都美恵神社


伊賀国阿拜郡
三重県伊賀市柘植町2280
(元保育園「杜のカフェいこいこ」さんの前の駐車場を利用しました)

■延喜式神名帳
穴石神社の論社

■旧社格
村社

■祭神
栲幡千々比賣命

[配祀] 経津主命 布都御魂命
[合祀] 応神天皇 健速須佐之男命 稲田比売命 仁徳天皇 天穂日命 火産霊神 大山祇命 三筒男命 安閑天皇 大山咋神 建御名方命 大日靈貴命 埴山比売命 弥都波能売命 市杵島比売命 伊弉冊命 菊理比咩命 天太玉命 宇気母智命 伊勢津彦命 天手力男命 倭姫命 武甕槌命 宇迦能御魂命 天津彦火瓊瓊杵命 木花佐久夜比売命 八坂刀女命 玉依比売命 建角身命 猿田彦大神 天御柱命 国御柱命 火之迦具土命


鈴鹿山脈を水源とする「柘植川(つげかわ)」沿いに発達した「柘植」集落内に鎮座する社。伊賀市北部、滋賀県甲賀市との県境付近に位置しています。
◎当社は倭姫命が天照大神の御杖代を奉戴し巡幸した元伊勢「敢都美恵宮」の比定社。「穴穂宮」を経て、当宮で2年間奉斎したとされます。他に挙げられているのは、伊賀国一ノ宮である敢國神社
◎かつては「霊山の中腹穴師谷(あしだん)」に祀られていたとされます。つまり「敢都美恵宮」はその場所。寛永二十一年(1644年)の大洪水で流失、正保三年(1646年)に現社地にて遷座復興されています。旧社地は南東2kmほどの山中とのこと(現地未確認)
◎創祀については社頭案内によると、紀元2~3世紀頃「我が国へ渡来してきた北方民族(出雲族)がこの柘植へ移住」してきた時のこととしています。これは「伊勢国風土記」逸文の有名な箇所「伊賀の安志(あなし)の社に坐す神 出雲の神の子 出雲建子命 又の名は伊勢津彦神 又の名は天櫛玉命 此の神昔 石もて城を造り其の地に坐しき ここに安倍志彦神来り集い勝たずして還り却りき」とあることによるもの。
◎これ以来「穴石神社」または「穴師神社」、「石上明神」と称されていたようですが、明治の合祀令で多くの神社を合祀、その際に現社名に変更したとのこと。
これは「倭姫命世記」などの「敢都美恵宮」に因むもの。「都美恵」は「柘植」の古語であるとしています。
◎当社は「式内社 穴石神社」の論社として挙げられています。他に挙げられるのは伊賀市石川の穴石神社。同社名でありながら、まったく異なる由緒を持す別系統の社かと思います。ともに由緒沿革等は式内社に相応しく、決し難いところかと。