映画探偵室 -1987ページ目

もう1つの離愁

私の運命の女:

離愁の最後はマルセルがアンナのために,おそらく生きては帰れないであろう収容所送りを自分も受け入れた場面になっている。知らぬ振りをすることもできたのに。
この後どうなったかは同監督(ピエール・ドゥフェール),同ロミー・シュナイダーの別の映画「窓辺にたたずむ女(探偵訳)」(A Woman at Her Window)(1977年)で語られている。つまり収容所での両人の処刑。ただし,「窓辺にたたずむ女」では男と女の立場が逆になっており,追われているレジスタンスの青年(既婚者)をギリシャ大使夫人がかくまって助け,その後彼と行動を共にする設定である。
「窓辺にたたずむ女」はある意味で「離愁」の補足であり,離愁の中でアンナが旧約聖書の中の一節(詩)をマルセルに語っているように,窓辺にたたずむ女では主人公はただのブルジョアではなく,詩人ということになっている。じつはこちらは私にとって二度おいしい。
戦後イタリアに引き取られた娘が成長して母親の詩を図書館で見つけることから,母親の人生をたどる物語が始まるのだが,その娘もロミー・シュナイダーが演じているからだ。この映画はおもいがけずTVで何度か放送された。午後のいわゆる再放送の時間帯にTVをつけたところ,ロミー・シュナイダーの顔が出たので「やった」と思ったものだ。BSでも見るここができた。そしてVTR(海外版)を取り寄せた。

実は私にとってもロミー・シュナイダーは運命の女と言える。遠い昔,ロミー・シュナイダーそっくりな女に出逢ったからである。彼女はウィーンのお金持ちの娘で,おそらく結婚を控えての最後の自由時間として,イスラエルのキブツに来ていた。あまりの美人さに男は誰も気安く声もかけられず遠巻きにするばかりだったが,ずうずうしい日本人のワタシだけは近づきになれた。彼女の名前はジャネット・シュタイナーという。しかし話してみるときさくな,快活な女性で,ワタシがキブツを後にするときには「きっとウィーンの家を訪ねてね」と言われたのだが,後日彼女の家の前まで行ってはみたものの思い返し,会わずに帰ってきた…
鴎外の「釦(ぼたん)」の詩が思い出される。
「ベルリンの都大路,パッサージュ,電燈青き店にて買いぬ。二十年(はたとせ)前に。黄金髪揺らぎし乙女,エポレット輝きし友,はや老いにけん。死にもやしけん。」
オーストリアに鉄道を敷き,壮麗なウィーン駅を建設させたシシー・エリザベート皇后の生涯を描いた映画「シシー」でエリザベートを演じたのが当時17歳のロミー・シュナイダーだった(後にルートヴィッヒで同一人物を演じている)ことは1つの暗合であろうか。

ドイツ兵に乱暴されたあげく娘ともども殺された妻の復讐をはたす平凡な男の物語,フランス映画「追想」の妻役もロミー・シュナイダーで,この夫を演じたフィリップ・ノワレ(「ニューシネマ・パラダイス」の映写技師)は「窓辺にたたずむ女」では主人公の最もよき理解者,元ボーイフレンド役出演している。


「離愁」(エピローグ)

雪の日、部屋で修理中のラジオに耳を傾けるマルセルと、それに寄り添う身重の妻の様子を背景に、マルセルの言葉が流れる ―
「アンナが消えて3年が経つ。占領下物資は乏しいながら僕らは1940年冬には元の生活に戻った。1941年の春と秋は何事もなく過ぎた。思い出もあまりない。アンナのことは黙っていたが、妻は少なくとも何か感じていたようだ。私との別れもかんがえただろうか。とにかく妻は悩みも怒りもしなかった。情熱や嫉妬とは無縁の女だ。だがドイツ軍のことは怖がっていた。本能的にも肉体的にも。彼らの足音や音楽にも。彼らが壁に貼る不吉なポスターにも。そして1943年の冬、忘れもしない雪の日だった。」

それはドイツ支配下にあるフランス秘密警察からの呼び出しだった。マルセルの妻を名乗るスパイを捕まえたので、身元確認をお願いしたいということだった。
さし迎えの車が来てマルセルは警察署に赴く。部屋では刑事が愛想良くマルセルを迎え、身分証らしきものを見せながら言った。
「遠いところをご苦労様です。この女をご存知ですか」
マルセルがそれを手にとって見ると、それは明らかにアンナのものだった。
名前はマロワイエとなっているが、ベルギー生まれで国籍はイギリスになっていた。
そして現住所がマルセルの家で、マルセルと結婚していることになっている。
マルセルがその身分証をじっと見ているのを観察しながら、刑事は言った。
「ご存知ないようですな。そうだと思いましたよ。きっと誤解でしょう。名前を悪用されたんですよ。1940年の5月にラ・ロシェルにいましたか?」
「はい」
「この女もそうですよ。アンナ・クフェールという名前に覚えがありませんか」
「いいえ」
「よかった、面倒に関わらなくて。」そして身分証を再び取り上げると言った。
「ラジオ修理工は目をつけられやすいんです。ある種の者、女スパイなどが近づいてきます。」そして帰るつもりでドアのほうに向かうマルセルに声をかけた。
「どうもご足労かけました。そうだ、ついでに会っていただけますか?」

