「七夕」祭の起源についてアプローチを試みたいと思っています。




これは「機織」や
また倭文氏(シドリノウジ、シズリノウジ)、下照姫神など

古代史復元の非常に重要な要素の一つ、
なかなか大変な作業ですが

自身の勉強を兼ねて。
そして下照姫は今年もっともご縁のあった姫神でもあるので。




いつも通りにくだけた文調にて。
(いずれは論文並みのものにできればと)



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誰もが知っている七夕(たなばた)。

「七夕祭」が庶民の「イベント」となったのは
江戸時代のことです。
それまでは宮中儀礼でした。


古代史に興味のある方なら
「七夕」→「棚機」→「機織」と連想をすることでしょうし、

そして「棚機姫」とは

川の畔でせっせと作業を行い、
ひたすら神が降臨するのをひたすら待ちわびる
健気な処女。

…などということも。

皇祖神である天照大神もそうだったのでは?


おそらく当初は選ばれし女性であり、
「神の一夜妻」となる栄誉な女性であると称えられていたはず。

ところが時を経るにつれ、現実に戻ります。
「あれ?ひょっとして私っていつまでも処女のままなのでは???」


少々脱線しましたが、

その「棚機姫」として連想されるのは
天照大神、栲幡千千姫(タクハタチヂヒメ)であり、

さらに古代史に詳しい方なら
いや、下照姫こそが!

…となるのだろうと思います。


御炊屋姫も!大来目皇女こそが!
といったところは、また別の機会にでも。


今のところ「元祖 棚機姫(棚機津姫)」は
下照姫神であるとして進めていきます。


時は「倭の五王」の時代、5世紀頃。


Wikiなど公には奈良時代、または「遅くとも奈良時代」のこととされています。

確実な資料が無い限りは…などという机上の理論はさておき、
ここではぶっちゃけた現実味のある内容を。


文献資料の乏しい5世紀頃、
古墳時代中期、最盛期とでも呼んだ方が分かりよいでしょうか。

倭の五王たちは積極的に外交政策を進めました。
その際に中国大陸や朝鮮半島からさまざまなものが伝来されました。

「たなばた」なるものも、
その時に中国からもたらされたと考えられています。

(個人的にはもっと遡って崇神朝の頃の可能性もあるとみています)


おそらくこの時期には、
鉄資源の確保という背景もあったかと思います。

そして葛下郡、忍海郡、葛上郡に
当時の最新技術をもたらした多くの渡来人が住み着きました。

その最新技術には、「棚機」という新しい機械を用いた技術も。

その「棚機」という新しい機械を駆使した機織技術をもたらした渡来人を束ねたのが
倭文氏(シドリノウジ、シズリノウジ)であり

そして、その渡来人たちが奉斎していたのが下照姫であろうと考えられています。


さて「棚機」という機械について。

「棚」の付いた織り機ということらしく、

詳細は専門家にお任せするとして…
手編みと機械編みの違いのようなものではないかと勝手に解釈しています。



ここまでで
「棚機」「倭文氏」「下照姫」のキーワードが出揃いました。

残すは「七夕」のみ、それは次の記事にて。