葛木倭文座天羽雷命神社
(かつらきしずりにいます あめのはいかつちのみことじんじゃ)


大和国葛下郡
奈良県葛城市加守1045
(50m手前に大きなP有)


■延喜式神名帳
葛木倭文坐天羽雷命神社 大 の比定社
[相殿 葛木二上神社] 葛木二上神社 二座 大 月次新嘗 の論社

■旧社格
村社

■祭神
天羽雷命
[右殿 掃守神社] 天忍人命
[左殿 葛木二上神社] 豊布都魂神 大國魂命


全国の倭文神社の根本社とされる神社。
◎倭文神社を奉斎した倭文氏(シズリノウジ、シドリノウジ)は機織技術を持った渡来系集団、5世紀頃に葛城地域で伴造(とものみやつこ)として大和朝廷に仕えていたと考えられています。「新撰姓氏録」には「大和国神別  天神 倭文宿祢 神魂命之後大味宿祢より出」とあり、これが当社を奉斎した倭文氏ではないかと思われます。
◎紀の垂仁天皇の「一伝(即位39年)」には、五十瓊敷入彦命が太刀一千口を奉納した功として、十の品部を与えられたとありますが、その中に倭文部が含まれています。
南へ10kmほど隔ててはいるものの、棚機神社も鎮座。日本で最初の棚機(七夕)祭が催されたという伝承も。
◎鎮座地は「二上山」の北東中腹。「二上山」を神奈備山として捉え、奉斎された社であると思われます。
◎その倭文氏が奉戴したのが天羽雷神(天之羽槌雄神とも)。機織の祖神としての神格とともに、朝廷に最後までまつろわなかった天香香背男神(アメノカガセオノカミ)を討った武神としての神格も備えています。
◎加守神社は有名なウガヤフキアエズ神が誕生の際に、海辺に産屋を建てて天忍人神が箒で蟹(胎便)を払ったという加守(蟹守)家の説話によるもの。
「新撰姓氏録」には「大和国神別 天神 掃守 振魂命四世孫天忍人命之後也」とあります。
◎また葛木二上神社は奥宮(「二上山」山頂)の同名社 葛木二上神社の里宮ではないかとされています。当社は「二上山」の中腹に鎮座、当社からの登山口も。当社から豊布都魂神は石上神宮へ、大國魂神は大和神社へ勧請されたという伝承もあります。その二柱が祀られる由緒は不明(詳細は葛木二上神社の記事にて)。
◎なお境内には磐座らしきものがいくつか座しています。






「磐座」らしきものの写真は、整理でき次第追加掲載します。

「二上山」