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Kaz の景色

ちょっとした日常の記録

 こんにちは。うだるような暑さに湿気で重くなった空気――すっかり夏になりましたね(笑)

 今年は梅の収穫量が少なく、梅の値段が高騰しております。例年は1kgで600円から900円ぐらいの間(梅のサイズや産地・品種、売っている店によって値段が異なる)で購入していたのですが、今年店頭に並んでいたのはサイズ関係なく1kgで1480円(税抜き)!!! いつも4kgから5kgほど購入して梅シロップを作るのですが、今年はお財布と相談した結果2kgだけ作ることにしました。

 

 

用意するのは・・・

 ・梅 2kg

 ・上白糖 2kg

 ・漬物用の瓶(5リットルサイズ)

 

 

 梅は一個づつ洗って乾かしておきます。その際、傷んでいないかどうかも併せて確認します。夜洗って平ザルに広げ、涼しい場所に置いておくと、大抵翌日には乾いています。

 

 

 梅が乾いたら、爪楊枝でヘタを取り除きます。

 

 

 梅と白砂糖を交互に瓶に入れ、ミルフィーユ層のような状態にします。この状態で、直射日光の当たらない涼しい場所に数週間置いておくと、梅の果汁が出てきてシロップが出来上がります。飲めるようになるまで1か月ほどです。

 

 Today, I made Ume syrup (no alcohol).  We only need 2kg of Ume ―― Japanese plum ―― and 2kg of white sugar. 

 After cleaning plum, get rid of the stem from Ume and put it into the jar with white sugar. Then, keep it at a dark and cool place for one month. 

 

 Ume, Japanese plum, is very important for Japanese cuisine. 

 

・Umeboshi (梅干し) … Ume pickles. Usually red and often stays on the top of rice.

・Ume syrup(梅シロップ)… It is close to cordial syrup. When we drink, need to devide by water or soda water.  Ume contains citric acid, so it helps healing our fatigues during summer. 

・Ume liquor (梅酒)… This is an alcohol. 

 

 Especially in the country side in Japan, many families make umeboshi or ume liquor by themselves. Therefore, these families have their own recipe to make their own umeboshi or ume liquor. 

 6月に入り、だんだんと暑くなってきましたね。風に揺られて鳴る風鈴の音色が涼しげで、心を和ませてくれます。

 風鈴と一口に言っても、ガラス製のもの、陶器のもの、鉄のものなど様々あります。わが家で使っているのは、南部鉄の風鈴。

 ガラスの物は見た目がかわいらしいものが多いのですが、音が高くて軽いことが多く、あまり音の余韻が残りません。一方、南部鉄のものは見た目がさほど可愛いとは言えず、色もこのどす黒い緑色の物ぐらいしか見たことがないのですが、音が澄んでいてキレイに響きます。かなりお気に入りのものです。

 

        

 

 私が居を構えている地域は風が強く、外に風鈴を吊るそうものなら、うっとおしくなるぐらいに音が常になり続けます。なので、家の中で風が通る場所に吊るしてあります。時々思い出したように鳴るぐらいがちょうどいいですね。

 

 ちなみに、どれぐらい強風かというと、洗濯物を外に干したらハンガーごと余裕で飛んでいきます。物干し竿にハンガーを固定したらしたで、ハンガーだけ残っていることもよくあります。お隣の家に夫のパンツが飛ばされたときには、真っ青になりました。拾いに行くか気づかなかったふりをして諦めるかで、この上なく迷いました。皆さんだったら拾いに行きますか?それとも「ごめんなさい!!!」と心の中で叫びながら諦めますか?

