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Kaz の景色

ちょっとした日常の記録

 英検や国連英検で必ず出てくる英作文。昔、この英作文で困ったことがあります。

 

 高校生の時でした。国連英検を受けたのですが、その試験で出てきた英作文のテーマが「北朝鮮とどう関係を築くのがいいと思いますか?あなたの考えを書いてください。」というものでした。――― めっちゃ固まりました。

 当時、私、高校2年生。考えても考えても、何も思い浮かびません。私が育った環境では、学校でも家でも、女だてらに自分の意見を持つことは禁じられていましたから、そもそも自分の考え自体がわかりません。何も考えずに親に黙って従うのが、私に求められることの全てでした。物事は全て「そういうもの」として受け入れるように教育され、疑問を持つことは一切許されていませんでした。こういう環境で育った人間にとっては、「自分の考え」を問われる問題は非常に酷です。

 さて、そんなことばかり考えていても時間は過ぎていきます。英語が出来なくてわからない、とかそういう以前の問題。これが例え日本語で記述する小論文の問題だったとしても、たぶん書けなかったでしょう。

 何を書けばいいんだ!?知らんわそんなの!!……と叫び出したい衝動を抑えること20分。やっとひねり出して書いた英語の一文が、「キムを○ろせば解決すると思う。」と。

 

 え? 受かったかですって? 落ちましたよモチロン。逆に受かっていたら大問題でしょうや。

 

 自分の考えを持つって、結構むずかしい。じゃあ、どうやって自分の考えを持つことが出来るのか――。

 いきなり自分の考えを持つことは難しいので、まずはどういう意見や考えがあるのか、新聞を読んだりニュースを見たりしながら知っていく。その中で、自分がどういう考えに共感し、どういう意見に反感を持つのかを知っていく。そういう事を繰り返しながら、自分がどういう考えを持つ人間なのかを自分で知っていくことが、まずこの英作文を書く前に必要だったんだろうな~と思う今日この頃であります。

 

 私め、英語の教員をしておりまして。日本語から英語に翻訳できなくてしんどい、という声をよく聴きますが、そりゃあ難しいですよ。なにせ、その言葉を使うにあたって必要な考え方が根本的に違いますから。その言葉の含む意味や韻のふみ方なども考えると、100%翻訳しきることは不可能なんじゃないかと思うぐらいに難しいです。プロの翻訳家って、本当にすごいなと思います。プロがプロたる所以ですね。

 

 というわけで、今回は言語文化という観点から、文化の違いについて少し書いていきたいと思います。

 

 言語という側面から見た時、文化は大まかに「高コンテクスト文化」と「低コンテクスト文化」という二つに分けることが出来ます。

 高コンテクスト文化とは、わかりやすく言えば、行間を読んだり察したりしなければならないレベルが高い文化で、その代表が日本語です。日本語では「相手にも共通して知っている知識があるだろう」という前提で話を進めことが多いので、発話する時点で情報がかなり省略されている事が多いです。

 また、特に(少し問題のある)親子だと、母親が知っている事は娘も知っていて当然、情報が同期されているとでも思っているんだろうかと感じるような話し方をする人もいます。(私の母親がまさにそうでした。)心理学分野において日本人は、自分と他人の線引きや区別が出来ていない人が多いと言われており、それゆえに主語を省略して話す傾向があるとされています。(心理学と文化をからめた考察や研究は河合隼雄氏の著書に多く見られますので、興味があったらぜひ手に取ってください。)なので、「自分が知っているけど相手は知らないこと」があるとは思い至りにくい人が、日本人には多いのです。

 こうしたことから、日本語では「相手も知っているだろう」という前提のもと、色々と省いて話されることが多いのです。なので、聴き手が色々と想像力を働かせ、察しないといけません。

 加えて、非常に遠回しな言い方をする人も日本人には結構多いです。発話者の話の意図を、話を聞きながら探るということもしないといけません。

 反対に、低コンテクスト文化では行間を読まなきゃいけない確率が低く、文章自体が誤解が生じにくいような造りになっていることが多いです。その代表例が英語で、英文では誰が何をしているのか、主語と動詞をはっきりと明示しなければならないですよね。

 

 では、この言語文化の違いを認識したうえで、具体例を見ていきましょう。

 「このお店、おいしかった~!」

 この発言は、友人と街中を歩きながら会話していたらよく出てくるものではないでしょうか。これを英語にしたらどうなるでしょうか?この日本語をそのまま翻訳機で翻訳すると、"This shop was delicious.” と出てきます。この英文では、話し手が食べたのは、お店そのもの。ヘンゼルとグレーテルかよ!!!

