2019年7月に読んだ本たち+α | ますたーの研究室

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英詩を研究していた大学院生でしたが、社会人になりました。文学・哲学・思想をバックグラウンドに、ポップカルチャーや文学作品などを自由に批評・研究するブログです。

梅雨が明ける前に『天気の子』を見に行かなきゃなあと思っていたら梅雨が明けてしまった。

本当に連日暑いですね。梅雨が明けた途端本気真夏モードに入られるのはマジでやめてほしい。

 

・カズオ・イシグロ『日の名残り』(土屋正雄訳、早川書房、2001年。)

イシグロは本当に良いんだけど、この小説もめちゃくちゃ良かった。泣ける。小説読んで泣くのなんてイシグロくらいな気がする。

『わたしを離さないで』も大変素晴らしいんだけど、あちらはマジで結末に救いがなく読後ずーんという気持ちになってしまう。

それに対して本作は、主人公・スティーブンスにあまり救いがない悲壮感漂うエンディングではあるものの、「日の名残り」というタイトルが示唆するような一筋の光が射しこんでくれているような気がする。夕暮れから夜へと移り変わるタイミングで一瞬だけ見せる、太陽の恵みの残滓のようなものが、悲しくてやりきれない結末をほんの少しでも穏やかで美しいものにしてくれている。これがとても良い。

 

中身については「一人称の語り」という形式が内容とも密接に関わってくる小説であり、形式/内容で読者にトリックを仕掛けていてある意味推理小説みたいなところもあって、ネタバレに配慮して何も語らないでおきたい。とりあえず読んでみてくれって感じ。イシグロ入門としてもいいと思う。

 

内容に少しだけ触れるとすると、イギリスってまあ今も昔もあんまり変わらないよなあという感じ。EU離脱を巡ってごたごたしている今の様子が小説を読んでいてよぎってきた。イギリスからアメリカに栄光が移っていく感じとかも、現実をたいへんうまく戯画化していると思う。色々な読みができて面白い小説です。

 

・村上春樹『1Q84 Book 1』<前・後編>(新潮社、2009年。)

高校生の時にめっちゃ熱中して思い出に残っている作品は何かと聞かれたら、『Final Fantasy X』と『1Q84』と答える。前者について今月に詳細な作品論を書き上げて発表しました。それを書いているとき、「そういえばあの時ハマっていた『1Q84』も読み返してみよう」と思い8年振りくらいに再読。当時17歳とかだった自分はわけもわからず小説世界に没頭し、2週間ほどは寝る間も食事の間も惜しんで本作を貪るように読んでいたのが記憶に残っているのだが、今読み返してもやはりめちゃくちゃ面白かった。ずっと読んでいた。こういう読者体験はなかなかできるものではない。

で、今読み返すと当時はわからなかったことがたくさん見えてきてそれも面白い。話の内容としてはエロゲ―よりもエロゲ―っぽいよね、とか色々と思うこともあるのだが、今はとりあえず措いておき Book 1の感想をつらつらと書いていく。

 

ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』。作品内でこんなに重要な役割を果たしていたんですね。青豆と天吾の二人をつなぎ、1984年と1Q84年の2つの世界をつなぐ曲。冒頭のファンファーレは大変良いんだけど、明るく祝祭的というよりは何か予兆のような意味深な響きやリズムを含んでいて、言われてみれば確かに異世界に引き込まれていくような感じを受ける。これを見つけ出して作品のイメージソングみたいにしちゃう村上春樹の作家的嗅覚はやはりすごいと思う。

 

「証人会」、宗教法人「さきがけ」と「あけぼの」、NHKの集金。

すぐに「ああ、あれのことだな」と思わせる、触れては駄目そうな日本現代史のタブーにずばずば切りこんでいく村上春樹。NHKに関してはもはや架空の存在にすらしていない。

