◆ 丹後の原像
【28.謎の大宮売神社にじわりと…~2】
今回はもう一歩踏み込んだ内容を。
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いったい大宮売神とはどういった神(巫女)なのか。以下、自身が思うままにまとめてみました。
◎宮中八神の一座
神祇官西院坐御巫等祭神 二十三座(並大)
御巫祭神 八座
神産日神 高皇産日神 玉積産日神 生産日神 足産日神 大宮売神 御食津神 事代主神
「西院」は宮中の祭祀機能を果たす場所、対して「東院」は事務機能を果たす場所。
以上二十三座が祀られる神祇官西院において、筆頭の「御巫(みかんなぎ)祭神」にて第6番目に大宮売神が上がります。もちろん「神祇官西院坐御巫等祭神 二十三座」というのが、延喜式神名帳の筆頭に上がります。
造酒司坐神 六座
大宮売神社 四座(並大)
酒殿神社 二座(並小)…酒彌豆男神・酒彌豆女神
二十三座は天皇の守護をする重要な神々ですが、なかでも御巫祭神八座はいわゆる「大御巫」が奉った天皇の健康に関わる特に重要な神々。
また造酒司にも神名が上がります。酒等の醸造を司る神々。酒彌豆男神・酒彌豆女神が神名から酒水を司ったのであろうと思われますが、対して大宮売神社 四座は御食・造酒を司る神であったと。
以上から天皇を守護する極めて重要な神であったこと、また造酒神という神格も持ち合わせていたことが分かります。
当地丹後においては、造酒神として古くから祀られていたのであろうかと。
◎「延喜式」 大殿祭(おおとのほがひ)
高天原に神留り坐す皇が親神魯企(ムツカムロキ)・神魯美命(カムロミノミコト)を以て… (中略) …詞別きて白さく 大宮売命と御名を申す事は 皇御孫命同殿の裏に塞がり坐して 参入り罷出る人の選び知らし 神たちのいすろこひあれび坐すを 言直し和し [古語に夜波志と云ふ] 坐して 皇御孫の朝の御膳 夕べの御膳に供え奉るひれ懸くる伴の緒 襁(たすき)懸くる伴の緒 手の躓ひ(まがひ)・足の躓ひ [古語に麻我比と云ふ] なさしめずて親王 諸王 諸臣 百官人どもを己が乖き乖きあらしめず 邪しき意 穢き心なく宮進めに進め宮勤めに勤めしめて 咎過ちあらむをば見直し聞直し坐して 平らけく安らけく支え奉らしめ坐すによりて 大宮売命と御名を称へ辞竟へ(おへ)奉らくと白す
これは「延喜式」の巻第八 「祝詞」にみえるもの。この他に「祈年祭」や六月の「月次祭」にも。
「大殿祭(おおとのほがひ)」とは、宮殿に災害のないように祈り鎮める儀式のこと(「デジタル大辞泉」より)。斎部(忌部)氏が屋船久久遅神・屋船豊受姫命・大宮売命の三神を祀っています。天皇と同殿の裏に坐して、親王や諸王などが過ちを冒さず心安らかに支えられるよう見守る神とされます。
天皇守護、造酒司の神格に加えて以上の神格をも有することが分かります。
◎出自
「古語拾遺」に太玉命の御子神として記されます。「(天岩戸の戸を開け天照大神を新殿に遷した)即ち天児屋根命 天太玉命 日の御綱(※)を以て其の殿に廻懸らし 大宮売神(※)をして御前に侍らしむ 」とあります。
※今 斯利久迷縄といふ 是れ日影の象(かたち)なり
※是れ太玉命の久志備に生みませる神なり 今世に内侍の善き言 美しき詞をもて 君と臣の間を和げて宸襟を悦懌びしむる如し
読み下しのままですが、おおよその把握はできるかと思うので省略します。記紀に関しては、同様の天岩戸神話の記述に大宮売神は登場しません。
大宮売神は本来、祀られる側の神ではなく祀る側の方の神。つまり巫女(シャーマン)。
したがって大宮売神が奉った神が存在したということになります。この天岩戸神話からみる上では、その対象は天照大神ということになるのでしょう。ところがそれは猿田彦大神ではないかとも考えられるのです。
「古語拾遺」等によると大宮売神はアメノウズメ神と同神とされています。猿田彦大神とアメノウズメ神とは一般には夫婦神とされ、仲睦まじい様子が石像などで表現されていたりもします。
一方で猿田彦大神については、「昔大麻山の峯に鎮まり坐しが後世に至り本社に合せ祀る」と(当社由緒より)。「大麻山」とは背後の御神体山。
太玉命や天日鷲神、その御子神(大麻比古神)など忌部氏系の祖神と、猿田彦大神とは別系統の神とみられています。切り離して考えられるのが普通ですが、果たしてそうなのでしょうか。大いに疑問を抱いており、個人的には忌部氏が斎祀っていた可能性があると考えています。
以上のことから当社の原初のご祭神は、天照大神あるいは猿田彦大神、いずれかだったのではないかと考えます。
大宮売神が謎に包まれてしまったのは、忌部氏の凋落が原因の一つでもあるように思います。
《~3に続く》