☆ 石塚古墳 (太子町葉室)
■形状
円墳
■全長
径30m
■築造時期
6世紀後半~7世紀前半
■埋葬施設
横穴式石室
伝承では、破壊された家形石棺と羨道に木棺があったとされる
■出土品
須恵器
■周辺の状況
「二上山」麓の南西丘陵地
葉室古墳群に属し、東方すぐに磯長谷古墳群、南側すぐに一須賀古墳群がある
蘇我氏が根拠地としていた地
■被葬者
(不明)
「王陵の谷」とも称され
敏達・
用明・
推古・
孝徳天皇の各天皇陵に
聖徳太子御廟が密集する「磯長谷
(しながだに)」。その界隈には蘇我氏の「一須賀古墳群」などもあり、古墳が密集する地帯。
広域では「磯長谷古墳群」内、狭域では「葉室古墳群」と称され、「二上山」麓の南西丘陵に位置します。
釜戸塚古墳・
葉室塚古墳などが属する古墳。
釜戸塚古墳や
葉室塚古墳とは規模が少々劣るものの、先行して築造されたようです。また多量の須恵器が出土しています。
被葬者は不明であるものの、蘇我氏の首長級クラスの人物のものとみてよいかと思われます。
進入路はやや細いのでゆっくりと。
東側より。冒頭写真は北東側より。
南側より
残念ながら「万葉植物の森散策路」と標示されてしまっています。
墳丘頂
出土した須恵器
(「大阪府立近つ飛鳥博物館」展示物)
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。