◆ 丹後の原像
【27.謎の大宮売神社にじわりと…~1】



ずいぶんとこのテーマ記事をごぶさたしておりました。

もちろん忘れていたわけではなく、やはり丹後へ向かわないと題材が浮かばないものです。いや…浮かびはするも、資料が整っていないというべきか。


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今回取り上げるのは大宮売神社

まだ十数回ほどしか参拝できていませんが、参拝のたびに心の高揚を覚える数少ない社。

これほどの霊地、聖地というべきものも
全国にはそう多くはないのでしょうが、

学者さんや研究者さんたちと、ごく一部の古代史ファンのみが熱くなっているだけのお社。


パワースポット云々や御朱印集めに奔走している低能な輩どもに、さほど荒らされていないのがさいわいなのかもしれません。

当社の研究そのものも、丹後史の流れの中だけでしかほとんどなされていないようにも思います。


あまり多くの目にさらされないように心掛けている当ブログ内で、ひっそり焦点を当て、こっそり紹介しようと目論んでいます。

研究などと大それたものではありません。
じわりと…。


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まずは、ごくかい摘まんでプロフを。

◎式内 名神大社の比定社
◎丹後国 二ノ宮
◎境内(ご本殿背後の禁足地)から弥生時代の祭祀用具と思われるものが大量に出土
◎宮中でも祀られる大宮売神(オオミヤメノカミ)がご祭神
◎鎮座地は「丹波郡」であり、「丹波国」(後に「丹後国」が分離独立)の中心地であった


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宮中八神のうち、主祭神として祀る社がほとんど無いのは、この大宮売神のみ。

「宮中八神」については「神祇官で祀られた天皇守護の八神」(Wikiより)と。
大宮売神については「宮殿の人格化とも女官の神格化ともいわれ、君臣の間を取り持ち調和を図る神とされる」(こちらもWikiより)と。

ごく稀に主祭神となっている社を見かけますが、地元の古老さんですら忘れかけたような小社のみ。少なくともこれまで参拝した述べ約2万社ではそうでした。


当社は唯一の式内社であり、しかも名神大社。大宮売神は当地出身なのかもしれません。

まったく事績の記されない謎の神。
そもそも記紀には登場していません。「古語拾遺」に太玉命の御子神として記されるのみ。

意図的に記さなかったという考えも起こるのは、当然の帰結。
そもそも皇室を守護するという、とてつもない大役を担う神にまったく触れられていない…こんなアホみたいなことが罷り通るのは古代史だけではないかと思っています。

日本古代史というのは、このようなアホなことが罷り通るのです。何もかもすべてを明らかにする必要など無く、秘されるべきものは秘されるべきである…神道とはこのような側面も持っています。

裏返せば「分かる人にだけ分かれば良い」ということであろうと解釈しています。

そうであるならば、「分かる人」グループに入りたいと思うのが、この好奇心旺盛なお兄さん(おじいさんとは言わない)の性。

可能な限り「分かる人」グループへのアプローチを試みます。そういう前提で起こしている記事です。


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事績がまったくの不明である以上、当地出身などという勝手な妄想も起こり得るものです。

「古語拾遺」の記述を信用するなら太玉命の御子神。その時代にここまで進出していたということに。ところが太玉命が活躍した時代など分かりようもないため、逆に境内からの出土物から弥生後期であることが分かります。


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この謎の大宮売神をアメノウズメ神に宛てているのが平田篤胤。

現在はこの説が有力視されています。確かに他に宛てようにも見当たりません。結論付けはなされないものの、かといって否定もしようがないといったところ。

また当社見解も天鈿女神とされているようです。

当社ご祭神は二座。神名帳においても同じ。
もう一座は若宮売神としており、こちらの当社見解は豊受大神であると。


(扁額には大宮売神と若宮売神の二座)



ここまでつらつらと記してきましたが、明らかにおかしいことに気付きます。初めて当社へ参拝して以来ずっと違和感を覚えつつ神前に上がっています。

「古語拾遺」には、「天岩戸から新殿に移った天照大神に侍女として仕えたとされ、内侍が善言美詞を駆使して君臣の間を和らげるような働きをしたとして記されている」(Wikiより)と。

また天鈿女命と同神とするのであれば、天岩戸神話においてストリップショーを演じたシャーマン(巫女)となります。




ご本殿背後一帯は「禁足の杜」となっており、祭祀用具とみられるものが多数出土した場所。

つまり大宮売神が巫女となり祭祀を行っていたと考えられます。したがって大宮売神は祀る方の側であり、祀られる方の側ではなかったのです。

巫女である者が神となり祀られている例は数多くあります。天鈿女命はもちろん倭姫命や豊鋤入姫命なども。

ただ当社の場合においては、大宮売神が祀った神がいたはずであり、その神が本来のご祭神であったということになります。


既に神名帳編纂の時代には「大宮売神社」と称されており、大宮売神がご祭神となっていたと思われます。

もう一座については社伝に頼る以外に資料は無く、確証は無いものの豊受大神という説に従うべきでしょうか。

大宮売神が祀っていたのは一体どの神だったのでしょうか。豊受大神と考えるのも腑に落ちません。異なる神だったように思います。



《~2へ続く》