 拾得物として警察に届け出ると、持ち主が現れなかった場合、3か月後には拾った人の物にすることが出来るそうです。・・・持ち主不明のパンツ…(笑)

 今日は鮎を食べに行きました(´▽`*)

 鮎は6月から9月ぐらいの間にしか食べることのできない川魚です。特に鮎刺しは足が早いため、鮎の捕れる川べりの店でしか見られない一品です。私はこの鮎刺しが大好きで、毎年6月ごろに食べに行きます。マグロなどに比べると淡白な味わいで、食感もクセになります。鮎を食べるといつも、「今年も夏が来るなぁ…」という気分になります。

 9月には子持ち鮎が楽しめるそうですが、これはまだ食べたことがないです。個人的には、初夏が気候的にも鮎を楽しむのにちょうどいい季節だと思っています。少し暑くなりかけてきた頃、心地よい風が吹き、屋外で冷たい鮎刺しを楽しむ…。考えていたらキンと冷えたビールか日本酒も欲しくなっちゃいますね(笑)

 

 Ayu, or sweetfish in English,  is one of the freshwater fish and we only can eat them during summer, about June to September (or sometimes to October). I always go and eat ayu dishes in June every year.

   My favorite ayu dish is Sashimi slices of raw ayu. The taste is not as strong as raw tunny, so it's much easier to eat. I also like its mouthfeel.

 Raw ayu is  easy to get rot and we only can eat Ayu Sashimi at a riverside shop, so eating Ayu Sashimi is my special occasion to enjoy beginning of summer. It's very nice to enjoy ayu dishes in a little hot day with cool wind at a riverside.

 When you visit Japan on summer, I highly reccomend you to enjoy ayu dishes!

 

 汗ばむ季節になってきましたね。アトピーの私には少々しんどい季節です。なぜかというと、汗が乾燥した皮膚にしみて痛い&かゆい!まぁ春は春で花粉が皮膚につくとかゆくなるのでしんどいのですが。

 

 以前薬を塗ってアトピーがよくなったのですが、しばらく何のケアもしなかったらまたぶり返してきたことがあります。病院の先生によると、アトピーは「超乾燥肌!!!」っていう体質のようなものだから、見た目が問題なくなったようでも、きちんと保湿しないとすぐに乾燥して粉が吹いてくる、と。

 表面上問題が無いのにボディークリームを塗って保湿をするという頭が無かった私、超ビックリしました。子どものころはこの体質のせいで色々薬を塗ったくられベトベトして気持ち悪いし、クラスメイトに気持ち悪いと言われて悲しいしで本当に嫌でした。何より、毎日時間をかけて全身に何かを塗るのが面倒くさい。

 でも最近では開き直って、「保湿は大事だからねー」「パッチテストで大丈夫だったやつがこれしかなかったし~」を大義名分に、気に入った香りのボディークリーム(ロクシタン、ちょっとお値段高め)を堂々と買い、贅沢に使っております(笑) これくらいの楽しみがないと、やってらんねぇっすよ。

 

 化粧水やボディークリームは、パッチテストをしてかぶれないことを確かめてから使わないと、皮膚が真赤に腫れあがったり、湿疹が出てきたりして大変なことになります。ひどいときは皮膚の表面がやけどしたようにジュクジュクとして爛れ、めくれてくることもあります。かぶれると大抵は激しいかゆみが伴うので、夜寝ている間にかきむしっている事もしばしば。朝になると爪の間が血まみれで、皮膚の表面がえぐれている事もよくありました。私個人で言えば、エタノールが入っているケア用品は皮膚が赤く腫れてかゆくなるのでアウトですね。あと、野草やハーブの成分をそのままに…とかいうコンセプトのやつも成分が濃すぎるのか、刺激がひどくてアウトの事が多いです。

 一度、脚用のマッサージクリームを塗ったその手で首を掻いたことがあります。首の触った部分だけが赤く腫れてしまったのですが、なんとそれが思いっきりきれいな指の形になっていまして。どう見ても首を絞められた痕にしか見えない(;゚Д゚)ヤバッ この痕が消えるまで数か月かかりました。。。マッサージクリーム、皮膚のやわらかい部分についちゃうとこうなることがあるんですねぇ…。

 

 シャンプーとコンディショナーも、念入りに確かめてから使わないと、頭皮に湿疹ができまくって地味に痛かったりガッサガサに乾燥したりします。一度、シャンプーが合わなかったせいで頭皮だけでなく体全体にも湿疹ができ、大変な目に遭いました。

 

 あと、盲点だったのが、ボディーソープと入浴剤。子どものころからお風呂に入ると全身にかゆみや湿疹が出ていたのですが、この原因がどうもボディーソープと入浴剤のようです。