 話し手が本来意図しているような意味の英文にしようと思ったら、日本語の時点で省略されている情報を復元しないといけません。まず、話し手「」が「そのお店に行った(事がある)。」そして、「そのお店で何かを食べた。」で、「その"何か"が美味しかった。」といった風になり、下線の部分がごっそりと抜け落ちている事がわかります。そして、その行ったり食べたりした人は誰なのか、主語も復元しないといけません。 

 もっと元々の文章に近い表現にするなら、「そのお店『で出てくる料理が』おいしかった。」となるかもしれません。こちらの文章を英語にしようと思った時、主語が関係詞を使った複雑なものになります。

 英語での自由作文の場合、最初の例のように単文を複数作る場合と、ふたつ目の例のように関係詞を用いた複文を1つ作る場合、どちらの方が今の自分の能力で英語にしやすいのかを考えた上で選択するとよいでしょう。

 こういう情報整理をしてからだと、英語に変換するときにずっとやりやすくなっていませんか?

 

 そもそも発話時に必要な思考回路が全く異なっているのですから、日本語で省略されている情報は何なのかを最初に考えて整理することが必要です。よっぽど慣れていない限り、情報を整理してからでないと、英語にした時に問題のある文章にしかならないのです。翻訳機を使う時もしかりです。

 

 「神社とお寺って何が違うの?」という日本人による疑問を度々耳にしてきました。ただ、私にとっては何を知りたいがゆえの質問なのかがよくわからないものでして、ずっと疑問に思っていたんです。

 この前、知人夫婦がしている会話で「神社とお寺って何が違うの?」「は?そんなの知らね。服装とか?地鎮祭とかに来てたのは確か神社の人だったような…」というものが。

 他にも、「外国人に神社とお寺って何が違うのかって聞かれて困ったんだけど、さい銭箱があるかないかだ!!って気がついてとっさにそう答えたんだよ。これ、名回答じゃない⁉」と私に言ってくる知人も。

 そうした経験をへて気がついたのですが、ひょっとすると彼女たちは、神社とお寺が全然違う宗教施設だという事をマジで知らないのではないか???という事実に最近気がつきました…。

 

 さて、私自身の理解の整理も兼ねて簡潔にまとめておくと、神社は神道の宗教施設、お寺は仏教の宗教施設で、そもそもの発祥が異なります。

 

 神社は神道と呼ばれる自然崇拝に由来する信仰に基づいた施設で、神様を祀る場所です。神道には教義や教祖が存在していません。そのため、誰かの教えに従った仏教やキリスト教などのように「教」の字はついていませんが、歴とした宗教施設です。

 めっちゃ簡潔にまとめると、神道は自然崇拝や太陽神崇拝に基づいた古代宗教の形を整えたようなものといったイメージ。なので、神社が中心となって行う行事は農耕のサイクルに合わせたものが多く、地鎮祭のように大地に手を加えるときには神様にお伺いを立てるので神社の管轄になりますし、田んぼの水入れなど農耕作のはじめには無事に実りが得られるようにと神主さんを交えて神社でお願いをしたりします。何の神様がその神社に祭られているのかは、土地や神社によって異なります。なにせ多神教ですので。神道について詳しく知りたいなら、山蔭基央の著作『神道の神秘――古神道の思想と行法――』(春秋社) にもっと詳しいことが書かれています。この本は宗教文化に詳しい知人に紹介していただいたのですが、なぜ神社では葬式を行わないのかや神道特有の死生観などが非常に面白かったです。

 

 一方、お寺は仏教の施設で、ブッダの教えを教義として定めているものです。特に人間の苦悩に対して焦点を当てた信仰で、人間の魂の昇華に重点が置かれています。この部分はキリスト教とも類似しているでしょうね。そして仏教はブッダの教えを基に開かれたものですが、細かい規律の定めやブッダの教えのどの部分を重視するかで宗派の違いが出ています。なので、人間の人生に関連するイベント(葬式や法事など)は仏教で行われることが多いです。

 

 

 ちなみに私の実家は、敬虔な仏教徒でした。私も多少その影響を受けていて、神社などの信仰が異なる宗教施設に行って参拝することには抵抗を感じますし、十字架のアクセサリーを贈られてもかなり戸惑います。過去におつきあいした人で、私がそういうものに抵抗があるという事を知りながらも、無理やり十字架のアクセサリーを贈ってきて、なおかつ身に着けるように強要してきた人がいました。「何度も言ってるけど、そういうのは本当に困るから」と伝えたところ、その人には「ふん、そんなくだらないこと。みんなやってるし。」と一蹴され、悲しい思いをしたことがあります。

 信仰の自由って、他人の信仰を否定・解放し、自由化を強要することではないと思うんですけどね…。さすがにこの人に対しては信仰に関しての感覚が鈍すぎると思いましたし、それ以上に他者の価値観を一切理解しようとしない姿勢からは自分が否定され続ける関係性しか思い浮かばなかったため、人としてのおつきあい自体を遠慮させていただきました。

