2019年8月に読んだ本たち+α | ますたーの研究室

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英詩を研究していた大学院生でしたが、社会人になりました。文学・哲学・思想をバックグラウンドに、ポップカルチャーや文学作品などを自由に批評・研究するブログです。

体感的にものすごく短かった夏へ。

 

 

・村上春樹『1Q84 Book 3』<前・後編>(新潮社、2010年。)

自らの方向性を決定づけたであろう重要な小説の7年振りくらいの再読、いよいよ完結編……のはずだが、うーん。Book2で終わらせた方が綺麗で良かったんじゃないかと率直に思ってしまった。

 

青豆はずっと引きこもっているし、天吾くんはお父さんのところにつきっきりのため、それまでと比べて物語のテンポ感が著しく落ちる。いちおう3人目のキャラクターとして牛河の視点が追加され、三つ巴のようにして物語が進んでいくのだが、牛河さんの語りの効果がいまいちわからなかった。そのくせいいところで無残かつ残酷に殺されてしまい、なんだか大変気の毒である。

青豆と天吾くんの再会は良かったなあと思うが、二人で元の世界に戻ってセックスして終わり、っていうのはマジでエロゲ―じゃないですか……って思ったのと、「『1Q84』を読んだときに村上春樹はもう終わりだと思った」と語ったアイルランド文学を研究する先輩の言葉が腑に落ちたような気がした。

最近『天気の子』を見たときにも「ゼロ年代のセカイ系エロゲ―の文法なんだろうなあ」ってなったのを思うと、ゼロ年代に華やかなりし泣きゲーを筆頭として、美少女ゲームは真摯に物語の在り方を開拓していったジャンルと言えるのかもしれない。

 

あと印象に残ったのはプルースト『失われた時を求めて』。新訳が出たのがちょうどこの頃というのを見てなるほどという感じ。

何もやることがない時にプルーストをじっくり読むのは贅沢だろうなあ。でも個人的にはドストエフスキーをはじめ露文の皆さまを読みたい。

 

・芝木好子『冬の梅』(新潮社、1991年。)

これは何かというと、本書に収められている「十九歳」という短編小説を高2の現代文で読んで以来の芝木好子である。

主人公・由木敬は43年ぶりに東京を訪れる。43年前の東京は1945年。太平洋戦争の末期・東京への空襲攻撃が激化していた時期である。由木はこのとき19歳だった。

隣りの家に住む軍人の若旦那とその妻・紀子。旦那は戦争に行ってしまうので、家には紀子と女中の峯しかいない。空襲警報が鳴り響くなか、由木は紀子を連れ出して防空壕へ逃げ込む。旦那がいない状況と、戦争がもたらす極限状態のなかで、次第に紀子がおかしくなっていく。空襲を生きのびて家に戻ってきたある夜、紀子は去ろうとする男のズボンを掴む。「また独りになる、それはひどすぎる。目があうと、彼の身体に、ある衝撃が走り抜けていった。」(21)

そして「その夏は暑かった」と次の段落の一行目へと飛んでいくのだが、この明らかな時間の経過の間に二人に何があったのでしょうかと男子高校生たちに読み解かせる。よくこんなのを思春期真っただ中の男子高校生に読ませるよな。我が母校の国語のセンスはなかなか良いと思う。

 

「十九歳」は卒業後も折に触れて再読していたため特にこれといった新しい発見はなかったのだが、家父長制の息苦しさとその中で生きる女たちを静謐なタッチで描いている、昭和を真空パックに閉じこめたような他の作品たちもよかった。

中でも特に、著者の晩年を私小説に仕上げた「ルーアンの木陰」「ヒースの丘」が印象に残った。著者はブロンテ姉妹が好きだったんですね。

小説内の架空の人物たちの人生と、『嵐が丘』のキャサリンとヒースクリフの人生と、ブロンテ姉妹の人生と、芝木好子の人生と……といったように、現実・虚構世界の複数の人生たちが混ざり合って物語が生まれていく。綺麗な作品です。

 

・伊藤計劃『虐殺器官』(早川書房、2007年。Kindle版)

『ハーモニー』に続き読了。こちらも凄まじいディストピア・フィクションだった。

「ディストピア文学は社会批評でもある」という向こうで学んだことが、本書を読むことで改めてよくわかった気がした。9.11の後の世界、特にアメリカの様相を、きわめて「あり得たかもしれない」形に描写することに成功している。いや、もう現実はこういう世界になっているかもしれない。

 

「虐殺の文法は人間の脳にコーディングされた普遍的な言語である」という本作のテーゼは、チョムスキーの生成文法やダーウィンの進化論、ホッブズやルソーといったあらゆる分野の知見を踏まえた複合的な説で、伊藤計劃はある種の問題提起というか思考の提示といったことを物語の形式に託してやっていたと思う。『ハーモニー』もその側面があったが、その傾向は『虐殺器官』の方が強いと感じた。

だからこそ本作を物語として捉えたときに要素が結構とっ散らかっていたり、最後の結末が腑に落ちないと感じたりと、小説としての不備は色々とあるとも思ったが、それでもやはり凄まじい作品であると言わざるを得ない。ゼロ年代のSF小説でこんな物語的想像力があったんだなあと、英文学徒としてすごくわくわくする。

 

それにしても、テクノロジーの発達・医療技術の進歩によって痛みを感じなくなった人間たちが四肢を吹っ飛ばしながら極限まで殺しあうというかなり凄惨な描写をやってのけてみせる本作よりも、母性的なユートピアでゆるやかに窒息死しあっていく『ハーモニー』の方が数倍おぞましく感じるってどういうことなんだろう。自分の感覚なのに、よくわからない。

