kawanobu日記/軽井沢紀行5:離山登山;イギリスの定年制禁止報道、労働規制撤廃とセットで日本も導入を 画像1

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 翌4日、目覚めると快晴で、ベランダからすぐ目前に雲に隠れていない浅間山が見えた(写真上)。前日は見えなかっただけに、感動の朝である。御代田駅の観光案内には、浅間山頂まで4時間とあったが、いずれは登りたいけれども、この日は、ずっと低い山の軽登山からスタートすることにした。

軽井沢から離山を目指す
 知人のマンションを辞して、しなの鉄道御代田駅まで歩く。約30分。車もほとんど通らないが、たまに通る時は、狭い道を猛スピードですっ飛ばしていくので、身の危険を感じるほどだ。人里もないので、夜はとうてい歩けないだろう。
 朝とはいえ、駅に着いた時は、もう汗びっしょりだった。
 軽井沢駅では、前日と同じレンタルサイクルショップで自転車を借りた。前日より古いタイプらしいのだが(それでも三段変速ギア付きだ)、全日1050円というので、それを借りた。乗ってみると、乗り心地は前日の自転車と変わらない。
 強い日射しのもと、西に向かい、東部小学校を目指す。途中、スーパーにある自販機でペットボトル入りのお茶を買う。軽井沢は、メイン通りには必ず両側に自転車も走れる広い歩道があるので走りやすいのだが、東京と違ってどこにでも自販機があるとは限らない。特に別荘の点在する森に入ったら、絶望的だ。
 目指すは、街の先にぽこんと浮かんだような標高1255メートルの離山である(写真中)。東部小を右に走ると、もう新軽井沢の別荘で、深い森である(写真下)。少し行って、自転車を降り、脚で歩き始めたが、自販機でお茶を1本しか買わなかったことを、すぐに後悔した。
 吹き出る汗に、水分補給をしなければいけないので、みるみるペットボトルの中身が減っていくのである。2本、買うべきであった(以下、明日に続く)。

イギリス、来年から65歳定年制を廃止
 イギリスの保守・自民連立政権は、先月29日、来年10月に65歳定年制を廃止すると発表し、企業に衝撃を与えた。施行されると、それこそ企業は従業員が生きて、希望している限り、ずっと雇用し続けなければならない。
 ただアメリカのように「年齢差別禁止=定年制なし」と対になっている能力不足などの理由での解雇自由とセットになる限り、問題は少ないだろうが、先任権の強い欧州諸国で運用を誤ると、若年失業者はますます増える。先任権のもと、既存従業員は強く身分保障されているが、企業はそのために新規従業員を補充分しか雇わない。これが、若者の20%にも達する高失業率のもとになっている。

年齢差別は悪というアメリカの合理主義
 イギリスが定年制を廃止しようとしているのは、中高年労働者保護のためではない。年金財政がパンクしそうなので、高齢者も働かせて年金保険料納付者兼非受給者に留めようという意味なのである。
 前述のようにアメリカには、経営者以外に定年制はない。人種差別に苦しんだ過去があるから、女性差別、障害者差別の排除と並んで、年齢差別も禁止されているのだ。徹底しているのはアメリカ最高裁で、ここは判事本人が引退を希望するか死亡しない限り、終身制である。40代で最高裁判事に任用されれば、それこそ半世紀近くも最高裁判事を務めることもありえる。
 性差別が悪であるように、年齢差別禁止も当然で、日本も本来的にはそうすべきだが、日本の場合、欧州以上の強い既存労働者保護がそれを困難にしている。

行き過ぎた労働者保護は、労働者のためになっていない
 ほとんど仕事もできない、しない無能力者でも、著しい非行がなければそれだけでは解雇できないからだ。企業倒産しても、労働者の同意がなければそれだけでは解雇できない。アメリカは、企業業績が悪くなれば、平気でレイオフ、解雇をする。定年制がない代わりに、若年者より生産性が劣れば、それを理由に解雇できるから、定年制度はそもそも必要ないのだ。
 むしろ高いスキルを持っていても、年齢が理由だけで定年制度のもとで解雇される日本の方が、はるかに不合理だ。
 欧州に見られるように、硬直した労働規制が労働者のためにもなっていないように、日本でもその弊害がはっきりしているのに、歴代自民党政府は改めてこなかった。労働組合支配のバラマキスト民主党政権では、なおさら改善の見込みはないし、むしろ派遣規制強化のように、労働規制は強化されている。

日本も労働規制を緩和し、定年制撤廃を
 企業にすれば、1度雇ってしまうと、遅刻・欠勤が多かったり、能力がないと分かっても、業績が極端に悪くなっても解雇できないから(その代わりが希望退職だが、それにもかなりの割増退職金を支払わねばならない。そのため企業はその年度の決算で、巨額の特別損失を計上する)、正社員はなるべく雇いたくないと考える。正社員採用は基幹従業員に留め、不足する分は雇用調整がしやすい派遣や請負雇用、契約社員で、ということになる。
 しかしこちらの規制も強まると、企業は今度は海外脱出を図る。製造部門だけでなく、最近は経理や人事管理など総務部門も、海外にアウトソーシングするようになる。株主には利益をあげ、国と地方には税金を納めることが経営者の責務なので、雇用提供義務は、規制の見返りにほどほどにしようという経営者を批判できないだろう。何しろ今の経営者は、グローバル大競争の中で発展していかねばならないのだ。
 5%台の日本の高い失業率は、若年層の場合、10%近くにも達しているはずだ。大卒でも、いったん卒業したり、短期で退職した人たちは、能力がありながらも入社試験の受験の機会すら与えられない現状は、まさに欧州並みの「先任権」の弊害である。
 過剰保護を改め、もっと企業に柔軟な解雇権を与え、ついでに定年制を撤廃しない限り、日本の成長性はない、と考えるのである。

昨年の今日の日記:「裏磐梯紀行⑧、遠藤現夢の墓と碑を訪ねる:エゾアジサイ、アカマツ、裏磐梯」


追記 昨日投開票された長野県知事選は、田中康夫県政時代の元県副知事で民主・社民・国民新推薦の新顔の阿部守一氏が、元県副知事で新顔の腰原愛正氏を制して当選した。先行していた腰原氏だったが、終盤で無念の逆転負けである。長野県に再び、田中県政の亡霊が蘇るのは、残念である。