 

 日本に移住する外国人が増えた昨今、信仰も含めて様々な価値観であふれるようになってきました。そうした他者の持つ信仰や価値観を安易に否定することは、相手の人格を否定することに等しいという事は知っておいてほしいです。時として、信仰はその人の人生や生き方の中核をなす部分にも成り得るものです。それを安易に馬鹿にし、否定することは何を意味するのか、きちんと考えてほしいです。

 日本文化や日本の宗教文化に造詣の深い知人から紹介された本。神道と言っても吉田神道や山蔭神道など複数の系統があり、それぞれに細かい作法や行法の違いがあるが、本書ではどの系統でも根底部分に共通して存在する概念やオーソドックスと考えられる部分を抽出して紹介されている。

 行法に関する部分は読み飛ばしたが、それでも非常に面白い内容だった。特に、神道特有の死後の世界観や死生観の部分が私にとっては興味深く、なぜ神社では葬式を行わないのかといった理由もここで明らかになってくる。仏教の死生観や死後の世界観とはかなりの違いがあり、日本人であるにもかかわらず初めて知ることが多かった。この本を勧めてくれた知人には感謝しかない。

 

 神道には教祖はおらず、特定の教義も無ければ、唯一神ないし絶対神とされる神の存在もない。アマテラスを唯一真と定めているという見方もできるが、これは日本という国の創世記を考えるときに、そうしておいた方がよいだろうという考えのもとに定められたものであり、いわば後づけのような設定であると言及する。日本人は動物や植物だけでなく、日常的に使う道具にも「カミ」の存在を見出しており、大小さまざまな神が存在している。そして、それら全ての神の本源となる実神――宇宙創造の一神もまた存在している。神の中にも様々な階層があるのだ。こうした「カミ」の考え方について、山蔭は「神道は多神教でもあるが、また一神教でもある。「多」を認め、「一」を認めるのが、神道の神秘でもあり、また包容力なのである。」と述べている。

 

 日本人として生まれ、日本で育ってきたが、神道と仏教の考え方が文化の中に融合しすぎるあまり、どこまでが神道に基づいたものでどの部分が仏教に基づいたものなのかの切り分けが、私の中でも非常に混乱していた。特に神に関する所がその最たるところで、日本に存在している「神」――いわゆる八百万の神とは仏教的な思想に基づいたものなのか、もしくは他の信仰に基づいたものなのか、それとも土着的に太古から存在しているものなのかがいまいちわかりづらい部分があったが、この山蔭の著書ではこのあたりも整理して述べられており、「なるほど!」と納得するような部分がある。とはいえ、明確に切り分けて説明するのが難しい世界観なので言葉で明記はできないのだが、それでも可能な限り明確に整理し提示されているのでわかりやすい。神道という観点で見た時の創造神がどういう存在なのかもわかりやすく書かれている。

 神道について、もしくは日本文化における神や死生観の一端について整理したいと思った人にとっては、かなりわかりやすくまとめられており、有益な内容といえるだろう。

 自宅で採れたマルベリー(桑の実)で、ジャムを作りました。

きれいに洗ってからガラスボールに入れ、砂糖をまぶし、ラップをふんわりかけてから電子レンジで約10分。アツアツのうちにゼラチンを混ぜると、果汁がいい感じに固まってジャムになります。(ゼラチンを入れ過ぎると、果実入りゼリーになってしまうので少な目で!)

 甘酸っぱい香りがたまらなく美味しい。シロップに溶いてから炭酸に混ぜてマルベリースカッシュにしてもさわやかで美味。小分けにして冷凍しておくと、夏の間中楽しめます。

 

↓砂糖をまぶした状態

 

↓5分加熱後

 

↓さらに5分加熱

 今日は親戚の法事でした。

 西美濃地域に暮らす夫と結婚して早や7年。私の実家とさほど離れた地域ではないにもかかわらず、風習の違いがあって驚くことも多々あります。

 ちなみに結婚してから私が一番驚いたのは、念珠の使い分けが必要なこと。

 

 特に日本の仏教では、宗派によって使う念珠の形状が異なりますが、そんな中で大抵の宗派の葬儀や法事にもっていっても差し支えない「略式念珠」というものが存在しています。その略式念珠が、下の写真の真ん中と右のやつ。

 

 

 特に私が暮らしている西美濃地域では、女性は上の三種類を用意して、適宜使い分ける必要があります。ネットで調べていたら、どうも尾張や三河の一部地域でもこうした風習があるようです。

 

 二親等以内の近しい身内が亡くなった場合、その葬儀と一回忌の法事までは白い房に二重の念珠(写真左)を用います。この二重になった念珠の方がフォーマル度が高いと考えられているようです。

