映画探偵室 -1992ページ目

「離愁」(4)

ではこの男の運命は本当はいつから動き出したのか。前回書いたように,確かにそれは爆撃のニュースを聞いたときからであるが,それは彼にとってある意味では待ち構えていたものであった。

「ただならぬ事態で緊急に様々なことを片付けなければならず,とりわけ近所づきあいや妻の親戚との調整など,わずらわしさが一挙に押し寄せてきたけれど,私の心には何か新しい旅が始まるのではないかという期待があったのも確かであった」(原作からの抜粋)

妻の座席を確保したあと,まだ時間があるからと一等客車の妻を確認にいっている間に列車は動き出した。水が欲しいといっていた妻の願いをかなえてやれないまま後尾の貨車にやっと追いつき,手助けされて這い上がると,自分が確保していた場所にはさっきまでいなかった黒い服の女が座っていた。

「貨車に紛れ込んできたその女は悲劇的な雰囲気をただよわせ,顔色が蒼白で,誰一人話しかけようとするものは無かった。」

彼が女の脇に座っても,女は何の表情も表わさず,スカートを少し捲り上げると黒い高級そうなストッキングの伝染を自分のツバで直し始める。その脚(あし)に思わず見とれてしまった彼が,女に気づかれてバツが悪そうに目をそらすと,女は反対側を向いて「初心ね」とでも言うような表情を垣間見せる…
列車は揺れた。貨物列車なら揺れて当たり前だが,この路線上の列車は特に揺れる。その訳は,運河と同じで鉄道もヨーロッパ全域にまたがってつながっており,ほぼ何処から何処へでもいける,つまりポイントが非常に多いからである(ルネ・クレマンの「鉄路の戦い」を思い出して欲しい)。
列車が揺れて女が男にかぶさるように倒れかかる,また揺れれば男が女に被さるように倒れ掛かる…最初は取り繕っているばかりの二人も最後には気を許して微笑みあうようになるのだ。

ラジオ修理工の男は海軍教習所のころから自分の境遇や容姿に劣等感をもっており,女に対し自分から働きかけた経験もないのであった。妻とは,彼の能力を誤解した,地方の有力者である妻の両親によって半ば強制的に結婚したようなものだ。もちろん,町医者が連れているような女のいる酒場にも一度も入ったことはなかった。

はたして女は意図的にストッキングを直したのか?それを念頭に置きながらその先を辿ることも,この映画に対する理解を深める1つの鍵になるだろう(続く)。

「離愁」(3)

冒頭,シムノン原作「クーデルクの情夫」(日本での題名は「片道切符」,映画タイトルは「帰らざる夜明け」(アランドロン主演)の音楽も担当したフィリップ・サルドによる哀切な調べに乗せて,ドイツ軍の爆撃に晒される町や村と,焼け出されて続々と避難する人々のモノクロのドキュメント・フィルムが流れる。
そしてカラー映像による物語が始まる。(ここからは原作を知った上での私の独断なので,ネタばれを懸念する読者は先に進んでもらってかまわない。)

主人公を演じるトランティニヤンはうってつけの俳優である。どこが?何を考えているかが今ひとつ外から分からないような,どこか醒めたところがあるからである。仕事がらいつでも聞いているラジオでドイツ軍の侵入を知り,爆撃から避難するため臨月を迎えている妻を連れて家を出なければならないというのに,どこか今ひとつ乗り気ではなく,また密かにこの時,つまり思い切って何かに踏み出す時を待っていたかのようでもある。この辺は微妙で感じる人には感じる,という程度にしておこう。しかし,彼が「避難するよ」と家族に説明した時の娘の質問,「ドイツ軍て手を切り落とすの」には,明らかに彼が抱えているもう一つの問題が暗示されている。誰がそんなことを教えたのか?
車だけでなく荷馬車や徒歩でありったけの財産を持って,正装して駅を目指す人々や着のみ着のままの人々の行列。そしてごったがえす駅で妊娠していることを理由に何とか妻と子供を上流階級向けの一等客車に押し込むと,自分は唯一余裕のあった一般庶民用の最後尾の貨車に席を確保した。そこには,妻の面倒を見て貰っていた知り合いの町医者がいち早く酒場女連れで待っていた。そしてもう一人,貨車の隅に座っていた見知らぬ黒服の女。運命の女となるロミー・シュナイダーの姿に先ほどの音楽とドキュメンタリー・フィルムがカット・バックする。彼は一目でその運命の女の背景を察したのだった。
物語は列車の進行に沿ってこのような内面を持つ男と曰くのありそうな美しい女の心の揺れを描いて行く。まるで何処までも破滅に向かって進むように。

