「離愁」(5) | 映画探偵室

「離愁」(5)

内気だと自分でも認めている男にとって,それは危険な,それも暗い運命に引きずり込まれそうなあまりにも魅力的な女性であった。

河沿いの美しい田園地帯を走る列車はまもなく給水のため停車した。するとその機会を捉えて別の一団が列車に乗ろうと続々とやってきた。軍隊から見放されたのだという。余裕があるにも関わらずこれ以上詰め込まれてはかなわないと慌てて扉を閉める町医者とそれを冷笑する酒場女。しかし,開けろと外から呼びかけられ,車掌に中の様子を見取られて「おうおう,立派なフランス人だこと」と皮肉を言われ,新たに避難民を貨車に受け入れることになる。その中には人相の良くない痩せた男や老人,脱走兵らしき男,そして赤ん坊を抱いた若い母親(アンヌ・ヴィアゼムスキー,「帰らざる夜明け」でアラン・ドロンを誘惑する若い子持ち女)がいた。

寄り道になるが,この「立派なフランス人だこと」という皮肉はフランス人にとって決定的だ。それは民衆の力で革命を成し遂げた自負があるからである。三色旗の前にはフランス人は皆素直に頭を垂れる。ノルマンディー上陸作戦後,終戦が確定して亡命政府のドゴール将軍が凱旋したとき,共に戦争に耐えて来た国民がその一挙一投足を見守るなか,彼は徒歩で凱旋門をくぐると迷うことなく演壇に立ち,そしてラ・マルセイエーズを歌ったのだった。三色旗そしてラ・マルセイエーズはどの国の国旗および国歌にも勝る特別なものなのである。(「カサブランカ」ではリック(ハンフリー・ボガート)の店でドイツ兵が大声で「ラインの守り」を歌うのに対抗してラズロというレジスタンス指導者がラ・マルセイエーズを歌うよう先導し,それが大合唱となり酒場女までが泣きながら歌うシーンはあまりにも有名である。この「カサブランカ」で長いものには巻かれろ式にドイツ人の言うなりになっている怪しからぬ警察署長(実はフランス人の誇りは忘れていない)が,後にシムノンの「汽車を見送る男」で主人公のキース・ポピンガを演じたクロード・レインズである。こんな所にもシムノンの蜘蛛の巣の広がりが感じられる。)

様々な背景を持つ人々を乗せ,また列車は走り出す。やがて給水のためしばらく停車することになった。給水の合間に人々も思い思いに休息を取ろうとする。男はすぐに様子を確かめに妻のいる一等車に向かって走る。水が欲しいと言われて水を汲みに水道の所にできた行列に加わり,ようやく瓶2本分を確保したとき,彼の視界に入ったのは,線路脇の草の上に1人立ってタバコを喫っているあの女だった。線路を何本かまたいでこちらにやってきた女は言った「わたし,喉が渇いたわ」(J’ai soif)(続く)