靜火神社 (静火神社)
(しずひじんじゃ)


紀伊国名草郡
和歌山市和田字前山855
(P無し、竈山神社から徒歩20~30分)


■延喜式神名帳
靜火神社 名神大 の論社

■旧社格
村社

■祭神
静火大神


近くの竈山神社の境内末社 稲荷神社に合祀されていたのを昭和25年に復社した社。明治の合祀政策によるものと思われます。
◎創建については紀氏、あるいは関連氏族の船木(舟木)氏の関与が考えられます。「住吉大社神代記」に「船玉神を斎祀るのは紀国の紀氏の神である、志麻神・静火神・伊達神の本社なり(大意)」とあります。志麻神は志磨神社、伊達神は伊達神社に祀られておりいずれも名神大社。「紀州三所神」と称されます。また同書 船木等本記条には「船木氏の遠祖 大田田命が船三艘を造り奉った。神功皇后はこの船に乗って新羅に遠征し、そして凱旋。その船を武内宿禰に命じて祀らせたのが志磨社・静火社・伊達社である(大意)」とあります。
なおこの「紀州三所神」の総本社とされるのは住吉大社境内社の船玉神社
◎これに対して伊太祁曾三神に関わる社であるとする考えも。日前神宮・國懸神宮の地にあった伊太祁曾三神を「亥の森」(三生神社)遷し、さらに三所にばらしたのは大和朝廷の傀儡となっていた紀伊国造家。伊太祁曾三神のうち、志麻神には大屋津姫、静火神(当社)には都麻津姫、伊達神には五十猛神が祀られていると考えることもできます。大和朝廷の傀儡とはならなかった紀氏が奉斎したのが伊太祁曾神社大屋都姫神社であるとも。
◎さらに別説として、紀の国(木の国)の鎮火を司る神として火結神(ホムスビノカミ、カグツチノカミ)とも。
紀氏(紀伊国造家)は大伴氏と同祖と考えられます(久米氏も同祖)。大伴氏の系譜として知られる「古屋家家譜」から、火結神(ホムスビノカミ、カグツチノカミ)を一族の遠祖としていたようです。おそらくは弥生時代の焼畑農業にまつわるものと考えられます。