男は、誰もが放さなかった女性。

女性も、おかれた状況のなかで、

男の求めに受け入れていた。

これが、戦国の世の男と女の関係。

 

「どうする家康」の瀬名(のち築山

殿)と家康について、これから先ど

うなるのだろう。

 

ー「どうする家康」(瀬名と家康)ー

<家康とお万(浜松城)>

元亀3(1572)年10月家康31歳。

家康は「三方ヶ原の戦い」で西進してき

た武田信玄に大敗し、からくも逃げる。

 

その武田信玄は翌年元亀4年4月に死す。

同年7月織田信長は足利義昭を逆賊とし

て都から追放し足利幕府は滅ぼした。

 

信長は、さらに9月北近江小谷城を制圧。

義弟の浅井長政は自害して果て、お市は

長政の意向で三人の娘とともに、織田家

に引き取られる。

 

この頃、浜松城にいた家康は、岡崎城で

瀬名の侍女をしていた女・お万の白い肌

に惹かれる。お万は子どもを宿していた。

 

瀬名は浜松城に来てお万は去ったが、瀬

名は息子・信康とともに岡崎城に戻るこ

とになる。

 

徳川を取り巻く状況は厳しく、武田勝頼

の才覚を恐れる信長からは、時を逃さず

めとの催促がくる。これが前編・第19

回。

 

ー徳川家康と岡崎城(信康と築山殿)ー

従五位下三河守に任ぜられた家康は、

平姓を徳川姓に改めた。

その翌年、長男信康は、信長の娘・徳姫

と結婚する(永禄10年・1567年)。

 

家康は、今川氏真を掛川城から退去させ、

遠江(とおとうみ)をほぼ平定する。

翌年、信長とともに浅井・朝倉軍を近江

・姉川に破り、家康(28歳)は、浜松城

に居城を移し、長男信康に岡崎城を譲り、

妻築山殿は、信康とともに岡崎城を居城

とした(元亀元年・1570年)。

 

 

岡崎城(愛知県岡崎市)

 

<築山殿事件>

家康が37歳のとき天正7(1579)年。

築山殿と長男・信康が、甲州の武田家と

内通している噂がでた。

 

このとき家康の妻子、築山殿・信康は岡

崎城におり、家康は浜松城に、徳姫の父

・信長は近江の安土城にいた。

 

 

安土城天主閣跡(滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)

 

(築山殿事件と徳姫)

徳姫は父・信長に手紙を送る。

夫・信康は武田家の重臣の娘を、日夜

母親の御殿で寵しており、この娘は、

姑・徳山殿の手引きで甲州に脱走する

用意をしている。ということを書いた

手紙を送る。

 

ー築山殿事件と酒井忠次ー

この事態を知らず、浜松城にいた家康

は、信長のもとに使いを送った。

使者として酒井忠次が安土城にゆく。

家康より15歳年上の忠次、妻は家康の

叔母(家康の父・広忠の妹)で、徳川

家の家老・オトナである。

 

(酒井忠次と織田信長)

この時期の信長。武田勝頼はじめ織田

勢の包囲網のなかで、摂津では荒木村

重が謀反を起こし、信長は苦境に立た

されていた。

信長は、家康がたとえ織田家にそむい

ても、この忠次を調略をせんとしてい

た。

信長は、(家康の嫡男の)信康のこと

を、「武略はあるが、将として士卒を

愛せず、その性横暴で、とうてい大国

をたもつ人間とは思はれない」がと忠

次に尋ねる。これに忠次は「ゆくすえ

は…」。これに「おそろしいか」とい

われ、忠次は「ハイ」とこたえる。

 

信長「信康の不仁暴虐、三河殿(家康)

もご存知か」、忠次「存じております」、

ついで信長は「されば、すみやかに信康

を押し込めてはどうか」と。当初、徳川

に要請したのは、ここまでであった。

 

(酒井忠次と信康)

ところが、忠次は信長にいう。

「それは、とてもむずかしい」、「な

にぶん武勇に長じ給い、しかも御短慮

にましまし、さらにはご孝心なし。と

いうご性質なれば、おそらくは甲州に

くみされ、ご両家に対し仇なされるこ

とは必定ならんかと存じまする」と言う。

 

(織田信長と酒井忠次)

信長は残忍であった。「すみやかに失

まいらすべく三河殿に申し伝えよ」、

殺せ、その旨を家康につたえよというの

である。

家康の奉公人であれば不忠となる忠次だ

が、この戦国時代、忠次は家康の奉公人

ではなく、酒井家の当主として信長と交

渉していた。

忠次は、酒井家を守り、徳川家を守るに

信康のような人間を消滅せねばならな

いと思った。

 

 

安土城天主跡から見る西側の「西の湖」

 

ー家康と信長ー

徳姫から知った信長。また三河武士団の

酒井忠次を介して確かめ、「速やかに失

いまいらすべく、三河殿に申し伝えよ」

と、家康に゛殺せ!”と命じた。

 

家康は悲嘆した。三河の弱国である。

同盟の相手の武田はおとろえ、往年の

信玄時代とちがい、ともにできる国で

はない。

 

妻子を守るために、信長と戦うことを

強いることはできても家康を頂点に

した三河同盟の土豪はそれぞれの家を

守るために、味方から崩壊することは、

あきらかである。

 

ー徳川家康と酒井忠次ー

「築山殿事件」は、築山殿と信康を

死なせる結果をまねいた。

しかし、家康は、忠次をとがめるこ

となく、その後も使いつづけ、忠次

も、また戦功をあげていった。

 

それから15年後、関東に国替えとなっ

たとき、領地割り当てで、四天王の他

の三家(本多、榊原、井伊)が、10万

石以上の知行地を与えられ、酒井家は

3万石であった。

このとき家督を長男に譲っていた酒井

忠次は、家康に不満を述べると、家康

は、「お前も子どもがかわいいか」と

一喝した。

 

徳川家康「関ケ原合戦」ー

家康は、生涯、長男・信康、妻・築山

殿のことは、言語に絶する記憶になっ

た。

関ヶ原合戦のとき、雨の中「この歳に

なってつらい目をするよ。信康が生き

いればかようなことを、自らからせ

ず済んだのに」と家康(58歳)が声

を湿らせたため、両脇の家臣らがみな

目をふせたという。

関ヶ原の9月15日、信康21回目の誕

生日であった。

 

 

徳川家康が陣頭指揮した最後の徳川方関ヶ原陣地

 

 

どうする家康(メモ)

松平元康     :松本 潤

瀬名(築山殿)  :有村架純

瀬名の父・関口氏純:渡部篤郎

瀬名の母・巴   :真矢ミキ

 

今川氏真     :溝端淳平

鵜殿長照     :野間口 徹

田鶴(長照の妹) :関水渚

 

織田信長     :岡田准一

お市(信長の妹) :北川景子

柴田勝家     :吉原光夫

木下藤吉郎    :ムロツヨシ

 

武田謙信     :阿部 寛

 

石川数馬               :松重 豊

酒井忠次     :大森南朋

大久保忠勝(平八郎) :山田祐樹

鳥居忠吉    :イッセー尾形

大久保 忠世  :小手伸也

 

服部半蔵    :山田孝之

本多正信    :松山ケンイチ

 

 

2023.1.9

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