☆ 仏陀寺古墳 (伝蘇我石川麻呂墓)



河内国石川郡
大阪府南河内郡太子町山田2900 (仏陀寺境内)
(P有)



蘇我倉山田石川麻呂の伝承墓。

古墳の概要は案内板を写した下部写真に委ねます。

蘇我氏の根拠地であった河内国石川郡、その郡内の「磯長郷(しなが、古代は科長郷とも)」。「二上山」の河内側西麓、最古の官道「竹内街道」沿いに位置します。

付近には蘇我氏と血縁関係のある敏達天皇陵用明天皇陵推古天皇陵孝徳天皇陵、さらに聖徳太子御廟と王陵が密集する地。


蘇我氏の本貫地は大和国高市郡の「曽我村」(氏神は宗我坐宗我都比古神社)と、当地、河内国石川郡と2説あります。石川麻呂の時に当地を本貫地にしたという説も。

蘇我馬子の子は蝦夷と倉麻呂。蝦夷が本宗家となり、その子は入鹿。一方で倉麻呂は弟であったために傍系となり、その子が石川麻呂。

蝦夷・入鹿父子は「乙巳の変」にて没落。この時に鎌足側についたのが石川麻呂。そそのかされたのでしょうか。

変後に宗家は石川麻呂側に移り、右大臣に就任。変後も蘇我氏そのものの勢力はさほど失われることなく、維持できたようです。

ところが鎌足は変前から企てていたのか、異母弟に石川麻呂が謀反を起こそうとしていると讒言。山田寺(奈良県桜井市山田)にて自害しました。

なお仏陀寺は蘇我氏とは関係がなさそうです。


3~4台程度の駐車場有り。赤の車のちょうど背後に古墳があります。知らずにお尻を向けてしまいました。





石室上部が剥き出しになっています。





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