 以前、メルサボンというボディーソープを気まぐれに使ってみたのですが、体を洗ったあとのかゆみや不快感が驚くほどになく、感動したことがあります。これがきっかけで、ボディーソープも肌のかゆみの原因になっていたと気がつきました。

 そして入浴剤。母親から「これ要らないからあげる」と押し付けられた入浴剤を使ったとき、その入浴剤を入れたお湯の蒸気を吸って咳が止まらなくなったことがありました。しかも、そのお風呂に入ると肌がビリビリしてかゆい。それで、ひょっとすると入浴剤もアトピーの原因になってるんじゃないか?との考えに至りました。というわけで、ボディーソープに続き入浴剤も変えて見ると…驚くほどにかゆくならない!サッパリとした爽快感!!

この二つを変えるだけでここまで快適になるのかレベルの感動がありました。

 

 私にとってお風呂は「入ると必ず湿疹が全身に出てかゆくなる」ものでした。物心つくころから、お風呂上がりには全身をかきむしるのが普通。皮膚の不快感を伴うのがお風呂。これが私にとっての「普通」で「日常」。なので、お風呂に入るのが本っ当に嫌いでした。「汚い」とか「そんなの女の子じゃない」とか散々言われて来ましたが、不快感を身にまとうためにお風呂に入るなんて嫌に決まってるじゃないですか。その原因がボディーソープと入浴剤だなんて、考えた事もなかった。完全に盲点でした。

 何らかの皮膚トラブルがある人はまず、お風呂周りで使っているものが本当に肌に合っているかを確かめた方がいいと思います!

 

 2年ほど前に、シャワーヘッドをマイクロバブルのものに変えました。シャワーヘッドまで変えたことで、お風呂上がりに急いで体中に保湿剤をつけないと肌がつっぱってくるという事がなくなりましたし、乾燥しているのにニキビもできているなんていうおかしな肌トラブルがぐっと減りました。ニキビだらけだった背中が、今ではニキビの痕も目立たないぐらいツルツルに。乾燥してかゆかった肩も今では何ともありません。使用する化粧水や保湿剤の量も全体的に減ったので、ボディーケア用品に費やしていた出費が減ったように感じます。

 今でもまだ乾燥している部分はありますが、お風呂周りのものを肌に合うものに変えたことで、ぐっと快適になりました。

 

 アトピーと言っても「超乾燥肌で超敏感肌」っていう共通点があるぐらいで、人によって原因になっているものは違いますし肌に合うものも違います。アトピー用のケア用品だからアトピー全員に大丈夫だなんて事もありません。なので、「アトピーはこういうもの!」とか「これが効く!」とか「この方法がいい!」とかをここで書くつもりはありません。ただ、この記事は私の経験を書いただけであり、こういうケースもあるとしてアトピーで四苦八苦している方の参考になったら嬉しいな、と思います。

 

 欧米って、国土が広いぶん、車の制限速度も日本に比べてかなり速いんですよね。ドイツなんかだと230キロで飛ばしてくれる道路もあるもんだから、もう怖いしGがかかって気持ち悪いしで、車酔いしやすい人間にとってバスツアーはしんどいんですよ。酔い止め飲むと頭がぼーっとして半分夢心地のまま醒めないし。動きも顔色も余裕でゾンビみたいになります。

 

 イタリアでも参加したツアー旅行、車酔いしながらゲロゲロ気分で宿泊地に到着。各自で晩御飯を食べることになったはいいのですが、いつまでたってもフラフラしたままでなかなか戻りません。かといって晩御飯を食べ損ねると翌朝まで食べ物なし。なんとかツレと一緒にレストランまで行きました。

 

 何でかなぁ、イタリアのメニュー表って文字ばっかりで写真がひとつもない。頭がフラフラしている時にこれは辛い。

 ツレが私に声をかけてきます。「クラブパスタって、カニのパスタだよね?」メニュー表の文字を指さしながら私に尋ねてきますが、もう気持ち悪いばかりの私は適当に返事します。「うん、そうだと思う。」今思えばこれがあかんかった。

 

 サラダとその件のパスタを「なんか値段高いね~。さすがヨーロッパだ」とか言いながら注文し、シェアしようという事になりました。ですがですが。なんと目の前に出てきたのはカニパスタではなく、アサリが大量に乗っかった大盛りパスタ。

 慌ててメニュー表を見直すと、英語の隣に思いっきりイタリア語で「ボンゴレビアンコ」って書いてあるやん!!!(;゚Д゚)/ おいっっっ!!!