 一回忌が過ぎたら、写真左端の一重に紫の房の念珠を使います。

 写真中央の一重に白い房の念珠は、近親者以外の葬儀で使うものです。一般使いできる無難なやつ、ですね。石は写真左端のような透明な玻璃ガラスの方がより無難なようです。

 

 私が幼いころから使っていた念珠は、私の実家の属する宗派特有の形状で、しかも鮮やかな濃いピンク色…。さすがに葬式や法事にピンク色はダメだろうと自分でも思っていましたが、だからと言って何だったらいいのかがよくわからずにおりました。いろいろ教えてくれた姑に感謝です。

 

 ちなみに、たとえ近隣地域でも使い分け方が異なる場合もあるので、この記事を100%あてにしないように!!迷ったら同じ地域に暮らす身内に尋ねるのが早いです。聞ける人がいなかったら、同じ町内の仏具屋さんか葬儀屋さん、もしくはフォーマルウェア売場の女性を頼るといいですよ。

 

 "Houji" is one of the Buddhism celemony to grieve deceased, and usually held every year for 50 years after his/her funeral. By doing this, it is believed that the deceased would be able to go to heaven properly or go to another life sooner. However, some Buddhism sects have different doctrine, and don't held "Houji" celemony such a long long time. 

 In my living area, we have to use three different types of rosaries depending on what relationship the deseased one is. If the deceased is in the second degree of kinship, we have to use the left one on the picture at a funeral, and also at "Houji" for one year. After one year has passed, we use the right one on the picture with purple fringe. The middle one on the picture is for funeral and Houji of others.

 This is a special habits in my living area, and I was so much surprised.

 Do you know what this is ?  これ、なーんだ?

 

 

 恐竜のしっぽ……ではありません。

 たけのこです。いつもファーマーズマーケット等で安く購入し、自宅であく抜きをしております。手間はかかりますが、いかんせん安くそれなりの量が手に入るので、醤油で焼いて食べたり、細かく刻んでタケノコチャーハンにしたりと贅沢に使えます。キンと冷えた日本酒に、タケノコの醤油焼き――酒好きにはたまらないですよね!

 

 This is a baby bamboo(タケノコ / 筍 / 竹の子). Baby bamboo is one of common foods for Japanese cuisine. Soon after harvested, it contains little scum so we can eat them without any work. However, as time goes by, the scum in the baby bamboo increases, so we have to get rid of them before we eat. It's not difficult to get rid of the scum. We only have to boil them with rice bran very very well, for 60 minutes to 90 minutes. Yeah, it's not so difficult, but it's a big job.

桜が見ごろを迎え、すっかり春のよそおいとなりました。

さて、花見もいいのですが、私の目的はコレ。 屋台のイカ焼き!

In spring, it is good to see cherry blossoms, however, Yatai food is also nice to enjoy spring. My favorite Yatai food is this one↓, squid steak !

 

 

毎年この時期だけ出ているこの屋台のイカ焼き。桜が咲いている一週間ぐらいしか味わうことが出来ません。このおじさんのお店のイカ焼きが何ともまあ美味しくて、これを目当てに毎年花見に行っております。

焼きすぎていないので身は柔らかく、しかし醤油ベースのタレの香ばしさが病みつきに。去年はこのイカ焼き食べたさに、この場所に二回も訪れましたが、今年は花見に行ってすぐ買い、帰り際にももう一回買ってきました。さすがに二回目行った時にはおじさんにビックリされましたが。いやぁ、それだけ美味しいんですよ。

I visit this place every year to eat this squid steak. The squid steak in this Yatai is very soft and savory. 

 

花より団子:Better to taste, rather than seeing flowers.

春も暖かくなってきた今日この頃、庭にはよもぎがたくさん生えてきました。まだ若芽が柔らかそうなうちに摘み取って、処理をします。

Yomogi, the Japanese herb, is growing and covering all over the yard. Sprouts of Yomogi is very good item to make Yomogi bread, or Yomogi rice-cake.

 

 

摘み取ったよもぎはドロや虫がついているので、丁寧に洗ってから重曹を入れたお湯で茹で、その後ミキサーにかけてペースト状にします。

これをジップロックに入れて凍らせると、それなりに日持ちがして便利。

After washing Yomogi verywell, I boil them and put them into the mixer to make Yomogi paste.

 

 

ペーストにしたよもぎをパン生地に混ぜて焼くと、美味しいよもぎパンの出来上がり。

We can use Yomogi paste when we make breads or rice-cakes. Sweet flavor goes very well with Yogmogi's greeny smell. 

 

少し風が寒いですが、自転車でお出かけしました。

思いがけず桜(だと思う…)が見れてラッキー(^v^)