もう1つの離愁
私の運命の女:
離愁の最後はマルセルがアンナのために,おそらく生きては帰れないであろう収容所送りを自分も受け入れた場面になっている。知らぬ振りをすることもできたのに。
この後どうなったかは同監督(ピエール・ドゥフェール),同ロミー・シュナイダーの別の映画「窓辺にたたずむ女(探偵訳)」(A Woman at Her Window)(1977年)で語られている。つまり収容所での両人の処刑。ただし,「窓辺にたたずむ女」では男と女の立場が逆になっており,追われているレジスタンスの青年(既婚者)をギリシャ大使夫人がかくまって助け,その後彼と行動を共にする設定である。
「窓辺にたたずむ女」はある意味で「離愁」の補足であり,離愁の中でアンナが旧約聖書の中の一節(詩)をマルセルに語っているように,窓辺にたたずむ女では主人公はただのブルジョアではなく,詩人ということになっている。じつはこちらは私にとって二度おいしい。
戦後イタリアに引き取られた娘が成長して母親の詩を図書館で見つけることから,母親の人生をたどる物語が始まるのだが,その娘もロミー・シュナイダーが演じているからだ。この映画はおもいがけずTVで何度か放送された。午後のいわゆる再放送の時間帯にTVをつけたところ,ロミー・シュナイダーの顔が出たので「やった」と思ったものだ。BSでも見るここができた。そしてVTR(海外版)を取り寄せた。
実は私にとってもロミー・シュナイダーは運命の女と言える。遠い昔,ロミー・シュナイダーそっくりな女に出逢ったからである。彼女はウィーンのお金持ちの娘で,おそらく結婚を控えての最後の自由時間として,イスラエルのキブツに来ていた。あまりの美人さに男は誰も気安く声もかけられず遠巻きにするばかりだったが,ずうずうしい日本人のワタシだけは近づきになれた。彼女の名前はジャネット・シュタイナーという。しかし話してみるときさくな,快活な女性で,ワタシがキブツを後にするときには「きっとウィーンの家を訪ねてね」と言われたのだが,後日彼女の家の前まで行ってはみたものの思い返し,会わずに帰ってきた…
鴎外の「釦(ぼたん)」の詩が思い出される。
「ベルリンの都大路,パッサージュ,電燈青き店にて買いぬ。二十年(はたとせ)前に。黄金髪揺らぎし乙女,エポレット輝きし友,はや老いにけん。死にもやしけん。」
オーストリアに鉄道を敷き,壮麗なウィーン駅を建設させたシシー・エリザベート皇后の生涯を描いた映画「シシー」でエリザベートを演じたのが当時17歳のロミー・シュナイダーだった(後にルートヴィッヒで同一人物を演じている)ことは1つの暗合であろうか。
ドイツ兵に乱暴されたあげく娘ともども殺された妻の復讐をはたす平凡な男の物語,フランス映画「追想」の妻役もロミー・シュナイダーで,この夫を演じたフィリップ・ノワレ(「ニューシネマ・パラダイス」の映写技師)は「窓辺にたたずむ女」では主人公の最もよき理解者,元ボーイフレンド役出演している。