博西神社
(はかにしじんじゃ)


大和国葛下郡
奈良県葛城市寺口1231
(P有、アクセスは北側の道路からでないと南側は砂利道で通行困難)

■延喜式神名帳
葛木倭文坐天羽雷命神社 大 の論社

■旧社格
村社

■祭神
[北殿] 下照比売命
[南殿] 菅原道真


当社東にある、屋敷山古墳の「墓西」に鎮座する社ということからの「博西(はかにし)」神社。金剛山麓の東側麓の丘陵地。「大和葛城山」からは北東、「二上山」の南東。間に挟まれた「岩橋山」のちょうど東側にあたります。

◎当社を式内大社 葛木倭文坐天羽雷命神社に宛てる説があります。その社は元々同じ葛下郡の棚機神社に鎮座していたといい、中世の頃当社へ遷座したとされています。さらに後に現社地から葛木倭文坐天羽雷命神社へと再遷座し鎮まったとするのが有力。
ところが当社に遷座する際に日が暮れたため同じ葛下郡寺口に日暮神社を祀ったとし、現在の葛木倭文坐天羽雷命神社はその日暮神社を遷座させたとする説も。
それが事実なら式内大社の神霊は当社に鎮まっていることに。なお日暮神社は金村神社の境内社として、今もなお祭祀が続いています。
◎真相は不明。「墓西」と称していた「墓」はただの「墓」ではなく、当社と関連のある「墓」なのかもしれません。そうすると重要な神が眠る古墳であるのかもしれません。葛城氏の始祖である葛城襲津彦、その御子の葦田宿禰の墳墓などとも言われますが。
◎下照比売命は葛城襲津彦が連れて来た渡来人たちが奉斎した神であろうと思われます。葛上郡・葛下郡・忍海郡と金剛山麓の東麓一帯に住み付き、それらを束ねていたのが葛城氏。
◎寂れた古社であるものの、境内は管理が行き届き、 またご本殿は姫神らしくとても美しいものです。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。




拝殿の扉を開けて拝します。

左殿(向かって右)が下照比売命を祀るご本殿。




左手は「大和葛城山」。