棚機神社


大和国葛下郡
奈良県葛城市太田字七夕1371
(P無し、南阪奈道路沿い側道に路駐できます)

■延喜式神名帳
葛木倭文坐天羽雷命神社 大 の論社

■祭神
棚機神


日本で初めて「七夕(棚機)」の儀式が行われたとされる社。他にも日本初を謳うところがあるものの、当社こそが日本初として有力視されています。
◎鎮座地は「岩橋山」の東側麓の緩やかな丘陵地。現在はすぐ下を南阪奈道路が通っており、「道の駅 かつらぎ」から少し登ったところ。
◎葛城市サイトは以下の見解を示しています。━━5世紀頃、葛城山麓の周辺では葛城氏を中心とする有力豪族が存在し、その中には、染色技術を生業とする置始氏(オキソメノウジ)や、機織技術に富んだ倭文氏(シドリノウジ、シズリノウジ)などの伴造(ヤマト王権に仕える職能技術集団)がおり、中国南朝や朝鮮半島(百済・新羅)などから我が国に今まで伝来していなかった機台付の機やそれを織る織女、オトタナバタの説話や七夕儀礼(中国では機織り技術の向上を願う儀式)が三者一体となってもたらされました。
これを置始氏や、倭文氏が最初に受容していたので、七夕儀礼を天羽槌雄神やシタテルヒメを祭神とする、本来の鎮座地である葛城市太田で、日本最初の棚機の儀式が行われていたと考えられます━━
◎置始氏については、「始(ソメ)」が「染(ソメ)」が転訛したものと思われます。「新撰姓氏録」には以下の通り載せられています。
*左京 神別 天神 県犬養宿祢 神魂命八世孫阿居太都命之後也
*左京 神別 天神 大椋置始連 県犬甘同祖
*右京 神別 天神 長谷置始連 同神(神饒速日命)七世孫大新河命之後也
以上を見る限り、「県犬養氏系の大椋置始連」と「物部氏系の長谷置始連」との二系統存在していたことが分かります。氏寺は南方2km余りの置恩寺。北方3kmほどの葛木倭文坐天羽雷命神社の社前の地名は「染野」。関連があるようにも思われます。
◎もう一方の倭文氏については → 葛木倭文坐天羽雷命神社の記事にて。
◎式内大社 葛木倭文坐天羽雷命神社は元々当社にあり、中世の頃に博西神社に遷座。さらに現在は葛木倭文坐天羽雷命神社に遷座されたとしています。当社は遷座後も細々と祭祀が続けられてきました。
◎ご祭神の棚機神というのは、創建当時の下照姫神かと思われます。境内にある小さな古墳には下照姫が鎮まっているという説も。
◆当社を含めた「棚機(七夕)」「倭文氏」「下照姫」については以下を参照下さい。


写真中央のこんもりとしたところが当社。右側は南阪奈道路。

近年、境内をとてもキレイに整えられました。昔は鬱蒼として近づくのも憚るほどでしたが。








近年は盛大に七夕祭を行われているそうです。

鳥居横の古墳らしき盛り土。

ひょっとしたらここに下照姫が…

桜の季節には社前が華やかに彩られます。