「離愁」(13)
運河沿いの広々した草むらに思い思いのグループができていてまるで平和な時のピクニックのような光景が展開している。酒場女のジュリーを囲む一団,片手のない男と赤ん坊連れの若い母親,そしてアンナとマルセル。
片手のない男は木の葉っぱで赤ん坊をあやしている。
- 父親は?
- 分からないの。男は3人いるけど誰にも似てないの
- 結婚は
- どうでもいいの
- 変わってるね
ぶどう酒の栓を抜きながらのマルセルとアンナの会話:
マルセル:「日曜日だ」
アンナ:「本当?」
マルセル:「数えていた」
草むらの向こうには尼僧たちが牛を放し飼いにしている様子が見える。ジュリーを囲む一団からは笑い声が起きている。
それを見たアンナは眉をひそめて言った。
「気が知れないわ」
「戦争のせいさ。」
「私は外国人で…」
すかさずマルセルは尋ねる。
「国は?国はどこ」
アンナが答えを躊躇しているのを見たマルセルはアンナの横に座り,もう一度まじめに質問する。「国は?」
ややためらった後アンナが答えた。
「ドイツよ」
「なぜここに?」
「ベルギーの難民収容所にいて解放されたの」
「帰国しないのか」
「ユダヤ人だもの。ドイツでは嫌われ者よ。」
私も収容所に行けば殺される,というアンナにマルセルは尋ねる。
君たちは何かしたのか,なぜ国民は黙っているのかと。アンナの答えはこうだった。
「みんな弾圧が怖いもの。しかたないわ」
「ひどい話だ」
「そうね」
マルセルはアンナの顔を見て念をおすように言った。
「本当かい?」
頭上にドイツの飛行機が飛来した。爆撃と勘違いして逃げ惑う人々の上にビラが大量に降ってきた。
その一枚を拾い上げたアンナが読みあげる「フランス人よ速やかに家に帰れ,危害は加えない。」
「あなたの言うことが本当なのかもしれないわね。」
休日を途中で切り上げて列車は走り出した。車中では戦線の状況や避難先について論じられている。沿線ではもう踏み切り番さえ逃げ出してしまっていた。
疲れて眠りたいという若い母親からアンナは赤ん坊を預かった。
列車はポアチィエ駅の10分前まで来ていた。後方では橋が爆破され,もう後戻りはできないと駅員が電話している。これが最終列車だと。
「ヒトラーは北から攻めてきやがった」
「南は安全かもしれない」
「ファシストに追われて逃げ回るばかりさ」
老人がまた愚痴を言った「前の大戦で終わりだと思ったのに」
口紅を塗りながらジュリーがうるさく付きまとう町医者に言う。
「止めてよ」
別の男が言う。
「今に終わるさ」
脱走兵が答える。
「それまで俺たちは生きちゃいないよ」
塗りたくられた赤い口紅を見て町医者が言い寄る。
「君を見ていると燃えてくる。」ジュリーが下卑た顔をして応ずる。
「見なくても,でしょ」
あたりに笑い声がこだまし,泣き出した赤ん坊をアンナが笑顔であやしている。
町医者の攻撃を受けながらジュリーが笑うその下卑た声が,突然名も無いドイツ兵,ヒトラー,ゲッベルス,そしてゲーリングの笑う
顔に続いて行く。
その時,列車の後尾から戦闘機が急接近し,機銃掃射の連射が列車全体を縦に貫いた。
主人公たちの貨車では町医者と酒場女が抱き合ったままで即死し,若い母親も胸を貫かれて即死した。前の客車や機関車からも被害者が出た。列車自体が被弾して動けなくなった(続く)。
「離愁」(12)
主人公たちの貨車では持ち帰ったブドウ酒と食料で宴会が始まった。酒場女(ジュリー)がフランスの伝統的な庶民の歌を歌いだし,一座の真ん中に立ってラインダンスを下品にしたような踊りを始める。
その騒ぎから離れて二人が会話している。アンナの表情は暗い。宴会が本当は不安を打ち消すための半ば自棄から来ていることを知っているマルセルは言う。
マルセル:「みんな退屈なのさ」
アンナ:「退屈?だって戦争中なのよ。戦争なのよ」
そしてじっとマルセルの顔を見ると「兵役は」と聞いた。
マルセル:「二級免除だ」
アンナ:「え,何ですって,意味が分からないわ」
マルセル:「僕は近眼だから。」そして片腕の無い男をさして言う。
「あの男が一級だ。僕は子供の時からメガネが嫌だった。フクロウとあだ名をつけられてね。女の子にももてなかった。そのうち慣れたけど。」
アンナはそのメガネの顔をじっと見つめ,それからマルセルのメガネをとって自分でかけておどけてみせる。
