宮崎駿の苦悩とショーペンハウエル | Man is what he reads.

宮崎駿の苦悩とショーペンハウエル

孤独と人生/ショーペンハウアー
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9世紀の哲学者、アルツール・ショーペンハウエルの著書である。

本書におけるショーペンハウエルの基本的教示は、「人生を苦悩と空しさに満ちたものと捉え、その中でいかにして安らぎを得るか」というものである。 原題は直訳すると「生活の知恵のためのアフォリズム」である。Amazon.co.jp 本書紹介文、本書訳者後書き参照 


ショーペンハウエルと言えば、悲観主義的な概念を持つ哲学者として知られている。

悲観主義の意味を、Wikipediaから引用する。

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悲観主義(ひかんしゅぎ)とは、ペシミズムpessimism)の訳語の一つ。厭世観(えんせいかん)とも。語源はラテン語 で最悪のものを意味する pessimum に由来する。

元来は哲学 の分野で用いられる語で、この世界は悪と悲惨に満ちたものだという人生観をさす。反対語は楽天主義 (オプティミズム)である。世界は盲目的な意志によって動かされているとするショーペンハウアー の思想が悲観主義の代表である。

悲観主義はしばしばうつ 状態に伴って現れ、自分自身・世界・将来についての悲観的考えが支配的となる。認知療法 では、患者の悲観的考えを同定しその妥当性を再検討することを治療技法として行う。また、アドレリアン は子供の発達において励ましが不可欠であることを説き、不用意な批判がペシミズムを招き、発達を阻害することの危険性を説いている。

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発達心理学上は色々と悪い面もあるようだが、わたしは悲観主義的な人生観を尊敬する。

なぜなら、「世界は悪と悲惨に満ちたものだ」という前提を認めた上で、それでもなお自律的に生きることは容易に揺さぶられることのない強靭な自己、つまり世間一般が求めるような評判とは距離を保った自己を持った人間でなければできないと思うからだ。 
そういった強い自己をもった人間の例を、本書冒頭「基礎となる前書き」から引用する。


“善良で節度があり、しかも柔和な性格の持ち主は、貧しい環境にあっても満足していられるけれども、貪欲で嫉妬深く悪意のある人は、いくら富があっても満足できない。”


本例の両者の立場に立った自分を考えている。

貧しい者の場合、おそらくその貧しさを許容できないだろうし、富める者を妬み、そういった格差を生んだ社会を恨むに違いない。また、富める者になった場合、富の量を相対化することでのみしか自己評価できなくなるように思う。つまり貧しい者たちに優越を持ち、自分より富める者に嫉妬を抱くことになるだろう。


このように、世の中を「悪と悲惨、苦悩と虚しさに満ちたもの」と捉えた上で、それでも他者との比較に依らない自己を保っていられるというのは非常に難しいことである。


ショーペンハウエル以後、こういった世界を苦悩に満ちたものと捉え、それでも前向きに生きてゆくための思想としてニヒリズムが生まれた。

ニーチェはそのような生き方を説く意味で「無意味な人生の中で自らの確立された意志でもって行動する“超人”であるべき」だと言った。

ショーペンハウエルもニーチェも土台となる世界観は同じだが、彼らの思想の軸足はあくまで個人にある。先に紹介した「善良で節度があり、柔和な性格を持つ人」の在り方も、「超人」としての在り方も、これは個人として苦悩に満ちた世界で生きぬく為の処方箋である。


他方、こういった現実を厳しく見つめ、それでも自律的に生きる様をアニメ映画監督宮崎駿氏は、「澄んだニヒリズム」と表現した。


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「澄んだ」とは「遠くをみつめること」だと氏は語っている。この言葉には、氏が尊敬する作家堀田善衛氏と司馬遼太郎氏が影響を与えている。宮崎氏は、両作家が「人間は度し難い」と語るのを聞いて非常に安心したと心情を吐露している。

作品を著する中で、鋭敏な想像力を持って歴史と人と向き合い、深遠な洞察力、つまりはるかに遠くを見通しているはずの先輩二人が語った「度し難い」という言葉。その上で礼を尽くして生きようとするその様。それらが宮崎駿を励まし、崩壊したタタラ場とシシ神の森。癒えぬ怒りと悲しみを胸に、決して交わることのできないもののけ姫サンと山犬たちを前に、「共に生きよう」とアシタカが語りかける映画「もののけ姫」のラストシーンへとつながってゆく。



翻って、私自身はどうなのだろうか。今は半人前もいいところで、吹けば飛ぶ木の葉である。

常に現実を厳しく捉え、しかし「困ったもんだ」と不敵に笑いながらその現実と向き合う強さを身につけたいと切に思う。そしてできたら、その強さをもった上で、山奥で一人きり思索にふけるのではなく、崩壊したタタラ場でたくさんの仲間と苦楽を共にしたいと思うのだ。