季節は移ろいゆき時が流れる。

火の玉は何処にいけばみつかる

のか。コロナ禍で時代がかわった。

 

闇のなかで光りを見つけるよう

なものだが、今は昔、「延喜式」

(716年)の頃に遡ってみる。

 

和泉国府と国司(紀貫之)

「続日本紀」に716年河内国より

三郡(大鳥・和泉・日根)に割り

、和泉監という行政府をこの地に

置いたという。

その後孝謙天皇が、正式に国司を

おき、国号を和泉国とする。

この地に国司として赴任した「土

佐日記」の紀貫之が京にむかうと

き歌を詠む。また「更科日記」の

菅原孝標の女(むすめ)は、105

1年秋に和泉国府に来る

 

イメージ 3

 

和泉國府廰趾(御館山児童遊園地・和泉市府中町5丁目2)

 

泉井上神社と和泉五社総社

和泉国府跡の南の神社境内に泉井上

神社と和泉五社総社がある。

 

泉井上神社

和泉発祥の地のゆかりの和泉清水を

神として祀っている。

 

 

泉井上神社の本殿(大阪府和泉市府中町6-2)

 

和泉五社総社「和泉国五社」

五社総社は、奈良時代に河内国から

分離し、和泉国が設置されたときに、

和泉国内の五大社である大鳥、穴師、

聖、積川、日根を総合して勧請し参

詣の便をはかったという。

 

 

和泉五社総社の拝殿

 

和泉国五社

「延喜式」(716年)の神名帳にある

奈良時代の和泉の五大社は大鳥(堺)、

泉穴師(泉大津)、聖(和泉府中)、

積川(岸和田)、日根(泉佐野)にあ

り、それぞれ地域の要所にある。

 

大鳥大社(堺市)

和泉国大鳥郡の式内社(名神大社)

で、和泉国一宮。正式には大鳥神社

で、旧社格は官幣大社で、現在は神

社本庁の別表神社。祭神は日本武尊

、大鳥連祖神。

神社境内には平清盛の歌碑(宮司・

富岡鉄斎の筆による)、与謝野晶子

の歌碑がある。

和泉なる わがうすぶなの 大鳥の 

     宮居の杉の  青き一むら

 

 

和泉国五社の一宮・大鳥大社(大阪府堺市西区鳳北町1-1-2)

 

泉穴師神社(泉大津市)

泉穴師神社は式内社、和泉国二宮で、

旧社格は府社。

社伝によると創建は白鳳元(672)

年、神功皇后の時代、神武東征のと

きなどと諸説あり不明。

神社の境内には泉大津市保護樹木第

1号の樟(クスノキ)群は樹齢約60

0年になる。

穴師神社の北に池上曽根遺跡がある。

池上曽根遺跡には米づくりしていた

弥生時代(1・2世紀)の大きな集落

があり、鏃(やじり)はじめ、土器

がたくさん出土しており、その頃人

びとが一緒に暮らしていたところで

ある。

 

 

和泉国五社の二宮・泉穴師神社(大阪府泉大津市豊中町1-1-1)

 

聖神社(和泉市)

「枕草子」(清少納言)に「もりは

信太の森」と記されており、その森

に神社や寺院があった。

大阪府和泉市王子町にある聖神社。

式内社で旧社格は府社。和泉国三宮。

信田明神、信太聖社とも呼ばれたり

していた。

祭神は、「古事記」に登場する大年

神の御子神である。本地仏は地蔵菩

薩となっている。

鎌倉時代には、信太氏が神主職とな

っていたが南北朝時代に南朝方につ

き、その地位を失い、替わって136

0年に和田蔵人が神主職につく。

南北朝時代より「五社大明神」と呼

ばれるようになる。三宮の地位を占

めるも中世にはその記述がない。

天正3(1575)年織田信長より所領

が安堵されるが、天正13(1585)

年秀吉の根来攻めで焼失。

江戸時代の初期豊臣秀頼が片桐且元

を奉行として造営し、のち慶長9(

1604)年に再建される。

現存する社殿と末社三神社は重要文

化財で大阪府の有形文化財に指定さ

れ、明治5(1872)年に郷社に列格

し、昭和18(1943)に府社に昇格

する。

 

