Japanese boxing.
裁くということ
「殺せ!裁判なんかいらん!」
そう言えたらどんなに楽だろう。
いわゆる“耳かき店員殺人事件”の公判内容を以下のサイトで見た。
http://sankei.jp.msn.com/etc/101020/etc1010201210000-n1.htm
恥ずかしながら世を騒がす事件の公判内容をじっくりと読んだのは初めてなのだが、詳細に綴られており想像以上に臨場感がある。
裁判員裁判制度が開始されてから検察、弁護側双方とも様々な見せ方の工夫をしており、本公判でも随所にそれが見られる。元は素人である裁判員に分かりやすく説明する為である。具体的には、“法廷内のディスプレイに事件現場の様子を示して視覚的に説明したり”、“プレゼンテーションソフトを用いて要点を分かりやすくしたり”というようなことである。
http://www.courts.go.jp/nagoya-h/about/koho/pdf/backnumber_9/9_2.pdf
確かに同公判の内容を読んでいても「広告会社同士のコンペのようだな」と感じる部分があった。また本件はそういった工夫に被害者参加制度の影響が加わる。2008年12月に始まった同制度は被害者自身やその遺族が刑事裁判に参加し陳述することが可能になった制度である。本件では複数の遺族が極刑を訴えている。
何が言いたいかと言うと、こういった視覚化と心情的な訴えが裁判員の量刑判断に影響を及ぼさないかということである。以下の引用記事によると“被害者参加+裁判員裁判の公判”において特に量刑の増加は見られないそうだが、
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100105-OYT1T00008.htm
一方でそれとは逆の見解を示している調査もある。
http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_soc_trialstaff20100520j-04-w400
二つの制度はともに始まったばかりであり今はまだ是非を問う段階ではないが、裁判は私的闘争の場ではないことは念頭に置いておかねばならない。また刑罰は国家が犯罪者に与えるものであり、犯罪の予防、再発の抑止効果を考慮して決定されるべきものである。
では被害者とその遺族への配慮はどうするのか。これについて別建てで経済的な補償制度を設けるべきである。誰しもが犯罪被害者になる可能性があり、雇用保険と同じ考え方である。これには既に犯罪被害者給付金がある。無論お金だけの問題ではない。心のケアの問題であって、遺族の傷が癒えることは無いと思うが現状の制度で不足があるならばそれを増やす方向で考えてゆくべきであろう。
と、ここまで書いてつらくなった。冒頭の言葉、それが私の一個人としての本音である。しかし裁判とは公的なものであり、私的に物を言うことは許されない。検察は既に死刑を求刑した。今回選出された裁判員の方々の審議は続いている。今この瞬間も心が休まることはないだろう。つとめて公の立場から意見を述べること、それが彼らに対する礼儀だと思う。
最後に一個人として亡くなったお二人のご冥福を改めてお祈りするとともに、ご遺族のみなさんの心にいつの日か安らぎが訪れることを願いたい。
ライフコースマーケティング
- ライフコース・マーケティング―結婚、出産、仕事の選択をたどって女性消費の深層を読み解く/著者不明
- ¥2,520
- Amazon.co.jp
”顧客の長期的な変化に関心を持ち、それに沿って自社も変わってゆくこと”
これが本書に込められたエッセンスであると思う。
本書は現代女性を題材にそれを提示している。
前書きにこうある。
“現代女性のライフコース変化に焦点を当て、それに起因する市場構造の変化や新たな消費動向、そして必要とされるマーケティング対応上の方向性について、3つのパートと7つの章という構成で論じてゆく”
(ライフコースとは、「個人が一生の間に辿る人生の道筋」を指す。同前書きより)
著者が指摘しているとおり、顧客つまり個々人の生き方に長期的な変化をもたらすのは世の中の変化である。
個々人のライフスタイルは世の中に適応しようとする中で造られてゆく。
世の中が変われば、個人も変わらざるをえない。
この当たり前のことを学ぶのに現代女性ほど適した教師はいないだろう。
他の先進国からは「遅れている」と揶揄されているとはいえ、一昔前と比べれば社会で活躍する女性は多くなった。
それに伴い働き方はもちろん、結婚、出産、育児といった重要な人生の出来事の在り様も変化し、現代女性のライフコースは多様化した。
ところで多様化する、というのはニッチマーケットを狙うマーケッターにとっては好ましいことだろう。
色々な提案が可能になるからだ。
ライフスタイルに関する流行り言葉が生まれては消えてゆくのを見るにつけそう思う。
草食男子、ちょい悪オヤジ、腐女子、おひとりさま、などなど。
これらのスナップショットとも言うべき流行りを生むことはマーケッターの力量の証であり、その発想、物事の捉え方に感心させられることも多い。
しかし、著者はこうした流行りの追求一本槍になることに警鐘を鳴らしている。
“(マーケッターは)目の前で起こる様々な「変化」には敏感に飛びつくが、木をみて森を見ずで、その変化の底流にある構造変化には鈍感である”
確かに企業はそのステークホルダーの為に永続を目指すべきものであり、単なる一発屋に終わるわけにはいかない。
一つの製品やサービスとともに消えてゆく訳にはいかない。
そうならない為には、一枚のベストショットに浮かれることなく常に顧客の行く先を読み、先回りしてファインダーを切り続けねばならないのだ。
であるならば、私はこの「ライフコースマーケティング」という概念は経営戦略に親和性の高いものであると思う。
経営戦略を立案するのに、将来の事業環境変化の分析は不可欠であり、その変化とは顧客の変化に他ならない。
真田幸村はその武勇と忠節で人々に強烈な印象を残した。
しかし、家を守ることはできなかった。
著者が本書でマーケッターに問うていることは非常に重い。