映画探偵室 -1991ページ目

「離愁」(7)

避難列車の乗客たちが疲れてまだ眠っている夜明け前から駅では列車の入れ替え作業が行われていた。それぞれの行く先に合わせて切り替えられるポイント。まるで人生の岐路でもあるような。その一つは前線に向かうのだろう,若い兵士ばかりを乗せた列車である。各窓には間に合わせとすぐ分かる小さな三色旗が描かれている。皆小銃を肩のところにおいて疲れきった様子だ。(中に1人だけ起きていて日記らしいものを書いている青年が見える。)ベルギーからの難民を乗せた列車も到着していた。それらの列車のやりくりの中で,ラジオ修理工と謎の女を乗せた貨車群は,先頭部の客車から切り離された。その様子を一人起き出してじっと眺めていたのは修理工と一触即発になったあの男だけだった。客車の中の修理工の妻たちもやはりまだ眠ったままだった。男は貨車の中を振り返り,あの女が修理工の男に寄り添うように眠っているのを見てにやりとする。そしてその列車は先に駅を出て行き,主人公達の貨車はベルギーからの難民の客車の後部に連結され,そして出発した。
やがて起きて来た者たちは扉を開けて車外を流れる景色を眺めている。川沿いののどかな,まるで「世界の車窓から」のような,戦争など嘘のような時間が流れる。牛車をあやつる農夫や,遊んでいる子供たちも見える。女も晴れ晴れとした顔をして皆に加わり,「いい天気ね」と言った。あの喧嘩相手の男はすかさず皮肉っぽく言う。「客車は今朝はやく切り離された」。
貨車から飛び降りようとして皆に止められ,座りこんでしまった男に,女は脚を組んでタバコを喫いながら慰めの言葉をかける。「奥さんとは次の駅で会えるわよ」。
しかし,そこに何の保証もないことを女は知っているのだ。その証拠に,次の場面はまたあの白黒のドキュメンタリーとなる。スツーカ爆撃機やユンカース急降下爆撃機が次々と大型爆弾を投下し,家々が焼かれていく様子が続く。今は戦争中なのだ。そして今度は橋の手前で停車した(続く)。


「離愁」(6)

話は戻るが,その女がタバコを喫うところを見たのはこれで二度目だった。この少し前,満員になった貨車の中で,赤ん坊が泣き出したのをきっかけに女は別の表情を見せた。お乳をあげなければ,という若い母親の方に向き直ると,赤ん坊の頭を愛しそうになでた。人相の悪い男は母親の胸の辺りを食い入るように見つめている。そしてあの女をも。貨車がトンネルに突入して煙が容赦なく入ってきたのをきっかけに1人の男が車座の真ん中に座り体験談を始めたときにも女は表情一つ変えなかった。「防空壕に入って激しい爆撃を避けていたが,終わって地上に出てみると一面焼け野原だった」すかさず合いの手が入る「陰気な話だ。もっと陽気な話はないのかね」。このあたりは欧州人のアネクドート好きを知っている人にはなるほどと思うところだ。彼らは本当に話好きで,機会があれば必ずこんな風に「物語る」役を務める者が現れる。民衆の知恵がこうして積み重ねられていくのである(「木靴の樹」でもこうした場面がある)。
ドキュメンタリ・フィルムが挿入されて哀調を帯びたテーマ音楽が流れる。この話をきっかけに男は間近から女の美しいがどこか暗い横顔を穴の開くほど見つめた。謎めいた硬い表情の秘密が少しづつ見えてきつつあった。しばらくすると女はタバコを吸い始めた。ご存知ゴロワズである。人相の悪い男が主人公に向かって何か無言で合図する。彼は彼でタバコを喫う女に特別な関心をもっていた。彼の身の回りにはそんな女はいなかったからだ。その女はおそらく今までに彼が出会ったことのないタイプの女らしかった。


どんな風にしてこの列車に辿りついたのだろう。女は片手にタバコの吸いさしを持ちながら,差し出された4合瓶ほどの瓶から無造作にラッパ飲みして,見守っていた男に返した。男は瓶の口に着いた口紅を見咎めたのか「いいんだ」といって受け取らなかった…
妻のところへとって返した男はしかし,遅くなった言い訳を妻にこう言った。「瓶が割れてしまったので。」疑いの表情をちらと浮かべた妻からの次の言葉は「貨車には知り合いがいるの?」だった。それは単にフランス・パンのサンドイッチを渡すための問いかけに過ぎなかったのか?男は顔に手をかけて引き寄せようとする妻を振り払い「もう発車するから」と言い残して列車の後尾に急ぐ。男の心は明らかにあの女に傾きはじめていた。
ところが,貨車に帰ってみると女の姿はない。貨車の傍に立っていた老人が言う。「彼女は逃げたよ。こいつらのせいだ」。しかし,女は逃げ出したのではなかった。水の瓶の一件を済まないと思ったのか自分で水を汲みに行ったと見え,向こうから瓶を抱えて必死で走って来る姿が見えた。