共産主義的なコロニーであった「さきがけ」から革命思想を持つ「あけぼの」が独立し、血気盛んな「あけぼの」はやがて警察と暴力的な衝突を起こして壊滅してしまう。一方、「『さきがけ』はもう『あけぼの』とは無関係ですよ?あの人たちとは私たちは違うんです。私たちはとても平和で善良的な集団です」という感じでマスコミや世間にいい印象を与えていた「さきがけ」のリーダーは少女たちを次々レイプしているやべー奴で、「さきがけ」の方が実はやべー団体だったという書き方は、これここまで書いちゃって大丈夫ですか?と心配してしまうほどである。

「さきがけ」の信者には学歴の高いエリートや専門職に就く人物が多くいた、とかもね、あれですよね、宗教がブームだった1990年代初頭の空気感と1995年のあれを如実にパロディ化していますよね。

 

・村上春樹『1Q84 Book 2』<前・後編>(新潮社、2009年。)

いよいよ対峙する青豆と「さきがけ」のリーダー。でもリーダーは人知を超えたなんだか本当にやべー奴で、マジで何を言っているのかわからない。

柳屋敷の老婦人が言っていたような、抹殺されるべき卑劣なロリコンレイプ魔にはどうしても思えない。本人は何かわけのわからない理屈でレイプを正当化しようとしている。でもその理屈が全く理解不能である。しかも青豆に殺されることを自ら望んできている。一体どうしたらいいのだろうか。

 

実は柳屋敷の老婦人も一見おしとやかで物腰柔らかな人物と思いきやかなりやべー人物ということを察知しなければならない。

実の娘(とそのお腹の中にいた孫)を家庭内暴力で失った過去があるとはいえ、「ですから家庭内暴力をふるうような男性は生きている価値のないクズなので殺していいです」なんていう理屈になるわけがない。実行部隊である青豆に対して「あなたはまったく正しいことをしているのです」とことあるごとに告げる老婦人の姿を見ていると、こちらはこちらでカルト的な共同体になってしまっていることに気づく。暴力は狂気を生み出し、さらなる暴力の連鎖へとつながっていく。

 

この辺りまで読んでいくと、単純な善悪の対立構造を徹底的に突き崩したいという作者の意図が見えてくる。

「さきがけ」のリーダーがやっていた行為は法律的には間違いなくアウトだし、社会に生きている我々の価値判断や倫理観に照らし合わせても到底許容できるものではない。しかしリーダーの話を聞いているとその判断もぐらっと揺らいでくるような気がする。世界が違うとルールも違う。なにせ1Q84年は月が2つ浮かんでいる世界なのだ。我々の常識や固定観念はまったく通用しない。

 

そんでもって、満を持して中盤にやってくる天吾くんとふかえりの濡れ場。

ここがもうまんまエロゲ―っぽくて読んでいて思わず笑ってしまった。天吾くんにとって、そして本作にとってのメインヒロインは青豆なので、サブヒロインであるふかえり。物語冒頭からずーっとふかえりルートを攻略してきましたがようやくふかえりちゃんとのエロシーンがやってきてくれました!やった!という感じ、いや、私はそうは思っていませんよ。作者は思ってそうだけど。

この辺りの書きぶりでもわかる通り私はこのシーンをあまり快く捉えていない。17歳の少女とヤるのはどうなのか、という倫理的な抵抗感もあるし、2人の性交渉に「いやこれは愛の行為ではなく儀式的意味合いがあるものですよ」みたいな理屈をぐちゃぐちゃつけているのも鬱陶しい。そしてその発想法がすごくエロゲ―っぽいんだよな。Book 3 の内容を先取りするが、この時の天吾くんの射精がふかえりを通して自身の小学校の記憶をたどったうえで青豆の子宮に達したわけで、青豆がなぜか性交なく妊娠しそれが天吾の子供であることをなぜか確信している場面も、このあたりの言説は全部まとめて単純に気持ち悪いと率直に思った。

