2023年正月8日

大河ドラマが始まった「どうする家康」。

時代はコロナ禍のなかヨローッパで今も

戦争が続いている。

 

アニメ映画「すずめの戸締まり」は今の

世界を象徴しているように、現在のドラ

マはに何を命題としているのだろう。

そのひとつ「どうする家康」、どうする?

 

 

家康「戦(黄金兜)」桶狭間(1)

ー松平元康・人質「尾張・駿府」ー

(家康少年「人質」)

松平広忠の子として誕生した松平元康(幼名

竹千代、のち家康)。

父・松平広忠は、戦乱の世に織田家に対抗し

今川家の本拠・駿府に息子・竹千代を人質に

送るが、護送の任者(田原城主・戸田康光)

は、裏切って織田方に竹千代を引き渡した

(天文16年)。

 

織田信秀(織田信長の父)は、松平広忠に離

反させないように、少年家康を人質(5歳ー

7歳)にし、織田は少年が7歳のときに、今川

と人質交換とした。こうして少年は今川の人

質となった。少年は今川の人質となり、13歳

で元服し松平次郎三郎元信と改名。

 

「どうする家康」はここから始まる。

この人質(5歳から18歳)の間、松平次郎三

郎元信(15歳)は今川義元の姪、関口氏親の

娘・瀬名24歳と結婚する。瀬名はのちの築山

殿。

 

 

(桶狭間の戦いと松平元康)

永禄3(1560)年5月。

駿府城の今川義元が、兵25000人を率いて尾

張に侵攻し5月18日尾張沓掛に今川本隊が到

着する。

当時の三河衆は、尾張の織田家と戦うとき、

常に先手であった。

これを尾張衆から見れば、駿河衆は狡猾であ

り、三河衆を馬鹿だといい、戦場で犠牲にな

っていたのが三河衆だった。

 

 

松平元康(18歳)は、丸根砦攻撃に際し、

今川義元より黄金の兜を授かり、尾張軍の

前線基地の丸根砦を今川軍の司令官となっ

た。

 

 

 

今川義元の本軍は1000人以上の兵を出し圧倒的

有利ながら、織田軍の策にはまり急襲を受ける。

 

(桶狭間の戦いと大高城)

一方元康は、尾張の地の今川方の城・大高城

に先発隊として籠城兵の米を運ぶため敵と攻

防のなか大高城に入る。

 

 

ここ大高城で、今川義元が桶狭間にて織

田信長に討たれた一報がはいり、松平元

康の三河衆は、敵陣のなかで孤立する。

 

 

どうする元康。

 

 

 

 

    大高城(名古屋市緑区大高町) 桶狭間(豊明市栄町桶狭間古戦場公園)

 

 

 

ー家康「兎と狼」ー

(岡崎城)

今川氏のものとなっていた岡崎城。

この城は、もとは松平氏の居城であったが、

今川家の前線の要塞になっていた。

 

松平元康が大高城から岡崎城へ進軍する。

今川義元の家臣らが、元康が城内に入ろうと

しないために本拠の駿府に帰ることになる。

「捨城ならば、拾おう」と言い岡崎城に入る

元康。その事情を駿府に知らせ、念の入った

律儀ぶりが、駿府でも、敵方の尾張でも評判

になる。

 

以後松平元康が岡崎城主になり、ひとり立ち

し、翌年、永禄4(1561)年に織田信長と和

し、三河平定に着手する。

2年後、永禄6(1563)年に元康(21歳)が

家康と改名する。

 

 

 

家康誕生の岡崎城(愛知県岡崎市康生町)

 

岡崎城で誕生した竹千代(のち松平元康・家康)。

竹千代の母・於大は竹千代3歳のときに離別。

叔父・水野信元は父・広忠の妻・於大の兄で、

水野信元(刈谷)が織田氏と同盟を結んだため

に、広忠が今川氏に庇護されていたため、於大

と離婚する。

 

 

岡崎城内の竹千代(のち家康)産湯の井戸

 

大河ドラマ「どうする家康」

脚本:古沢良太

 

<徳川家>

徳川家康   :松本潤

瀬名(築山殿):有村架純

石川教正   :松重豊

 

<今川家>

今川義元   :野村萬斎

関口氏純   :渡部篤郎

(妻が義元妹、瀬名の父)

 

<織田家>

織田信長:岡田准一

 

 

 

        大高城(愛知県名古屋市) 岡崎城(愛知県岡崎市)

 

2023.1.8

海「大和(住吉大社)」ー男と女の物語(312)