実は別のドアの向こうに女を待たせてあったのだ。沈黙の中で質素なコート姿の女が入ってきて、マルセルの隣の椅子に座った。すこしやつれていたが紛れもなくアンナであった。しかしアンナはマルセルを見ても表情をまったく変えなかった。マルセルの方は、呆然と彼女の顔に見入った。
刑事が聞く。
「写真と違いますか?」
その言葉をきっかけにマルセルとアンナは互いに見詰め合う。アンナの目は一瞬何かを訴えたようだったが、何も言わず正面に向き直った。
その様子をじっと見ていた刑事が言う。
「もう帰っていいですよ。」
しかし、いったん椅子から立ち上がってドアのところまで行ったマルセルは、そこでまた振り返った。マルセルとアンナの目が再び合った。見詰め合う二人に張りつめた時間が流れる。やがてマルセルはアンナのそばに近寄ると彼女の顔に手をあてた。マルセルがおずおずとした微笑みを見せ、アンナの顔には驚きと喜びが走る。見つめあううちにマルセルの顔には決断を終えた強さが表れてきた。そしてそれが女に対するいたわりの笑みに変る。二人はしっかりと見つめあった。
刑事は言う。
「やはりね。思ったとおりでしたよ。女がレジスタンスに誘ったのか、それともレジスタンスがドイツ人の連絡員を使ったのか、これで説明がつく(探偵注:フランスで活動するレジスタンスはイギリスに亡命政権を打ち立てたドゴールからの指令をBBCなどを通じて受けている)。」
そんな刑事の言葉が聞こえている中で、アンナはマルセルの身体に顔をうずめると泣き崩れた。マルセルは愛しむようにアンナの髪をなでる。あのテーマが流れて二人の表情がストップ・モーションになった(完)。


「離愁」(16)

海を臨む中世の要塞跡に出る階段に二人は腰掛け,これからどうするか考える。アンナを1人にした時の用心としてマルセルはアンナに尋ねる「名前は?」
アンナは答える「マダム・ロワイエ,Yの付いた。」そして少し笑った。さっき相談所でマルセルが自分の名前のスペルを言ったのを覚えていたのだ。
そしてマルセルは1人で赤十字相談所に家族の居場所を確認に行き,アンナは公園のベンチで待つことになる。相談所から出てくる人々はみな何故か落胆が隠せない人たちばかりだった。マルセルも不安になる。
帰ってきたマルセルとアンナの会話:
「ヴィリエの病院にいるそうだ。ロワール川の上流だ。ここからバスで行く」
「わたしも一緒に行くわ」
「ドイツ兵が大勢いるそうだよ」
「行くわ。離れたくないもの,まだ」
バスで向かった先のヴィリエの病院もやはり鉄の門で囲まれておりドイツ兵に警護されていた。門前には入院者の家族のものと思われる避難用の荷物が山済みされた車が並んでいる。入院希望者の一時宿泊施設に廻ると,そこも満員だったが,受付の女が自分の私室を提供するということで,ひとまずそこに落ち着いた。ベッドに倒れこんでしまったアンナはマルセルに言う。
「奥さんに会えるわね」
マルセルは気の毒そうに微笑んだ。まんじりともしない夜を二人は抱き合って眠り,そして朝が来た。車の走る音でアンナは目を覚ます。外も見ずにアンナはエンジン音だけで「ドイツ兵ね」という。窓辺にいたマルセルが外を見ると,ドイツ兵を乗せたオートバイや機関銃を据えたサイドカーが宿泊客の車の列の中をゆっくりと走り過ぎていく。
二人は正装して荷物を持ち,一緒に病院の門を潜った。マルセルが看護婦から様子を聞いてくる。アンナが二階へと通じる階段下のベンチで待っていると,微笑を浮かべたマルセルが戻ってきた。
「男の子だった。」
「うれしい?」「ああ。」
笑顔で二階の方を見上げながらマルセルは言う。
「娘にも会ってくる。」
一緒に行こうとしてアンナが立ち上がると,それを制してマルセルは言った。
「すぐ戻る。」
「じゃあ。」
「後で。」
マルセルがらせん式の階段を上りきって見えなくなると,しばらくしてアンナは決心が着いたかのように大きく息をした。そして立ち上がり,静かに病院の門に向かって歩く。警護の兵隊が口笛を吹く。
「ここにはフランス美人がいるぜ」
ドイツ兵が大勢見守る中もアンナはかまわず毅然とした態度で歩き,手近なバスに乗り込んだ。
車中では前を向いたままだったアンナは,バスが走り出すと病院の方を振り返り,いつまでも後ろを見続けているのだった(続く)。