映画「美しき諍い女」物語編(10)
「月曜。」
「完全に忘れていた。」
「こちら,マリアンヌ。」
「すまなかった。」
「こっちがニコラだ。」
「ああ,ひどい記憶力だ。]
「恥ずかしいわ。」
「許せんな。しかし暑いね。」
「愚痴をこぼすのは終わりよ。」
「来た理由は分かっている。さあ,行こう。」
階段を上り始めたころ,教会の鐘が鳴り出した...
それにしても二人は仲が良い。
「いつか展望台をつくる。望遠鏡つきだ。」(フレンホーフェル)
「1回使うと10フランでしょ。」(マリアンヌ)
「すばらしい景色が見られるわ。」(リズ) 注1)
「景色は後回しだな。」(バルタザール)
「教会みたい。」
「元々は納屋で,下は馬小屋だ。」
「君ならここで,どんな絵を描く?」
「私はずっと来ていない。」
「怠け者になったわ。」
「約束を忘れたのは... 怖れていたからだ。君たちのことをね。しかし,誤解しないでくれ。リズと私は二人きりで完全に安定した生活を送っている。幸せといえる。」
「君たちが不幸を運ぶんだ。」
「どうかしてるわ。」 「非難してるわけじゃない。
もう君もあとには引けん。」
「ルーセルのところで飲んだのね?」
「この家に混乱を招くが,君らも不幸になるぞ。」
「邪魔する気はなかったが,あなたが招待した。」
「その通り。絵を見て学びたいか?私の絵に興味があるんだね?」「そうです。」

「君にはない。」
「ニコラ,来たまえ,一番古い絵だ。乱雑だろ。」
ふと気がつくと,リズは何かの絵を熱心に見ていた...
「これは?」
「先史時代の作品だ。12歳だった。」
「あれは?」
「これはどうだい?」
「すばらしい。」
「望みすぎでは?」
「まさか。」
「”美しき諍い女”とは?」
「5年ぶりだぞ。」
「忘れていたんだ。」
「これも気に入っている。どうだ?」
「その絵が見たい。」
「存在しない。構想半ばで断念した。」
「あるわ。ここにあるでしょ。」
「なぜその題を?」
「別に,17世紀にいた娼婦の商売名だ。」
本を読んで急に画きたくなった。」(注2)
「朝の3時なのに全然眠れなかった。」
「あたしを思って?」
「あたしの?」
「そうだ,君こそが”諍い女”だ。」
「”諍い女”とは?」
「知ってるわ。4年いたケベックではよく皆が使っていたわ。」
「知ってるのか?そうだ,”けんかっ早い女”とか...」
そして二階を見上げて付け加えた。
「うるさい女のこと。」
「その絵がある。」 「ないと言ったろ!」
もしかしたら,あの女が諍い女ではないのか?
注1:ここは南仏のプロヴァンスである。有名な丘陵地帯でぶどう酒の有力な産地である。ゴッホの愛した地域はここよりまだ南東にあたる。
注2:バルザックの短編を指している。
映画「美しき諍い女」制作過程編(6)
しかし,彼女は2日目もやってきた。2人の間には共同で何かを掴もうとする意志が芽生えている...
ここで,画家のつけるポーズ(注文)から,画家が何を見ようとしているのか,モデルは何を表現しようと(自分はどうなろうと)しているのかを探ってみよう。
「初心者の気分だ。
向うを向いて,手を腰に。しゃんとして。」


「髪はまとめて,背筋を伸ばして,
上から吊られてると思え。」
「痛いわ。」 「それでいい。」
まず第一に,背骨を浮き立たせようとしていることが分かる。肉体の中にある骨格を重視しているのだ。
吊られている,ということは確かに,ある意味不自然である。それは,骨格を露にするという意味のほかに,もう一つの意図がある。
現代人は,実はコンクリートやアスファルトの上に靴というものを履いて(つまり,吊られて)立つという不自然な生活をしている。足が地に(土に)着いていないのだ。その奇形性がこれで露になると画家は考えている(のだろう。注1)。
それに抗おうとする女の原肉体をこそ,画家は見たいのである。戦いを見たいのである。
上記の戦いは,明らかに体重を支える腰に現れる。そして,それは女の腰でなければ意味が無い。女の腰は子宮という宇宙を内包するものだからだ(注2)。
同様の試みが別の角度から繰り返される。
「我慢するんだ。昔は手足を縛って姿勢を固定したもんだ。」
「今,何を考えてる?ニコラのことか?」
「違うわ,私のことよ。」
一応ここまで。
腹が減ってパンを食らう女。
どの画家や彫刻家,映画監督も,モデルや女優の食べ方に注目するものである。特に顎の造りと動き。
しっかりした食べ方ができない女には興味がわかないものだ。
無理やりポーズその3
注1:このことを私に気づかせてくれたのは,かつての同僚であるカメラマンだった。彼の言葉「現代人は敷石やアスファルトの上に立つオイディプスだ。皆,足萎えにすぎない。」
注2:子宮は天宮にも通じている。位相幾何学的な冗談でこういうのがある。「人間を裏返しにしたら,内側に来るのは何か?」
映画「美しき諍い女」物語編(9)
「庭に出ていましょう。」
「いい庭だ。」 「私が造ったの。前はジャングルのようだったのよ。何だっけ,キョウチ...」 「キョウチクトウ。」
「そう,キョウチクトウで一杯だった。彼に任せていたら今でもそのままよ。」(注1)
「マガリ,借りてもいい?」 「ダンスの稽古です。」 「残念ね。」
「主人,見なかった?」 「いいえ,アトリエでは?」 「まさか。」
「忘れたんでは?」 「ありえるわ。」
「めったにないけど,ひとつに集中するとほかを忘れる性質なのよ。」
「まずい時に来た?」 「そんなことない。」
「ねえ,バルタザール,ひとからヒ素の石ケンを貰っちゃったの。
害虫用だけど,手で触って平気?」
「前は何を?」
「DDTと石鹸の混合液。」
「それでいい。砒素のは捨てろ。」
「でも,昔の...
「君が黒い舌で倒れているのを見たくない。」
「なぜ?」
「指を舐める癖さ。」
「あら,何してるの?」
森番か庭男か,ドラキュラか? いやこの城の主人である老画家がやっと登場。
手には狩の成果と見られるウサギをぶら下げている。
注1:夾竹桃は有名な毒草である。






















































