 

余談になるが、芦田愛菜ちゃんが文学才女としての能力を発揮している中で今は村上春樹の小説に夢中らしい。そのこと自体はとてもいいことだし、村上春樹の小説はたいへん良いと思うのだが、この性まわりの言説を読んでどう思うのかなあと思わないこともない。老婆心ながらまだ中学生には早いと言いたくなってしまう。

 

かなり長くなったが、最後は天吾がお父さんに会いに行くくだり。この辺りはとてもよくて心に刺さってくるものがあった。

お前は俺の息子ではないという事実の宣告。お前は透明な存在である、と。この辺りは村上春樹のテクストへの応答とも読める『輪るピングドラム』につながってくる場面で、幾原邦彦はたぶん『1Q84』も読んでいるはずだよなと思った。

NHKの集金人であるあなたに連れて歩かされた幼少時代は良い思い出ではなく、そのことに対する恨みも多くあるけれども、それでもあなたはたとえ血がつながっていないとしても私の父です。他に呼ぶべき名がありません。という天吾くんの実感は、単純に許しとも諦めとも名づけ難い、色々な感情と記憶が込められた強い言葉となっている。ここは読んでいて結構ぐっとくるものがあった。

 

・東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社現代新書、2007年。)

『動物化するポストモダン』に続く東浩紀のサブカルチャー論。『FFX』論のために再読。

 

前半部分の、近代文学が行ってきたリアリズムを全て「自然主義的リアリズム」で括っている態度はさすがに無理がある。

国文学はそんなに詳しくないが、例えば英文学で言うとディケンズのリアリズムとウルフのリアリズムは同じ「リアリズム」であっても全くやり方が違うわけで。「言文一致を経て言葉が透明な媒体となり、人間の内面をありのままに表現できるようになった」という指摘も怪しい。言文一致する前はそうじゃなかったんですか、とか、浪漫主義はどのように扱うんですか、とか。なんだか文学が専門でない東浩紀が表層的に文学を語っている感じがしてイライラした。とかこういうことを言うと「文学を専門とする人間しか文学を語ってはならないのか」という感じになり、それはそれで違うと思うんだけれども、うーん難しい。ここで一つ言いたいことは『存在論的、郵便的』を読んだときにデリダを語る東浩紀が(すごく難しくてよくわからなったけど)なんだかすごく面白くて、やっぱり現代思想の人なんだな、という印象がある。だから文学は専門外なんだよな、と(「自然主義的リアリズム」の議論は、基本的には夏目漱石しか念頭に置いていないんじゃなかろうか)。

 

後半の作品論はすごく面白い。が、「ゲーム的リアリズム」が何を指すのかをいまいち掴み切れなかった。物語が読み手を物語世界に引きずり込み、新たな物語を次々生み出していく想像力が新しいリアリズムを作りだしていく、という主張は2019年の今考えると(たとえばアニメの聖地巡礼とか、チームラボとかがいい例じゃないだろうか)すごく腑に落ちることを言っているような気がするのだが、「ゲーム的リアリズム」という定義でもって何を指し示しているのかというと、ちょっとよくわかっていない。美少女ゲームをプレイするプレイヤーが体感するようなパラレルワールドの感覚で現実世界をも捉えてしまうことが「ゲーム的リアリズム」なのかなあ。多分そのうちまた再読しなければならないだろう。

 

・柄谷行人『日本近代文学の起源』(講談社学芸文庫、1988年。)

最近柄谷先生の本に果敢にチャレンジしているのだが、いやあ何を読んでも難しい。でも本書は文学の話だったのでわりとわかったような気がした。

言文一致という現象があって、風景・内面を「発見」するという指摘は素直になるほどなあという感じ。ある概念が成立した途端その成立の起源は忘れ去られてしまうという指摘はバトラーの『ジェンダー・トラブル』の主体性の確立の議論とも通じるところがあり、方法論としての脱構築がなんとなくわかってきたような気がしている。これでポール・ド・マンとかも読めるようになるのだろうか。その前に構造主義をきちんと押さえないと駄目だよなという気もしているのだが。

