山蔭基央『神道の神秘――古神道の思想と行法――』春秋社、2000 | Kaz の景色

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ちょっとした日常の記録

 日本文化や日本の宗教文化に造詣の深い知人から紹介された本。神道と言っても吉田神道や山蔭神道など複数の系統があり、それぞれに細かい作法や行法の違いがあるが、本書ではどの系統でも根底部分に共通して存在する概念やオーソドックスと考えられる部分を抽出して紹介されている。

 行法に関する部分は読み飛ばしたが、それでも非常に面白い内容だった。特に、神道特有の死後の世界観や死生観の部分が私にとっては興味深く、なぜ神社では葬式を行わないのかといった理由もここで明らかになってくる。仏教の死生観や死後の世界観とはかなりの違いがあり、日本人であるにもかかわらず初めて知ることが多かった。この本を勧めてくれた知人には感謝しかない。

 

 神道には教祖はおらず、特定の教義も無ければ、唯一神ないし絶対神とされる神の存在もない。アマテラスを唯一真と定めているという見方もできるが、これは日本という国の創世記を考えるときに、そうしておいた方がよいだろうという考えのもとに定められたものであり、いわば後づけのような設定であると言及する。日本人は動物や植物だけでなく、日常的に使う道具にも「カミ」の存在を見出しており、大小さまざまな神が存在している。そして、それら全ての神の本源となる実神――宇宙創造の一神もまた存在している。神の中にも様々な階層があるのだ。こうした「カミ」の考え方について、山蔭は「神道は多神教でもあるが、また一神教でもある。「多」を認め、「一」を認めるのが、神道の神秘でもあり、また包容力なのである。」と述べている。

 

 日本人として生まれ、日本で育ってきたが、神道と仏教の考え方が文化の中に融合しすぎるあまり、どこまでが神道に基づいたものでどの部分が仏教に基づいたものなのかの切り分けが、私の中でも非常に混乱していた。特に神に関する所がその最たるところで、日本に存在している「神」――いわゆる八百万の神とは仏教的な思想に基づいたものなのか、もしくは他の信仰に基づいたものなのか、それとも土着的に太古から存在しているものなのかがいまいちわかりづらい部分があったが、この山蔭の著書ではこのあたりも整理して述べられており、「なるほど!」と納得するような部分がある。とはいえ、明確に切り分けて説明するのが難しい世界観なので言葉で明記はできないのだが、それでも可能な限り明確に整理し提示されているのでわかりやすい。神道という観点で見た時の創造神がどういう存在なのかもわかりやすく書かれている。

 神道について、もしくは日本文化における神や死生観の一端について整理したいと思った人にとっては、かなりわかりやすくまとめられており、有益な内容といえるだろう。