「離愁」(11)
目を覚ますと列車は停止しており,前方には保線工事を行っている工夫たちが見える。そこは昨夜見た民家の先にある田園に囲まれた少し大きな村であった。列車は補修もかねて一日中停車することになった。戦火の間にぽっかり空いたような時間が避難民たちに与えられた。
一部の者は村の中心部にまで入って行き,住民が避難したあと空き家となっている家々の物色を始めた。
二人は皆とは別行動で線路に近い農家の一軒家を休息場所とする。上半身裸になってこれまでの身体の汚れを落としているマルセルの頭に水をかけながら世話をするアンナ。そしてさっぱりした笑顔で今度は君の番だとマルセルが促すと,笑顔で女はこう言った。
「あの時,ジュリーがわたしにウィンクしたわ」
「君はどうしたの」と笑いながら聞くマルセル。
「わたしもウインクを返したわ」
「今度は君の番だ」とマルセルはしゃぐように女の身体に水を撥ねかせた。アンナは躊躇無く黒いワンピースの上着を脱ぐと,途中でネックレスがシュミーズに引っかかり,ちょっと羞にかんで笑う。シュミーズの上から水を浴び,髪を撫で付けた。洗い終えたアンナが立ち上がって微笑むと,濡れた生地からは上半身が透けて見えていた。相変わらずひっ詰めに髪を結っているけれど,アンナの笑顔はマルセルにはまぶしいくらいだった。
離れたところにいた農耕馬が二人の方にやってきて水を飲み始めた。
「老馬ね」
「うちの村にもいた。」
「うちの村って?」
「フメイだ。」
「家族は?」
「7歳の娘がいる。君は?」
「いるわ。」
「心配じゃないのか?」
「考えないことにしてるの。」
打ち解けて話している二人の頭上を突然轟音をあげてドイツの戦闘機が通過した。鉤十字が見える。
「はじめてだ。」
女はさほど顔色を変えない。
「そう?」
しかし,止まっていた列車は出発の汽笛を強く鳴らした。束の間の休息が終わり,人々はまた列車に戻っていく。手に手に戦利品を持ちながら。
列車が先に進めば,次の駅でもう別れなければならないことは二人もよく承知していた。