 あ~なるほど、クラブパスタじゃなくってクラムパスタね~。わたし、あさり、たべれないんですが。英語できないからってゾンビ状態のやつをあてにしてんじゃねぇ!(←八つ当たり)

 

  めのまえに あさりが たいりょうに あらわれた!

  ゆうしゃカズ こころに500のダメージ

  ツレのこうげき ツレは あさりに かみついた

 

 しかもこのパスタ、3人前ぐらいある。ってか一緒に来たサラダも、居酒屋の飲み会コースを頼んで大皿でドーンと出てくるような、あんな感じの量がある。サラダだけでお腹いっぱいなんですが・・・。そりゃあこんなけ量があればその値段になるわ、という納得のボリューム。

 

  あさりは なかまを よんだ

  たいりょうの さらだが あらわれた

  ゆうしゃカズの せいしんてきHP のこり10

  おなかの あきぐあい のこり0 (むしろマイナス)

 

 ツレとふたり涙目になりながらたいらげました。

 

 余談。そのレストラン、会計は席でするようになっており、ツレが店員さんに声かけて会計をしたいというので頼みました。が、いつまでたっても店員さんに声をかけない。何度も、思いっきり、あなたの隣を通ってるんですが???さすがに20分経ったあたりで「何で声かけないの?」と尋ねたら、「だって。あのお姉さん、強そうで怖いんだもん。」との返事が返ってきました。旦那よ、部屋に帰ったらフルボッコじゃ。

 海外でも日本国内でも、旅行に行ったらその土地の美味しいものを堪能するのが、私の一つの楽しみとなっております。

 さて、今回はその食べ物に関するちょっとおバカな話です。

 

 南イタリアに行った時のことです。南イタリアは温暖な気候の土地で、レモンの産地。レモン系の何か食べたいな~と思っていたのですが、お昼ごはんに入ったレストランのメニューにレモンジュースなるものを見つけました。

 「お!これはレモンの味わいを比較的そのまま楽しめるじゃないか!」と考え、ウキウキしながらレモンジュースを注文。

 

 ちなみに皆さん、英語の "juice" の意味ってご存知ですか?日本語にすると「ジュース」ではありますが、日本のジュースと英語の juice とではモノが少し違います。

 英語でいう juice は、果汁100%の飲み物だけを juice と呼び、果汁のほとんど入っていないジュースは juice ではなく cordial 、ものによっては sodt drink と呼ばれます。日本で飲まれている「ジュース」の大半は、厳密にはジュースではないんですよ。

 

 ここまで読むと、私が何を注文したのか、うすうす気がついてきた人もいるかと思います(笑)

 

 話を戻しまして、イタリアのレストラン。私の前に登場したレモンジュースは、レモン果汁100% の、激酸っぱな飲み物でした。しかも、ビールの中ジョッキぐらいの大きさのグラスで登場。氷はほとんど無し。一口飲んで、顔の全てのパーツがギュッと中心によったまま戻りません。。。店員さんが私の目の前に、角砂糖を5個ぐらい入れた小皿をそっと置いてくれます。迷わず全投入。しかぁし!!! 角砂糖5個じゃ全く足りない…!!!頑張って飲み、少し空いたスペース分だけ水を足しながら飲み切りました。

 

 教訓。juice の定義に例外は無かった…!