踊りが終わって休もうとする時までしつこく迫る町医者から逃げるように二人の隣にやってきたジュリーをなおも町医者が追いかける。ジュリーが言う。
「よしてよ,もう何回も楽しめる年じゃないのよ。」
そして列車は終に駅に到着した。ホームには赤十字の援護隊が待ち構えている。場内アナウンスが流れる。
「ムーランです。スダン方面から避難して来られた方は1番ホームの相談所においでください。ご家族,親戚,ご友人についての情報をお知らせします。」
貨車では用意はできたが決心がつきかねているマルセルに,アンナが言っている。
「行ったら?ここで待ってるわ。」
相談所のある1番ホームへの地下連絡通路は安否を尋ねたい人々で押し合いへし合いの混雑であり,殆ど先に進めないほどだった。騒然とした中でそれでも何とか近づきたいと焦る人々の頭上に爆撃音が聞こえ,空襲警報が突然鳴り出した。人々は一転,われ先に逃げようとするが身動きがとれない。決断が迫られた。
貨車ではアンナが手で顔を覆ってうずくまっている。
マルセルはとりあえず止まっている客車の中に妻と子供がいないか見て廻る。しかし客車に乗っているのはどこか別方面から来た人々と,戦線から戻ってきた兵隊達だけだった。貨車の上からそれを見ていたアンナは,マルセルの方に腕をいっぱいに伸ばす。早く戻ってきてと訴えているようだ。また同じ面々がその貨車に集まって来くると,慌しく避難列車は発車する。赤ん坊連れの若い母親も戻ってきた。やっと腰を下ろしたマルセルにアンナは言う。
「次の駅で会えるわ」
「そうだね。」
果たしてそうか。画面にはまたドキュメンタリー・フィルムが挿入される。侵攻するドイツ軍の戦車と爆撃隊。そして地上のあちこちから上がる黒い煙。林の中の大型砲からは次々と砲弾が発射され,彼方ではそれが着弾して爆発している。それを背景にドイツの歩兵たちが進軍を続けている…
また画面に色が着き始めると,列車に並行するように徒歩や車で鉄橋を渡って避難する人々の列が映し出される。列車は郊外の安全な場所にひとまず停車することになった。運河の傍ののどかな町。まぶしい陽光の中,子供がおもちゃのヨットを運河に浮かべている。気がつけば今日は天気もすこぶる快適な日曜日なのだ。
戦争のさなかの日曜日。人々はどう時間をすごすのだろうか(続く)。
「離愁」(11)
目を覚ますと列車は停止しており,前方には保線工事を行っている工夫たちが見える。そこは昨夜見た民家の先にある田園に囲まれた少し大きな村であった。列車は補修もかねて一日中停車することになった。戦火の間にぽっかり空いたような時間が避難民たちに与えられた。
一部の者は村の中心部にまで入って行き,住民が避難したあと空き家となっている家々の物色を始めた。
二人は皆とは別行動で線路に近い農家の一軒家を休息場所とする。上半身裸になってこれまでの身体の汚れを落としているマルセルの頭に水をかけながら世話をするアンナ。そしてさっぱりした笑顔で今度は君の番だとマルセルが促すと,笑顔で女はこう言った。
「あの時,ジュリーがわたしにウィンクしたわ」
「君はどうしたの」と笑いながら聞くマルセル。
「わたしもウインクを返したわ」
「今度は君の番だ」とマルセルはしゃぐように女の身体に水を撥ねかせた。アンナは躊躇無く黒いワンピースの上着を脱ぐと,途中でネックレスがシュミーズに引っかかり,ちょっと羞にかんで笑う。シュミーズの上から水を浴び,髪を撫で付けた。洗い終えたアンナが立ち上がって微笑むと,濡れた生地からは上半身が透けて見えていた。相変わらずひっ詰めに髪を結っているけれど,アンナの笑顔はマルセルにはまぶしいくらいだった。
離れたところにいた農耕馬が二人の方にやってきて水を飲み始めた。
「老馬ね」
「うちの村にもいた。」
「うちの村って?」
「フメイだ。」
「家族は?」
「7歳の娘がいる。君は?」
「いるわ。」
「心配じゃないのか?」
「考えないことにしてるの。」
打ち解けて話している二人の頭上を突然轟音をあげてドイツの戦闘機が通過した。鉤十字が見える。
「はじめてだ。」
女はさほど顔色を変えない。
「そう?」
しかし,止まっていた列車は出発の汽笛を強く鳴らした。束の間の休息が終わり,人々はまた列車に戻っていく。手に手に戦利品を持ちながら。
列車が先に進めば,次の駅でもう別れなければならないことは二人もよく承知していた。