 

・三好行雄編『漱石文明論集』(岩波書店、1986年。)

「私の個人主義」や「現代日本の開化」などの漱石先生の講演集は折に触れて読み返している。ちなみにこれも高3の現代文でまず読まされた。ほんとうちの高校はいいもの読ませられるし、読ませてくれるんですよ。

「現代日本の開化」は冷静な現状分析に裏打ちされた最高に投げやりな結論。「もう本当に仕方ないと思うんですけどどうにかがんばってください」とこんなに放り投げていたっけと改めてびっくり。その後まもなく十五年戦争へとずぶずぶに突っこんでいく泥沼を見ていたとしたら漱石は何を思っていたのだろうか。

倫敦にまつわる書き物も少々。断片ではあるが、倫敦にいたときかなりやさぐれていたことが伺えてこれは本当にヤバそう。英文学者としての漱石のこの辺りをきちんと押さえられればF+fでおなじみ『文学論』にもチャレンジできそうなんだよな。まだ先は長い。

 

・新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社、2018年。)

若干「いまさら?」感が漂っている本だと思うが、ずっと研究室の本棚に置かれている(先輩が買ってきた)一冊だったので、適当に読了。

読解力が重要なのはそれはそうという感じだし、子供たちの読解力がなんだか落ちているなあという実感もあるなかで、読解力テストによって定量的に子供たちの読解力がへっぽこであることを示しているのは意義があることだと思う。あと数学の言葉は論理と確率と統計しかありません、というのもなるほどなあという印象。

 

それでも全体的に本書があまり気に入っていないのは、基本的に著者が「(わたしとは違って)あなたたちは読解力が無いバカだと思うんですが、それでもわかるように書いてあげましたよ」という上からな感じが行間からひしひしと伝わってくることと、「読解力をつけないと危ないですよ!!だから読解力を上げるためにこのテストを全国でやりたいんです!!」という主張はなんだか扇動的だよね、というところ。読んでいてあまり面白くはなかったし結構イライラした。しかしながら「コミュニケーション能力」なるものを信奉しているお偉いさん方には、発信する能力よりも受信する能力(=読解力なり理解力なり)の方がはるかに本質的で重要であることを認識してください、という点では筆者と同意見である。

 

+α

・本文にもちょろっと書きましたが『天気の子』を観に行きました。基本的に僕は新海誠作品の良い視聴者ではないのですが、今作で初めて新海作品に没頭できて良かったです。色々と思うことはたくさんありますが、総じて良い作品だと思います。それはひとえに陽菜さんが何十年に一人のスーパー美少女だったおかげ。そらあんだけ可愛かったら世界なんかよりも彼女を選ぶよな。初めて女子のお家に行くくだりの中での「ねぎ~~ねぎ~~」あたりからすっかり身も心も帆高くんと一体化していたので、あまりにも新海的な恋愛観を今作では受け入れることができた。それにしても本作に対しては「感情移入」という方法論を久しぶりにやったな、気がついたらさせられていたな、と思う。文学研究に自覚的になって以来、媒体問わず作品に触れるときはいつも「共感」や「移入」ではなく「理解」をするようにしているので。

 

とまあ『君の名は。』とかに比べたらかなり高い評価をしている一方で、やっぱり新海作品を心から好きにはなれないなとも改めて思ったのも事実。『天気の子』は良くも悪くも「セカイ系」を語り直すだけの物語だったなと率直に思う。最後らへんの走り抜けるシーンも『天空の城ラピュタ』ほどのカタルシスや爽快感は感じられなかった。警察や社会よりも(これは中間領域である「社会」をすっ飛ばす「セカイ系」と揶揄されないための保険なのかなと穿ってしまった。もちろん、本作では「個人」が「社会」を越えて「世界」に直接的な影響を及ぼす「セカイ系」に他ならない。)なぜ「セカイ系」に否定的かというと、個人間の小さな世界がそのまま大きな世界の存続を決定するのは、やはりたまったものじゃないと思ってしまうからである。特に主人公やヒロインになり得ない、きっと何者にもなれない「その他大勢」にとっては、である。

というわけで、敵対勢力は警察や社会などの「大人」ではなく、陽菜の能力を狙った悪いヤツみたいな善悪くっきりした強烈なキャラクター配置をしてくれた方が個人的には好きだった。それはまんまムスカ大佐になっちゃうけど。

 

内容以外にも印象的だったのは、劇場内にティーンエイジャーがそこそこいたこと。これゼロ年代を通過したオタクにしか理解されない物語構造(だから『君の名は。』が好きだった層にはウケが悪いのも当然)だと思ったんだけれども、少年少女たちは本作を見て何を感じたのだろうか。彼ら・彼女らにとってこれからの物語を咀嚼していく土台たりえる物語の強度が本作にあるのかどうか、しっかりと見極める必要があると思う。

 

・今期アニメ『荒ぶる季節の乙女どもよ。』が大変良いです。ハマりました。本業の研究にも結構からんできそうな作品なので、しっかり作品論を書きたいと思います。

 

・8月末に韓国に行きました。日韓関係はかなり悪いですが、別に旅行に行っても大丈夫。ですが、クロ現が日韓関係特集をやっていたのを韓国で見たのでさすがに険しい気持ちになった。あとウォンがめちゃくちゃ安くなっており、目に見えて経済が調子悪そうなのは気がかりに思いました。カルビチムという骨付きカルビの煮込みがめちゃくちゃ旨いのでおすすめです。