 

 知ってるはずなのに、注文するときにはなぜか忘れているというアホさ加減、なんなんでしょうねぇ。自分で呆れますわ。まぁ、だからこそ笑い話が増えて楽しい旅になるんでしょうが(笑)

 英検や国連英検で必ず出てくる英作文。昔、この英作文で困ったことがあります。

 

 高校生の時でした。国連英検を受けたのですが、その試験で出てきた英作文のテーマが「北朝鮮とどう関係を築くのがいいと思いますか?あなたの考えを書いてください。」というものでした。――― めっちゃ固まりました。

 当時、私、高校2年生。考えても考えても、何も思い浮かびません。私が育った環境では、学校でも家でも、女だてらに自分の意見を持つことは禁じられていましたから、そもそも自分の考え自体がわかりません。何も考えずに親に黙って従うのが、私に求められることの全てでした。物事は全て「そういうもの」として受け入れるように教育され、疑問を持つことは一切許されていませんでした。こういう環境で育った人間にとっては、「自分の考え」を問われる問題は非常に酷です。

 さて、そんなことばかり考えていても時間は過ぎていきます。英語が出来なくてわからない、とかそういう以前の問題。これが例え日本語で記述する小論文の問題だったとしても、たぶん書けなかったでしょう。

 何を書けばいいんだ!?知らんわそんなの!!……と叫び出したい衝動を抑えること20分。やっとひねり出して書いた英語の一文が、「キムを○ろせば解決すると思う。」と。

 

 え? 受かったかですって? 落ちましたよモチロン。逆に受かっていたら大問題でしょうや。

 

 自分の考えを持つって、結構むずかしい。じゃあ、どうやって自分の考えを持つことが出来るのか――。

 いきなり自分の考えを持つことは難しいので、まずはどういう意見や考えがあるのか、新聞を読んだりニュースを見たりしながら知っていく。その中で、自分がどういう考えに共感し、どういう意見に反感を持つのかを知っていく。そういう事を繰り返しながら、自分がどういう考えを持つ人間なのかを自分で知っていくことが、まずこの英作文を書く前に必要だったんだろうな~と思う今日この頃であります。

 

 私め、英語の教員をしておりまして。日本語から英語に翻訳できなくてしんどい、という声をよく聴きますが、そりゃあ難しいですよ。なにせ、その言葉を使うにあたって必要な考え方が根本的に違いますから。その言葉の含む意味や韻のふみ方なども考えると、100%翻訳しきることは不可能なんじゃないかと思うぐらいに難しいです。プロの翻訳家って、本当にすごいなと思います。プロがプロたる所以ですね。

 

 というわけで、今回は言語文化という観点から、文化の違いについて少し書いていきたいと思います。

 

 言語という側面から見た時、文化は大まかに「高コンテクスト文化」と「低コンテクスト文化」という二つに分けることが出来ます。

 高コンテクスト文化とは、わかりやすく言えば、行間を読んだり察したりしなければならないレベルが高い文化で、その代表が日本語です。日本語では「相手にも共通して知っている知識があるだろう」という前提で話を進めことが多いので、発話する時点で情報がかなり省略されている事が多いです。

 また、特に(少し問題のある)親子だと、母親が知っている事は娘も知っていて当然、情報が同期されているとでも思っているんだろうかと感じるような話し方をする人もいます。(私の母親がまさにそうでした。)心理学分野において日本人は、自分と他人の線引きや区別が出来ていない人が多いと言われており、それゆえに主語を省略して話す傾向があるとされています。(心理学と文化をからめた考察や研究は河合隼雄氏の著書に多く見られますので、興味があったらぜひ手に取ってください。)なので、「自分が知っているけど相手は知らないこと」があるとは思い至りにくい人が、日本人には多いのです。

 こうしたことから、日本語では「相手も知っているだろう」という前提のもと、色々と省いて話されることが多いのです。なので、聴き手が色々と想像力を働かせ、察しないといけません。

 加えて、非常に遠回しな言い方をする人も日本人には結構多いです。発話者の話の意図を、話を聞きながら探るということもしないといけません。

 反対に、低コンテクスト文化では行間を読まなきゃいけない確率が低く、文章自体が誤解が生じにくいような造りになっていることが多いです。その代表例が英語で、英文では誰が何をしているのか、主語と動詞をはっきりと明示しなければならないですよね。

 

 では、この言語文化の違いを認識したうえで、具体例を見ていきましょう。

 「このお店、おいしかった~!」

 この発言は、友人と街中を歩きながら会話していたらよく出てくるものではないでしょうか。これを英語にしたらどうなるでしょうか?この日本語をそのまま翻訳機で翻訳すると、"This shop was delicious.” と出てきます。この英文では、話し手が食べたのは、お店そのもの。ヘンゼルとグレーテルかよ!!!