 

・得能正太郎『NEW GAME!』(9)

待望の新刊。色々としんどいときに読んでいたらなんだか感涙に咽び泣くオタクになっていた。

コウさん激推しということを常々言っているが、今回の話を経てさらにコウさんいいなあとなった。圧倒的な才能と実力を持っているのにも関わらず常に飽くなき向上心を持っており、仕事に対して誠心誠意をもって取り組む一方で後輩たちをきちんと尊重しいい影響を与え合う。マジでコウさんのような社会人になりたい。

 

で、物語の内容に関してはまあ第1巻や第2巻の頃に比べるとだいぶ変わって来たなあと。特に今回は仕事の話が充実していて(最初のコウりんの話は「そうそうこういうエピソードが読みたかったんだよ」と歓喜したけど)全然遊びがない。

お仕事日常系からジャンプ的な友情・努力・勝利の成長物語にますますなってきているのを感じる。そうすると4コママンガであることの必然性はもう無いよなあ、とも思うんだけれどもこの辺他のファンたちはどう思っているんだろう。

 

・Koi『ご注文はうさぎですか?』(2)(5)(6)(7)

7月は『ごちうさ』の月だった。アニメ1期、2期ともに完走し、遅ればせながら『ごちうさ』オタクになった。単行本も買い集めている。

『ごちうさ』難民の気持ちがよくわかるようになった。木組みの街はユートピアだもんな。もはや言うまでもないが、本作には日常系を味わう快楽と多幸感が本当にあふれている。OVA楽しみです。あと来年の3期も。

 

ここでは最新刊である第7巻の話をするが、チマメ隊の合格・卒業の挿話が本当に、本当に素晴らしかった。

日常系を一般化するとしたら、時間の交換可能性と交換不可能性、無限性と有限性のはざまで成立している物語形態である(今過ごしている時間は繰り返されている日常の一コマに過ぎず、昨日も今日も明日も同じようなことをやっているけれども、一見繰り返されているように思える「この」日常も後から振り返ると固有の単独性を帯びており、交換不可能であったことが遡って決定される)と言えるだろう(この辺の話は『わたてん』論を見てください)。

 

合格・卒業はまさに「いま、ここにある日常は永遠に続く(と思われる)」日常系の基本的な世界観を食い破る不可逆的なイベントである。

それでも、チマメ隊の日常は変わることなくこれからも続いていく。「学校離れてても大丈夫って教えてくれたの、ココアさん達じゃないですか。」

ここに、「終わりなき日常」という矛盾をはらんだ日常系という物語形式が最も強い効果を発揮する瞬間を見て取ることができる。

 

こういう難しい話はさておき、とりあえず第7巻88-89ページ、108-109ページを見て咽び泣くオタクになってる。チマメ隊、ほんとうにおめでとう(あとリゼも)。

 

+α

・諸事情がありまだ来年以降の進路が宙ぶらりんです。詳しくは書けないのですが、8月いっぱいまでは待ってみるかなあという感じ。とりあえず進路のことはしばらく忘れて今月は研究その他に邁進したいですね。あとゆっくりゲームがやりてえ。

 

・今期のアニメは『からかい上手の高木さん2』と『ダンベル何キロ持てる?』を熱心に視聴。良くも悪くも1期と大きく変わっておらず、抜群の安定感を誇る一方あまり代わり映えがしない前作に対し、後者は本当にダークホースだったなという感じで毎週新鮮に楽しんでいます。単純に勉強になる。

 

・下北沢に引っ越ししました。やはり一人暮らしは気楽でいいですね。下北沢自体はそんなに好きになれていないのですが、充実した生活を送れていると思います。