列車は走り出した。原題である「列車」は,シムノンの「汽車を見送る男」(L’homme qui regardait passer les trains)を読んだことのある人には単なる列車でないことがわかるだろう。以下はその冒頭部分を拙訳したものである。


「しかし正確に言えば、彼にしても、万一自分を振り返ってみて自分の気持ちの中にそのような物騒な未来を想定できないか探ったとすれば、いつも列車が通り過ぎるのを見るたびに、特に夜行列車が旅の神秘を押し包むようにブラインドをすべて深々と降ろして疾走するのを見るとき、彼に忍び寄ってくるあの奇妙な、半ば犯罪へと足を踏み入れるような感情を見出した可能性が,まったく無いわけではなかっただろう。」


こうして列車は走り出す。蒸気機関車の動輪が重々しく動き出したとき,逆らえない運命が始まったのだ(続く)。

「離愁」(2)

主人公はフランス人であるが,原作では作者シムノンのベルギー人としての環境が反映されている。

第二次大戦直前のベルギーの地勢と情勢である。島国日本ではその感覚は掴みきれないが,複雑な国境線,河を利用して張り巡らされた運河,様々な人種と言語の混合(マルチ・リンガル),などである。戦争前からドイツの実質的な支配下でジャーナリズム活動,主にパルプ・フィクションをほぼ一作ごとに名前を変えて書いていたというシムノンは,ベルギー国内に居残って対ナチのレジスタンス活動を行っていたが,彼の小説を掲載する雑誌がドイツ系の資本であったため,戦後裏切り者のレッテルさえ貼られたことがある。そのような背景から,同質の主人公を登場させている「汽車を待つ男」では主人公のキース・ポピンガは同じような環境で生きなければならなかったオランダ人となっている。小説の中では,ベルギーにドイツが電撃侵入したニュースは,実はドイツ語放送で聞いているのである。フランスはなぜ助けてくれないのか,という無言の抗議がそこにある。同じような境遇で実は暗い過去を持つと言われている女優にオードリー・ヘップバーンがいることを一言付け加えておこう。

疎開先に向かう列車はフランスとベルギー及びドイツの国境地帯を走る。主人公が乗り込む駅はスダン(Sedan)であり,その下り方向にはアルザス地方がある。アルザスは第一次大戦以前からドイツとフランスで取り合いをした地勢上の因縁ある場所で,映画中で女を「アルザス訛りだ」と言っているのは人種を言い当てた差別の表現だ。もちろん,現在この一帯はアルプスの麓にもあたることから花々も美しいワインでも有名な観光名所となっているが。運命の分かれ道となる難民収容所のあるフュメーは海の方向に向かう上り方向にあり,ドイツ兵を乗せた列車が来たため足止めとなり(つまり,この時すでにフランスはドイツに屈服し,実質的に協力関係にあったのだ),疎開列車が2つに切り離されるシャルルヴィル(映画中ではシャルニー)駅はそこへの途中にある。

映画の流れをたどる前に,小説でははっきり出ているが映画ではさりげなく語られている部分を指摘しておきたい。それは主人公の女性観である。シムノンが描く主人公の女性に対する,というよりは性に対する嗜好は,実は一般には受け入れ難いような不穏当なもの,逸脱したものである。小説内での主人公は「それがなぜいけないのか」という思いを常に抱いている。「金持ちや上流階級の者たちが好き勝手をやっているのに」と。そしてそれは,道を踏み外しかねない危険な誘惑なのだ。ただし,小説のことを持ち出したが,この映画が製作された時点ではシムノンは存命しており,小説との異同は了解済みであると思われることを付け加えておこう(続く)。