 

和泉国五社の三宮・聖神社拝殿(左・大阪府和泉市王子町9)

 

積川神社(岸和田市)

岸和田市積川町にある神社。

積川神社は鳥神社とともに、

弘仁14(823)年朝廷の祈雨の

奉幣を受けた(「日本後」)。

式内社で、旧社格は郷社。和泉

国四宮で勅願社である。

社伝によると、白河上皇は熊野

詣行幸のとき、八木郷額原で

本社を見、芝草を積みて舞台

しで舞楽をされたとき上皇の傍

の鳥居に掲げた扁額のまずさを

思ひ、自ら筆をとりて「正一位

積川大明神」の八字を大書きし

て、これに扁額を替えさせ給ひ。

と伝えられている

 

イメージ 5

 

和泉国五社の四宮・積川神社の本殿(2016年大改修)

 

日根神社(泉佐野市)

和泉国日根郡の式内社で和泉国五宮。

祭神は神武天皇の父・鸕鶿草葺不合尊

と神武天皇の母・玉依毘売。

白鳳2(674)年創建(伝)の大井堰

大明神は、のち日根神社と呼称し和泉

国五社のひとつに列せられ、500石の

神領を下賜される。

弘仁8(817)年多宝塔金堂が建立さ

れ、鎮護国家の道場として栄える。

文和2(1353)年3月の兵火で焼失

2年後勅命で再建される。

その後京から日根荘の大木に4年(1

501-1504)滞在したもと関白の九

条政基(1445-1516)はこの間

「政基公旅引付」(1501-1504)

を書く。

天正13(1585)年の雑賀・根来衆

の事変にあい、金堂、多宝塔を残し、

再度焼失する。

慶長5(1600)年豊臣秀頼の命で

吉田半衛門と祐清法師が作業奉行と

なり再建に着手し、慶長7年12月に

完成。

寛文5(1665)年、岸和田藩主岡部

行隆は祈願寺・無辺光院を修理し徐

地社領水田1町歩余を寄進し、落慶

にあたり仁和寺末となり、門跡性承

親王から大悲山慈眼院の号を授かる。

明治6(1873)年神仏分離により無

辺光院と分離し、郷社定則により郷

社に指定され、大正13(1914)年

に府社に昇格する。本殿は府指定有形

文化財に指定され、大井関自然公園が

隣接してある。

 

 

和泉国五社の五宮・日根神社拝殿(大阪府泉佐野市日根野631-1)

 

和泉国府と「更級日記」

和泉国府を訪ねた菅原孝標の娘。

彼女は和泉守であった兄の定義と

会い、ここから京に帰っていくと

き、とても怖かったという日記。

冬になりて上るに、大津といふ浦

に、舟に乗りたるに、その夜、雨

風、岩も動くばかり降りふぶきて、

雷さへなりてとどろくに、波のた

ちくるおとなぞ、風のふきまどひ

たるさま、恐ろしげなること、

かぎりつと思ひまどはる。

 

 

 

三都物語(男と女の物語)

2014.2.10

Enjoy京都(平等院)「源氏物語(道長と紫式部)」男と女の物語(599)

2014.2.11

Enjoy街有記「東高津宮」三都物語(119)

2024.2.12

光る君へ➅「ライバル」男と女の物語(600)

2024.2.16

Enjoy「井原西鶴(武田鱗太郎)」男と女の物語(601)

2024.2.17

Enjoy「釜ヶ崎(武田麟太郎)」男と女の物語(602)

2024.2.18

「浅草・余りに浅草的な」(武田麟太郎)三都物語(123)

2024.2.19

Enjoy光る君へ⑦「嫉妬(炎上)ふみ」男と女の物語(603)

2024.2.20

Enjoy街有記(桓武天皇「大森神社」菅原道真)三都物語(124)

2024.2.21

Enjoy街有神社「兵主神社(和泉)」三都物語(125)