kawanobu日記/軽井沢紀行4;深い森の中の街に旧跡を訪ねる:トンボの湯、ショーハウス、聖公会、聖パウロ教会、外人墓地、室生犀星 画像1

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 軽井沢・星野エリアの野鳥の森を、それこそ駆け足で走り抜けた。ビジターセンターではたっぷり1時間と言われたが、40分くらいで元に戻った。森に入る時、小学生低学年2人を連れた親子連れに道を聞いたが、私が戻ってくると、お母さんから「もう戻られたんですか」と驚かれた。確かに――。今度再訪する機会があれば、もっとゆっくりと回ろう。

大賀ホールを通過するともう森の中
 バスは最初に聞かされた時間より5分遅いダイヤになっていた。どういうわけか、無料なのは、ラッキー、という感じだ。トンボの湯という日帰り温泉を経営しているホテルが、客へのサービスに運行しているのだろう。これで疲れずに、軽井沢駅に行けた。
 バス到着口は、大きなアウトレットのある南口で、私は階段を登って、旧軽井沢のある北口へと通り抜けた。この駅前のレンタルサイクルの店で、自転車を借りた。北へ行くほど緩やかな坂道となっているので、三段変速ギア付きのママチャリで、これは意外とペダルが軽かった。店番のおばさんに、買い物なんて興味ないんでしょう、と聞かれ、実際、そのとおりだったので、名所・旧跡周りのコースを実に手際よく紹介してもらった。
 走り出して大賀ホールの前を通り抜けると、もう森の中という感じだ。走っていると、同じレンタルサイクル利用の観光客を、あちこちで目にする。道幅は3~4メートルくらいと狭く、また駐車場も少ないので、軽井沢観光は車では無理だということをすぐに悟った。歩くのがベストだが、それでは機動力を欠く。自転車は、ちょうどよい移動手段である。

森のあちこちにプチ新旧両教会が
 驚いたのは、森の中に点在する感じの昔からの別荘地を結ぶ細い道も、緑のアーケードで覆われているので、日射しを全く感じない。樹木の伐採は厳しく規制されているのだろう、太くて高い針葉樹(カラマツだろうか)や落葉樹が道の両側に並んでいるのだ。別荘も、そうした樹木の中に埋もれている。石の門塔には、コケすらむしている。
 ただ観光案内板が乏しく、地図を見ても、なかなか目的地を探せない。初めて軽井沢に建てられた別荘というショーハウスを探して、2度、3度と行きつ戻りつした(写真上=ショー記念礼拝堂とショー師の胸像。ショーの建てた別荘であるショーハウスはこの右奥にある)。
 イギリス聖公会の宣教師A・O・ショーが、1888年(明治21年)に初めて避暑用に建てた別荘がショーハウスで、当時のままに保存されている。これが、軽井沢別荘の第1号だった。今ほど都市気候化していなかった明治の東京も、涼しいイギリスから赴任してきた宣教師には耐え難い暑さだったに違いない。ちなみに立教大学は、イギリス聖公会ではないが、アメリカ聖公会の宣教師が設立した私塾が母体である
 それは、宣教師、司祭などキリスト教関係者ばかりでなく、貿易商社マンなど明治の日本にやってきた外国人にも同じだった。街中(森の中、と言い換えた方がこの場合、適切だ)に、やたら小さな新旧両キリスト教会が目立つ。それだけ外国人信者が多かったのだろう。木造の聖パウロ・カトリック教会など、小さいが風情のある教会であった(写真中)。
 ごく普通の日本風墓地の一角に、通称「外人墓地」と呼ばれる区画もある。日本、特に軽井沢を愛し、ここで骨を埋める遺志を残した人たちの眠る場である。

トータル20キロのウオーキングの1日
 さて、たまたま見かけた芭蕉句碑で写真を撮っていると、リュックを背負った70歳近い老人から道を聞かれた。室生犀星の旧居(写真下)はどこか、という。これは、この前に寄った所だったので、近くだと教えたが、何とこの老人を、旧三笠ホテルの近くでも見かけた。
 「健脚ですねぇ」と声をかけると、「私は東海道を東京から京都まで歩いたんだ」と言われた。おみそれしました、である。
 その旧三笠ホテルを訪れると、入館時間ギリギリの4時半だった。そこで、中に入ることを諦め、軽井沢駅前に戻ることにした。
 この日の徒歩の最後の仕上げは、御代田駅から知人のリゾートマンションまで中山道の坂道を歩いて帰ったことであった。おそらくこの日、総計すると20キロ近いウオーキングであった。疲れた……。

昨年の今日の日記:「裏磐梯紀行⑦、五色沼探勝路の帰路は、遠藤現夢の墓と碑に:湿原、竜沼、アカマツ、遷移」