今さらながら、今年の冬クールアニメ『ゆるキャン△ SEASON2』(2021.1-3)について。
『ゆるキャン△ SEASON2』(C)あfろ・芳文社/野外活動委員会
2018年に放送された『第1期』、昨年に放送されたショートアニメ『へやキャン△』と、この3年間で着実に認知度と人気を上げてきた(おまけにここ最近のキャンプブームを牽引までもしている)本作において、いよいよ満を持して放送される『第2期』の期待度の高さはとんでもなかったと思うが、第1話のAパートでその上がり切ったハードルを軽々と飛び越えてきた衝撃たるや。
この第1話において、リンの初めてのキャンプというアニメオリジナルのエピソードをあえて繰り出してきた作り手の自信を見て、本作は(本作も)間違いないと開始数分で確信した。そして、その確信は最後まで揺らぐことなく堂々と完結していった。大変素晴らしかった。圧巻だった。
さて、本ブログでは第1期の放送後に「『ゆるキャン△』は富士山アニメ」だったとして、太宰治『富嶽百景』との比較なんかを行ったりもした。
だが、第2期は富士山アニメというよりもむしろ飯テロアニメだったと言える。その根拠として、以下に第1期と第2期で登場した食事描写を列挙した。
(普通に抜け洩れあると思うのでご指摘ください)
- 第1期
- 第2期
これらを見てもらえば明らかであるが、第2期で出てくる食事描写は第1期よりも増加している。回数も多い上に品数も多い。
第1期ではキャラクターたちの中心に常に富士山があったが、第2期では富士山以上に食事が中心にあった。まごうことなき「飯テロアニメ」としてあったわけである。
なぜ『ゆるキャン△』は飯テロをするのか。それは、食事描写は共同体の関係性の描写とイコールであるからだ。
例えば『ゆるキャン△』同様に気合いの入った食事描写を行うジブリの中から『天空の城ラピュタ』を例にとると、物語冒頭、シータはムスカとの食事を拒む。一方で、バズーが作った目玉焼きトーストを一緒に食べる。食事を共にする/しないがそのまま同盟/敵対の関係性になるところは、ジブリ作品の法則の1つと言ってもいい(※1)。
これとほぼ相似的な現象が『ゆるキャン△ SEASON2』でも起きている。つまり、誰かと関係性を取り結ぶということが、文字通り「同じ釜の飯を食う」描写を通じて行われていたのである。これは、なでしこの幼馴染の綾乃とリンが仲良くなる第3話の描写と、キャンプに来ていた姉弟となでしこがキャンプの料理を通じてコミュニケーションを行う第8話の描写を想起してもらえばいいのではないかと思う。共通の友人を介して新しい友達と仲良くなる。たまたま一緒にキャンプに来ていた見ず知らずの子どもたちと仲良くなる。どちらも、その関係性の醸成には外で一緒に食べることが重要な役割を果たしていた。
『ゆるキャン△ SEASON2』「第3話」(C)あfろ・芳文社/野外活動委員会
『ゆるキャン△ SEASON2』「第8話」(C)あfろ・芳文社/野外活動委員会
第3話のさくめのうなぎの描写にとんでもないリソースが割かれていたのも特筆に値するが、これらの食事描写の中でも特権的な位置を与えられるべきなのは、やはりカレーめんだ。
『ゆるキャン△』「第1話」(C)あfろ・芳文社/野外活動委員会
第1期・第1話、行き倒れていたなでしこにリンはカレーめんを差し出す。第2期・第1話では、リンの初めてのキャンプの描写の中で、このカレーめんの来歴が語られる。カレーめんは、リンの母親がそっとバッグに忍ばせていた非常食だった。ご飯を炊くのに失敗しお腹を空かせていたリンは、母親の心遣いに感謝しながら、このカレーめんを夢中ですする。
『ゆるキャン△ SEASON2』「第1話」(C)あfろ・芳文社/野外活動委員会
この経験以降、リンにとってカレーめんはキャンプめしのスタンダードになっていたわけだが、この時に母親から渡されたカレーめんは、やがてなでしこへと差し出されることになる。そしてそれは、なでしこがキャンプに興味を持つ重要な始まりの一歩でもあった。
周知のとおり、第2期・第1話はこれだけでは終わらない。
ED終わりのCパートにおいて、リンが年越しソロキャンへと向かう道程、コンビニ付近でたまたま信号待ちのリンと出会ったなでしこが、カレーめんを差し出す。「旅のお供に、カレーめん!」
『ゆるキャン△ SEASON2』「第1話」(C)あfろ・芳文社/野外活動委員会
ここにおいて、リンの母から始まったカレーめんの輪は、再びリンのもとに戻ってきたことになる。
リンからなでしこへと渡ったカレーめんが、今度はなでしこからリンへと手渡される。リン・なでしこの両者にとって、初めてのキャンプで食べたものであるところのめちゃくちゃ美味しかったカレーめんは、この時点からは2人の特別な関係性を象徴するアイテムとしてもあるのだ。
あまねく人は物を食う。食わないと人は生きていかれない。
食事は人間が生命体として行わねばならない活動の1つとしてあるが、勿論それだけではない。人は何かを共に食べることを通して、関係性を形作っていく。これは食事が人間にとってただの生命活動に留まらず、文化としてもある側面の基本的な一要素でもあると信じている。
『ゆるキャン△ SEASON2』で繰り出されたただひたすらにうまそうなメシの描写は、キャラクターたちが関係性を取り結んでいく描写における説得力を強力に増していく重要な要素としてもあったのである。
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というわけで。
さくめのうなぎはまじで旨かった!!!
(これが言いたかっただけ)
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※1:三鷹の森ジブリ美術館ではかつて「食べるを描く。」という企画展示がなされていたようである。
「[ジブリ作品に]登場する食べ物は決して特別なものではありません。身のまわりにある、ごくありふれたものです。ところが作品の中で観るそれは特別な意味づけが与えられています。[……]何気ない食事のシーンに物語の演出上の重要な意味が込められているのです」
このサイトの記載されている次の一節に対して特に付け足すことがない。全くその通りであると思う。そしてこれは『ゆるキャン△』においてもまったく一緒だ、というのが本論の主旨である。