☆ 一須賀古墳群 (近つ飛鳥風土記の丘)



河内国石川郡
南河内郡太子町葉室、河南町一須賀・東山



南河内郡太子町葉室、河南町一須賀・東山に渡る群集墳。23支群、総数262基。国史指定。

「近つ飛鳥風土記の丘」として整備され、麓には「大阪府立近つ飛鳥博物館」が建てられています。

築造時期は6世紀中頃~7世紀前半頃。大半は径10~20m程度の円墳。

太子町のサイトは以下の通り。
━━副葬品に舶載品と考えられる金銅製の沓や垂飾付耳飾、ミニチュアの炊飯具などがみられることと、北側に位置する7世紀の王陵群である磯長谷古墳群との強い結び付きが想定されることから、朝鮮半島からもたらされた新しい技術力を背景に、有力氏族が掌握した渡来系氏族の集団墓と考えられています━━

「北側に位置する7世紀の王陵群である磯長谷古墳群」というのは、いわゆる「王陵の谷」と称される古墳群を始めとした、「磯長谷(しながだに)古墳群」のこと。敏達用明推古孝徳天皇の各御陵に聖徳太子御廟が密集しています。

「有力氏族」というのは蘇我氏と考えて問題無いかと思います。西方麓には壹須何神社(いちすかじんじゃ)が鎮座しています。こちらは蘇我氏の祖神、蘇我石川宿禰を祀る社であり、当地は蘇我氏の本貫地とみてよいかと。

Wikiには以下が示されています。
━━かなりの古墳において、ミニチュア炊飯具型土器(調査された48基中14基)や韓式系土器が副葬されており、また、朝鮮半島の影響を受けたと見られる玄室の床面が羨道部の床面より低い構造をもつ横穴式古墳があることから、渡来系氏族、特に百済・漢人系氏族との関連が指摘されている━━

今回は体調を崩しているなか、一部分のみを拝しました。いずれまた再拝して記事を改定したいと思います。















窯跡


WA1号墳の金銅製沓など

韓式系土器


ミニチュア炊飯具型土器



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。