椿大神社
(つばきおおかみやしろ)


伊勢国鈴鹿郡
三重県鈴鹿市山本町御旅1871
(P有)

■延喜式神名帳
椿大神社の比定社
[合祀] 石神社の論社、小岸大神社の論社
[境内社 縣主神社] 縣主神社の論社
[境内別宮 椿岸神社] 椿岸神社(三重郡)の論社

■社格等
県社
伊勢国一宮
現在は別表神社

■ 祭神
猿田毘古命
[相殿] 瓊瓊杵尊 栲幡千千比賣尊
[配祀] 天之鈿女命 木花咲耶姫命
[前座] 行満大明神
[境内別宮 椿岸神社] (主神)天之鈿女命 (相殿)太玉命 天之児屋根命


謎多き神である猿田彦大神を祀る「大本宮」と称する神社。
◎鈴鹿山脈の麓で、「高山入道ヶ嶽と短山椿ヶ嶽を天然の社として、高山生活を営まれた国つ神 猿田彦大神」を祀る社。また大神は「瓊瓊杵尊降臨の際、天の八衢(やちまた)に道別(ちわけ)の大神として出迎え、高千穂の峰に御先導申し上げ」、「倭姫命のご神託により、この地に道別大神の社として」創建されたと社伝にあります。
なお社名の「椿(つばき)」は「道別(ちわき)」からの転訛とされています。
◎また猿田彦大神の墳墓は当社にあるとされ、境内には古代祭祀跡として磐境(磐座)も(→ 境内社・史跡等一覧の記事参照)。墳墓については神域内であるため、調査等は行われていないようで詳細は不明。
◎ところが猿田彦大神の「大本宮」と謳っているものの、全国にある椿神社と関連が非常に薄く疑問視する声もあります。
この猿田彦大神の「大本宮」について、当社こそがと主張し真っ向から対立しているのが度会郡の猿田彦神社。皇大神宮近くに鎮座します。
当社宮司が「山本」姓を名乗っているのに対し、猿田彦神社の方は「宇治土公(ウジトコ)」姓。どちらも直系子孫であると主張しています。
◎「皇太神宮儀式帳」によると宇治土公の遠祖は太田命(大田命)としています。太田命とは初代大神神社の神主となった太田田根子のことかと。つまり猿田彦大神の裔が太田田根子であり、さらにその裔が宇治土公であると。
猿田彦大神は出雲国の「加賀の潜戸(くけと)」で生まれたと「出雲国風土記」には記されます。また丹後国には宇治土公の伝承が残り(伊根町の猿田彦神社の記事参照)、その地を経て伊勢国へ移ったのであろうと考えています。いわゆる海人族の一であろうかと。
◎「倭姫命世記」には太田命が倭姫命に土地を献上、天照大神が鎮まり皇大神宮となったとあります。つまり太田命は当地の地主であったわけで、太田命あるいは太祖の猿田彦大神はその地で祀られねばならないかと思います。皇大神宮正殿内に興玉社は鎮座していますが。
◎そもそも宇治土公氏は、豊受大神宮(外宮)の神官である度会氏(元は磯部氏)に仕えていました。ところが朝廷との繋がりを密にすることで度会氏を脅かす勢力に。また荒木田氏も台頭。荒木田氏が皇大神宮の神官に。度会氏が豊受大神宮の神官に、宇治土公氏が猿田彦大神を奉斎する氏族として落ち着いたのではないかとも。
かつて度会氏が一地方神として奉斎していた太陽神を、猿田彦大神として置き換えたのではないかとも考えています。
◎以上のように両社にもっともらしい痕跡があるものの、あまりに太古のことであるため根拠は脆弱。古くから議論がなされているも決めかねるというのが現状かと思われます。
◎また当社は式内社、そして一宮の比定社ではあるものの、いずれも鈴鹿市一ノ宮町にある都波岐神社ではないかとする説も。
◎境内には天之鈿女命を祀る美しい別宮 椿岸神社(別記事にて紹介、現在記事改定作業中)、境内に隣接して式内社の縣主神社、入道ヶ嶽山頂(905.4m)には奥宮(未参拝)、その途中に神集愛宕社(後ほど記事UPします)等が鎮座しています。

別宮 椿岸神社(8/11 22:02に改定記事をUPします)


*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


自身が申年ということもあり、年に2~3回ほどの参拝を長年続けています。