Man is what he reads. -8ページ目

インドのことはインド人に聞け

インドのことはインド人に聞け! (COURRiER BOOKS)/中島 岳志
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「食卓を埋め尽くすヘルシーな“加工食品ブーム”」

「都市の若者は“出会い系”で人生のパートナーを探す」

「大学や専門学校が乱立する崩壊寸前の“教育バブル”」


 


 上記はいずれもある国の雑誌もしくは新聞を飾った記事のタイトルである。

ある国とは、おそらく日本やアメリカといったいわゆる先進国のことだろう、一見そう思える。



 であるならば、ありがちな記事だ。

しかし、これらがインドについて描写した記事であると言ったら、多少の驚きを覚えるのではないだろうか。

だが、これらは間違いなく世界第二位の人口を有するも、一人あたりGDPは世界の140位に留まる“最貧国”の一つ、インドを紹介した記事たちなのである。


 

 4月に、プロテニスプレイヤーのサニア・ミルザさんがパキスタン人の男性との結婚を発表し、話題となった。彼女はそのユニフォームについても「露出が多い」などと非難を浴びていたそうだが、インドにおいては、それを上回る衝撃的なニュースだったようだ。

ミルザさんは、「結婚したい人がパキスタン人だった。それだけよ。」と言ったそうだが、爽快だ。



 彼女ほどのセレブでなくても、経済発展に乗り、豊かになった家庭では親子間のジェネレーションギャップが激しいらしい。

カーストや純潔などの価値観に縛られて自由な結婚ができなかった親世代とネットで相手を探す子供。ジェネレーションギャップは、もちろん日本においても見られることではあるが、1990年後半から始まった怒涛の経済発展を考慮すれば、おそらくインドにおけるギャップはより大きいものなのだろう。

いつの世、どこの国でも異なる価値観に刺激を受けた若い世代が「新人類」とみなされるのは同じようだが、あまりに差が激しいと人類を通り越して「宇宙人」に思えることもあるのかもしれない。


 

 一方、農村部に目を転じれば、都市と村落の間にも甚だしいギャップが存在する。

「4歳で結婚、5歳で未亡人・・・・幼児婚の犠牲者たち」

これは本書に納められた別の記事のタイトルである。

スマンという女の子の話だ。スマンは、農村の低位カーストの慣習により8歳の男の子と幼児期に結婚させられたが、病気の為にその夫を失った。そしてその慣習により今は「人と交わらずに生きよ」と理由もわからないまま宿命を背負わされているのである。

インドにはこのような「幼児寡婦」が数万人存在するそうだ。


 

 前書きにおいて、著者がその思いを綴っている。

“インドでは、我々日本人が抱え込むような苦悩を抱き、同様の社会問題に悩んでいる人がいる。そしてインドのメディアは、近年、このようなインド人のリアルな内面と向き合い、問題の核心に切り込もうとしている。私たちは、そろそろインドに対する特殊なまなざしから脱却し、同じ問題を共有するアジアの隣人としてインドを理解する必要がある。(中略)

“インドの新しいリアリティに関心を持って頂き、日本とインドの交流が盛んになることを期待している”



 インドの人々の間には、我々日本人が親近感を覚える苦悩が確かに存在する。しかし、我々には想像もできないような苦悩もやはり存在する。


 たくさんの方法でたくさんの情報を得たとしても、けして理解することはできないであろう。我々はインド人ではないからだ。大事なのは、「理解すること」ではなく、「理解しようとすること」ではないだろうか。







世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか

世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか/野口 悠紀雄
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世界経済の雲行きがすっかり怪しくなってしまった。ユーロに続き、アメリカが発表する経済指標も明るくない。ユーロにおいては、既に経済対策がとられており、アメリカも先日約30兆円の追加経済対策を発表したばかりだ。

一方新興国に目を転じると、中国をはじめ活況の報道がなされている。しかし各国の内需が伸びているとは言え、未だ先進国への輸出がその経済の中心を担っているという基本構造に変わりはない。よって中国や韓国は自国通貨を安い水準に留めるべく対策を講じている。中国を例に取れば、日本国債の買い越しにそれが表れている。膨大な安い労働力で稼いだドルで円を買う。円の価値は上がり、ドルと元の価値は下がる。内需主導経済に移行するまで輸出競争力を維持する為の国家戦略であろう。アメリカにも恩を売るつもりかもしれない。

新興国だけではない、今や世界中で自国通貨安を狙った対策が積極的に行われている。株安でゼロ金利、さらに借金まみれの国であるにも関わらず、その通貨が高騰している理由はこのあたりにあるのだろう。つまり日本は、需要の減った先進国市場においても、需要が増えている新興国市場においても輸出競争力を失っているのだ。そんな中でものづくり企業が収益をあげるには、生産の移転しかないだろう。もはや製造業を日本に留めるのは不可能だ。団塊世代の分以上の雇用が失われる可能性が高い。

