2024年4月に読んだ本たち | ますたーの研究室

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英詩を研究していた大学院生でしたが、社会人になりました。文学・哲学・思想をバックグラウンドに、ポップカルチャーや文学作品などを自由に批評・研究するブログです。

 

最近Nintendo Switchにハマってしまいました。

 

・ステュウットヴァ―ナム-アットキン『日英対訳 「源氏物語」のものがたり』(原作:紫式部、豊崎洋子訳。IBCパブリッシング株式会社、2023年。)

 

世は空前の『源氏物語』ブームである。それに影響を受けたわけではないが、書店で積みあがっていたのを興味を持って買った一冊。本書は『源氏物語』を英語でリライトしたものをさらに日英対訳で載せている一冊である。

 

 

『源氏物語』は全54帖あるのだが、本書の収録範囲は第12帖「須磨」までであり、全体のうち前半4分の1くらいしかなくて「全然序盤やんけ」となった。色々あって明石へと流れ落ちていくところで終わるのだが、紫の上と関係を取り結ぶところも含めてまだまだ序盤の話なんだなというところを認識したのは、わりと重要な気づきだったかもしれない。

 

 

今回そこそこちゃんと『源氏』に取り組んだが、魅力がわかったかというとかなり怪しく、もっと言ってしまうと正直そんなに好きじゃないのかもなあとなった。結局現代の我々からすると、当時の常識とかが全然わからないから非常に難しく、膨大な注釈と解説が必要となるわけである。その点、英語読者に向けた本書は解説が丁寧でよかった。例えば、「今日私たちがよく知る「伝統的な日本文化」という要素の多く(畳の部屋、寿司、刺身、醤油、天ぷら、歌舞伎、能、生け花、武士道、浮世絵、茶道、銭湯など)は千年前にはないが、日本の美意識のルールはすでに確立しており、とりわけ美や礼儀作法の概念はあった」とか、こういう解説は日本語読者のみを対象とした『源氏』にはあまり見られないだろう。また、「[『源氏』の世界は]あらゆる階級とさまざまな社会問題を扱った19世紀のチャールズ・ディケンズの世界というよりは、ジェーン・オースティンの18世紀イギリスの世界に近い」というコメントも、英文学徒としては腑に落ちるものがあった。

 

 

ちなみに僕は朧月夜ちゃんが好きになりました。

 

・今井むつみ、秋田喜美『言語の本質──ことばはどう生まれ、進化したか』(中央公論新社、2023年。)

 

こういう言語学系の新書を久しぶりに読みたくなり手に取った一冊。かなりしっかりしていて面白かった。

 

 

本書では、オノマトペが人間の言語習得に本質的に寄与しているのではないかという仮説を提示、検証していく。1990年代前半は「言語とは、身体感覚とは直接つながりのない、抽象的な記号である」という見方が主流であったが、現在では一定の語彙が人間の身体感覚と結び付いているという見方が主流となっており、本当に身体から独立した記号として人間は言語を理解、運用しているのか、コンピューターに言語の「意味」が理解できるのか、という疑問が「記号接地問題」として整理されている。オノマトペは人間の身体感覚や認識をそのまま言葉に「写し取る」ような語彙であり、幼児はオノマトペを通じて言葉と物、動作、現象などが対応付けされていることを理解し、そこから言語習得が始まるのではないか、というのが本書のあらましである。

 

 

個人的にかなり面白かったのは第2章で言及される「ポケモンの名前研究」のことで、「体長の長いポケモンや体重の重いポケモンに濁音が多いほか、進化が進むにつれて名前に濁音を持ちやすくなることがわかっている」(24-25)と真面目に記載されているのが面白かった。ヒトカゲは濁音が1つだが、進化したリザードは濁音が2つだよね、とか。ポケモンの名前研究が言語学界隈で1個の領域として成立していたら、ポケモン好きとしては激アツである。

 

Koi『ご注文はうさぎですか?』(12)

 

 

『ご注文はうさぎですか?』12巻表紙。(C)Koi/芳文社

 

もういよいよ完結が見えてきた『ごちうさ』の最新刊で、学園祭(秋)へと季節が流れてきている。表紙でばばんと提示されているように、今回の学園祭では『不思議の国のアリス』がフィーチャーされている。『CCさくら』もそうだったけど、こういう可愛い系コンテンツが行き着くところは『不思議の国のアリス』というのは、そうなんだなあという感じがする。『ごちうさ』的には、ねこ(チェシャ猫)もうさぎ(時計うさぎ)もいるというのが「見つけた!」という感じなんだろうな。

 

『ご注文はうさぎですか?』12巻、p.89

 

千夜のお化け屋敷の挿話で見せた、この千夜の大立ち回りがめちゃくちゃよかったのに、結局千夜のお母さんが元に戻すという話になっており、そこがちょい残念だった。それは千夜をこうしてしまったシャロとリゼが責任もって引き受けろよ。

 

 

 

 

上記リンク先のブログ記事の中で、「本作、ちょっとシリアスなことが起こると、すぐにキャラクターも映像も自分自身で茶化してはぐらかしてしまう部分があって、僕らも踏み込めない感じがある」という言及があり、僕はそれが『ごちうさ』の本質だよなあとも思うところもあるわけだが、そろそろ「街に残る者」と「街を出る者」の両者の間に確かに横たわっている負の感情が噴出してきている予感があって、そこは「なーんちゃって!」で済まさない方がいいような気がしている。でも、チノのお母さんやおじいちゃんとの別れをあんなにシリアスにしっとりやってくれたのだから、そこは大丈夫なんじゃないかと思うところでもある、というか期待している部分がある。