女は瓶を差し出すと「これをどうぞ」と言う。その言葉を捉えてすかさず人相の悪い男が言う。「アルザス訛りだ」。別の男が言う。「ひょっとしてスパイじゃないのか」。
それを聞いて気色ばんだ男に追い討ちをかけるように「独占した積もりでいるぜ」と言う言葉が投げつけられる。人相の悪い男が女を力ずくで追い立てようとした時,今度ばかりは男は我慢しなかった。「止さないか」。人相の悪い男は女から瓶を取り上げると貨車の縁に叩きつけ,割れた瓶を逆手にもって主人公に対して身構える。しかし主人公はメガネを外して毅然とそれに立ち向かう姿勢を見せた。脱走兵とおぼしき男が止めに入る。「争いたきゃ北部戦線に行くんだな。それが怖くて逃げているんなら,もうこの辺で止さないか」。う~ん,この辺は確かにフランス人らしい決着のしかただ。

妻や子供のために汲みにいった水をその女にやってしまう。その裏には,彼女の「J’ai soif (喉が渇いたわ)」という言葉がある。この言葉はキリスト教徒なら唸るところだろう。何でもないようだが,これは十字架上のイエスの最後の言葉,「私は渇く」なのである。女は何に渇いていたのだろう。救われた女はほんの少し男に気を許した風情で隣に座った。そして列車は出発し,夜が来た。狭い貨車の中で殆どの者が眠れないでいるというのに,町医者と薄手のワンピースの酒場女は辺りかまわず夢中で求め合っている。ワンピースが捲れて太ももが露に見えたか見えないうちに,中年太りの町医者がいち早くイッテしまうところはこの映画の唯一笑える場面ではある。黒服の女はそれを見ていたのか,男の肩に頭を寄せ掛けた。列車は遠く爆撃の音が聞こえるシャルルヴィルを過ぎた深夜の駅で止まった(続く)。


「離愁」(5)

内気だと自分でも認めている男にとって,それは危険な,それも暗い運命に引きずり込まれそうなあまりにも魅力的な女性であった。

河沿いの美しい田園地帯を走る列車はまもなく給水のため停車した。するとその機会を捉えて別の一団が列車に乗ろうと続々とやってきた。軍隊から見放されたのだという。余裕があるにも関わらずこれ以上詰め込まれてはかなわないと慌てて扉を閉める町医者とそれを冷笑する酒場女。しかし,開けろと外から呼びかけられ,車掌に中の様子を見取られて「おうおう,立派なフランス人だこと」と皮肉を言われ,新たに避難民を貨車に受け入れることになる。その中には人相の良くない痩せた男や老人,脱走兵らしき男,そして赤ん坊を抱いた若い母親(アンヌ・ヴィアゼムスキー,「帰らざる夜明け」でアラン・ドロンを誘惑する若い子持ち女)がいた。

寄り道になるが,この「立派なフランス人だこと」という皮肉はフランス人にとって決定的だ。それは民衆の力で革命を成し遂げた自負があるからである。三色旗の前にはフランス人は皆素直に頭を垂れる。ノルマンディー上陸作戦後,終戦が確定して亡命政府のドゴール将軍が凱旋したとき,共に戦争に耐えて来た国民がその一挙一投足を見守るなか,彼は徒歩で凱旋門をくぐると迷うことなく演壇に立ち,そしてラ・マルセイエーズを歌ったのだった。三色旗そしてラ・マルセイエーズはどの国の国旗および国歌にも勝る特別なものなのである。(「カサブランカ」ではリック(ハンフリー・ボガート)の店でドイツ兵が大声で「ラインの守り」を歌うのに対抗してラズロというレジスタンス指導者がラ・マルセイエーズを歌うよう先導し,それが大合唱となり酒場女までが泣きながら歌うシーンはあまりにも有名である。この「カサブランカ」で長いものには巻かれろ式にドイツ人の言うなりになっている怪しからぬ警察署長(実はフランス人の誇りは忘れていない)が,後にシムノンの「汽車を見送る男」で主人公のキース・ポピンガを演じたクロード・レインズである。こんな所にもシムノンの蜘蛛の巣の広がりが感じられる。)

様々な背景を持つ人々を乗せ,また列車は走り出す。やがて給水のためしばらく停車することになった。給水の合間に人々も思い思いに休息を取ろうとする。男はすぐに様子を確かめに妻のいる一等車に向かって走る。水が欲しいと言われて水を汲みに水道の所にできた行列に加わり,ようやく瓶2本分を確保したとき,彼の視界に入ったのは,線路脇の草の上に1人立ってタバコを喫っているあの女だった。線路を何本かまたいでこちらにやってきた女は言った「わたし,喉が渇いたわ」(J’ai soif)(続く)