 話し手が本来意図しているような意味の英文にしようと思ったら、日本語の時点で省略されている情報を復元しないといけません。まず、話し手「」が「そのお店に行った(事がある)。」そして、「そのお店で何かを食べた。」で、「その"何か"が美味しかった。」といった風になり、下線の部分がごっそりと抜け落ちている事がわかります。そして、その行ったり食べたりした人は誰なのか、主語も復元しないといけません。 

 もっと元々の文章に近い表現にするなら、「そのお店『で出てくる料理が』おいしかった。」となるかもしれません。こちらの文章を英語にしようと思った時、主語が関係詞を使った複雑なものになります。

 英語での自由作文の場合、最初の例のように単文を複数作る場合と、ふたつ目の例のように関係詞を用いた複文を1つ作る場合、どちらの方が今の自分の能力で英語にしやすいのかを考えた上で選択するとよいでしょう。

 こういう情報整理をしてからだと、英語に変換するときにずっとやりやすくなっていませんか?

 

 そもそも発話時に必要な思考回路が全く異なっているのですから、日本語で省略されている情報は何なのかを最初に考えて整理することが必要です。よっぽど慣れていない限り、情報を整理してからでないと、英語にした時に問題のある文章にしかならないのです。翻訳機を使う時もしかりです。

 

 「神社とお寺って何が違うの?」という日本人による疑問を度々耳にしてきました。ただ、私にとっては何を知りたいがゆえの質問なのかがよくわからないものでして、ずっと疑問に思っていたんです。

 この前、知人夫婦がしている会話で「神社とお寺って何が違うの?」「は?そんなの知らね。服装とか?地鎮祭とかに来てたのは確か神社の人だったような…」というものが。

 他にも、「外国人に神社とお寺って何が違うのかって聞かれて困ったんだけど、さい銭箱があるかないかだ!!って気がついてとっさにそう答えたんだよ。これ、名回答じゃない⁉」と私に言ってくる知人も。

 そうした経験をへて気がついたのですが、ひょっとすると彼女たちは、神社とお寺が全然違う宗教施設だという事をマジで知らないのではないか???という事実に最近気がつきました…。

 

 さて、私自身の理解の整理も兼ねて簡潔にまとめておくと、神社は神道の宗教施設、お寺は仏教の宗教施設で、そもそもの発祥が異なります。

 

 神社は神道と呼ばれる自然崇拝に由来する信仰に基づいた施設で、神様を祀る場所です。神道には教義や教祖が存在していません。そのため、誰かの教えに従った仏教やキリスト教などのように「教」の字はついていませんが、歴とした宗教施設です。

 めっちゃ簡潔にまとめると、神道は自然崇拝や太陽神崇拝に基づいた古代宗教の形を整えたようなものといったイメージ。なので、神社が中心となって行う行事は農耕のサイクルに合わせたものが多く、地鎮祭のように大地に手を加えるときには神様にお伺いを立てるので神社の管轄になりますし、田んぼの水入れなど農耕作のはじめには無事に実りが得られるようにと神主さんを交えて神社でお願いをしたりします。何の神様がその神社に祭られているのかは、土地や神社によって異なります。なにせ多神教ですので。神道について詳しく知りたいなら、山蔭基央の著作『神道の神秘――古神道の思想と行法――』(春秋社) にもっと詳しいことが書かれています。この本は宗教文化に詳しい知人に紹介していただいたのですが、なぜ神社では葬式を行わないのかや神道特有の死生観などが非常に面白かったです。

 

 一方、お寺は仏教の施設で、ブッダの教えを教義として定めているものです。特に人間の苦悩に対して焦点を当てた信仰で、人間の魂の昇華に重点が置かれています。この部分はキリスト教とも類似しているでしょうね。そして仏教はブッダの教えを基に開かれたものですが、細かい規律の定めやブッダの教えのどの部分を重視するかで宗派の違いが出ています。なので、人間の人生に関連するイベント(葬式や法事など)は仏教で行われることが多いです。