 

ではどうすればよいのか。本書の第8章に一つの答えがある。既に多くの識者が述べていることであるが、著者も内需拡大が鍵であると主張している。具体的には、介護、都市基盤整備に財源を投入し、加えて新しい産業を興すべきだと提案されている。介護分野においては、具体的な提案が為されている。例えば介護職の賃金水準をさらに引き上げ、沢山の介護関連施設を造る。そうすれば、介護それ自体の雇用増加のみならず建設業の雇用も維持できる、というようなふうである。しかし、都市基盤整備と新しい産業については具体案が無い。おそらくこの二つはセットで考えるべきものであろう。「将来はこの産業で食っていくから、こういう都市機能が必要」というのでなければならない。

 

本来であれば、今は速やかに経済対策が採られていなければならない時だ。単なる一時的バラ撒きではなく、著者が提案しているような「次の成長」に繋がる分野への投資にしっかりと財源を注入すべき時である。呑気に与党内で内乱などしている場合ではない。内乱をするにしても、この点のみが争点として取り上げられ、徹底的に掘り下げられていいはずである。ところがマスコミを通じて流れてくるのは抽象的なスローガンとあげ足とりの切り抜きばかりである。

 

 「移ろいやすい世論」とは日本国民を風刺するものとしてよく用いられる表現だ。しかしながら具体案のないスローガンのみの政治ショーとそれをお笑い番組のように編集するマスコミ報道の中で一体どこに行けというのか。

世界が分かる宗教社会学入門

世界がわかる宗教社会学入門 (ちくま文庫)/橋爪 大三郎
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宗教、と聞くと“腫れ物に触る”という表現がすぐに頭に浮かぶ。とてもデリケートな話題だと認識しているのだ。接待時の話題としても宗教は、政治、野球と並んでタブーの一つである。




宗教に関心を持つきっかけというのは様々あると思うが、仏教、キリスト教以外の信者と思われる人と相対する場面はその一つではないだろうか。加えれば、仏教、キリスト教の敬虔な信者の人とつきあう場合もそうであろう。

意識するというのは、具体的にいうと「失礼があってはならない」と思うことである。

そう思うのは、宗旨を元にした社会規範が沢山存在することを知っているからだ。ある社会規範を破ったり、一方的に他所と比較して批判したりするのは教養の無い人間の所作であることをわたしたちはよく理解している。そして、世の中にはその規範を大切に守っている人々がいることも熟知している。よって、例えば“知らないと怖い○○教のルール”というような情報が最も実利的である。



 

 本書はそういった本ではない。書店では“宗教を知るならこの一冊”という帯とともに平積みされているが、そのような一夜漬け用の参考書ではない。書名通りの内容の本である。



 

 著者によると、宗教社会学とは社会学の一つであり、社会学とは、社会現象を科学的に解明する学問である。なぜ社会学が必要とされたかというと、社会現象とは大勢の人間の相互行為が複雑に絡み合って起こる現象であり、その複雑さを解明する為に補助線が必要になったからである。その補助線とは、社会構造である。社会構造にはさまざまある。法律、制度、役割、文化、組織、慣習などなど。宗教社会学は、こういった社会構造の一つで宗教に着目し、複雑な社会現象がなぜ起こったのか、これからどのような現象が起こるのかを模索する学問である。




本書の重心は、あくまで宗教社会学にあり、多宗教社会を生きる具体的ノウハウには無い。複雑な社会現象を経てできあがった様々の社会規範それ自体ではなく、それらの規範の元となる各宗教の宗旨、つまり各宗教の基本的考え方とその普及の中で社会全体がどのように変化したかというところに重心が置かれているのだ。例えばキリスト教の項は、ユダヤ教から別れ、使徒パウロの思想と普及活動、国家からの認定、ルターの宗教改革、カルヴァン思想とピューリタンの誕生、といった流れで説明がなされている。



 なので、個人的には歴史読み物のようで非常に楽しめた。おそらくこれを下地にいわゆる“ルール集”を読むと、それらのルールが決められた背景が想像できて面白そうだと思う。だが、どんなに興味が湧いてもそれ以上は深入りしない方がいいかなとも思う。知識を得るとウンチクを垂れたくなるし、他宗教の方との会話の際、不用意に話題にしてしまいそうだからだ。わたしのような素人はあまり知り過ぎない方がよい。


 やはり、宗教というのはデリケートな話題だ。