 

 

 ちなみに私の実家は、敬虔な仏教徒でした。私も多少その影響を受けていて、神社などの信仰が異なる宗教施設に行って参拝することには抵抗を感じますし、十字架のアクセサリーを贈られてもかなり戸惑います。過去におつきあいした人で、私がそういうものに抵抗があるという事を知りながらも、無理やり十字架のアクセサリーを贈ってきて、なおかつ身に着けるように強要してきた人がいました。「何度も言ってるけど、そういうのは本当に困るから」と伝えたところ、その人には「ふん、そんなくだらないこと。みんなやってるし。」と一蹴され、悲しい思いをしたことがあります。

 信仰の自由って、他人の信仰を否定・解放し、自由化を強要することではないと思うんですけどね…。さすがにこの人に対しては信仰に関しての感覚が鈍すぎると思いましたし、それ以上に他者の価値観を一切理解しようとしない姿勢からは自分が否定され続ける関係性しか思い浮かばなかったため、人としてのおつきあい自体を遠慮させていただきました。

 

 日本に移住する外国人が増えた昨今、信仰も含めて様々な価値観であふれるようになってきました。そうした他者の持つ信仰や価値観を安易に否定することは、相手の人格を否定することに等しいという事は知っておいてほしいです。時として、信仰はその人の人生や生き方の中核をなす部分にも成り得るものです。それを安易に馬鹿にし、否定することは何を意味するのか、きちんと考えてほしいです。

 日本文化や日本の宗教文化に造詣の深い知人から紹介された本。神道と言っても吉田神道や山蔭神道など複数の系統があり、それぞれに細かい作法や行法の違いがあるが、本書ではどの系統でも根底部分に共通して存在する概念やオーソドックスと考えられる部分を抽出して紹介されている。

 行法に関する部分は読み飛ばしたが、それでも非常に面白い内容だった。特に、神道特有の死後の世界観や死生観の部分が私にとっては興味深く、なぜ神社では葬式を行わないのかといった理由もここで明らかになってくる。仏教の死生観や死後の世界観とはかなりの違いがあり、日本人であるにもかかわらず初めて知ることが多かった。この本を勧めてくれた知人には感謝しかない。

 

 神道には教祖はおらず、特定の教義も無ければ、唯一神ないし絶対神とされる神の存在もない。アマテラスを唯一真と定めているという見方もできるが、これは日本という国の創世記を考えるときに、そうしておいた方がよいだろうという考えのもとに定められたものであり、いわば後づけのような設定であると言及する。日本人は動物や植物だけでなく、日常的に使う道具にも「カミ」の存在を見出しており、大小さまざまな神が存在している。そして、それら全ての神の本源となる実神――宇宙創造の一神もまた存在している。神の中にも様々な階層があるのだ。こうした「カミ」の考え方について、山蔭は「神道は多神教でもあるが、また一神教でもある。「多」を認め、「一」を認めるのが、神道の神秘でもあり、また包容力なのである。」と述べている。

 

 日本人として生まれ、日本で育ってきたが、神道と仏教の考え方が文化の中に融合しすぎるあまり、どこまでが神道に基づいたものでどの部分が仏教に基づいたものなのかの切り分けが、私の中でも非常に混乱していた。特に神に関する所がその最たるところで、日本に存在している「神」――いわゆる八百万の神とは仏教的な思想に基づいたものなのか、もしくは他の信仰に基づいたものなのか、それとも土着的に太古から存在しているものなのかがいまいちわかりづらい部分があったが、この山蔭の著書ではこのあたりも整理して述べられており、「なるほど!」と納得するような部分がある。とはいえ、明確に切り分けて説明するのが難しい世界観なので言葉で明記はできないのだが、それでも可能な限り明確に整理し提示されているのでわかりやすい。神道という観点で見た時の創造神がどういう存在なのかもわかりやすく書かれている。

 神道について、もしくは日本文化における神や死生観の一端について整理したいと思った人にとっては、かなりわかりやすくまとめられており、有益な内容といえるだろう。