グネってます。ブライアン・フェリーのヴォーカルがグネグネしているだけで、いま、私は顔から笑みが消えない状態にあります。
1974年12月にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたフェリーのソロ・コンサートの音源が公式にリリースされると告知されたのは、昨年の11月。それからずっと発売日を指折り数えて待ち、ストリーミングで何曲かが先行公開されても自分にお預けを課し、ついに入手しました、『ライヴ・アット・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール1974』。
待った甲斐がありました。聴き狂っております。
ポール・トンプソンのドラムがドッタンバッタンと突っ込み気味に弾けて、ジョン・ウェットンのベースが太いうねりで加わり、フィル・マンザネラとジョン・ポーターのギターが乗って、そこにフェリーがヌメッとした声で「自己紹介をさせていただこう」と歌いだす。曲はストーンズのSympathy For The Devilです。そこから約48分間、全14曲中12曲がカヴァーで占められています。ボブ・ディラン、スモーキー・ロビンソン、アイク&ティナ・ターナー、ビーチ・ボーイズ・・・演奏よしミックスよしのアルバムで、フェリーの歌も堂々とくね曲がっています。
1974年の7月に、フェリーは2枚めのソロ・アルバム『いつか、どこかで』(原題Another Time, Another Place)を発表しました。このコンサートが行われる直前の11月にはロキシー・ミュージックの4枚めのアルバム『カントリー・ライフ』もリリースされています。
イーノが脱退した後にロキシーが迎えた最初の黄金期でした。このフェリーのソロ・コンサートよりも2ヶ月前にニューカッスルで行われたロキシーのライヴが数年前にリリースされましたが、ラジオ音源の音質はともかく、充実した演奏が確認できました。
フェリーはさまざまなジャンルの曲のカヴァーに積極的なアーティストで、とくにソロ・アルバムのファーストとセカンドはその真骨頂です。ロキシーの音楽性とともに確立された個性的な唱法が、原曲を異化してユニーク極まりない表現を生み出しています。このライヴ・アルバムは、そうした2枚の初期ソロ作品の魅力をエキセントリックかつ快活に倍増して伝えています。
ところで、Sympathy For The Devilがオープニングを飾る本作を聴きながら、私はこのアルバムが放つショウとしての華やぎをどこかで感じたおぼえがある、と参照先を探しました。ポール・トンプソンとフィル・マンザネラがいるからロキシーの成分は入っているのですが、ほかにも何かが匂う。ロキシーのヨーロピアンでグラマラスな音よりも、もう少し明快な何か。
そして、思い当たりました。70年代のエルヴィス・プレスリーだ。
これは『エルヴィス・オン・ステージ』ならぬ『ブライアン・フェリー・オン・ステージ』なのです。ロック・バンドのライヴ以上にシンガーを主役に据えて、バンドやコーラス、それにオーケストラが脇にまわって主役の支えに徹するコンサート。このライヴ盤の音には、1974年当時としても少々時代おくれな『オン・ステージ』の言葉が似合います。
会場がロイヤル・アルバート・ホールであることも関係しているのかもしれません。ロイヤル・アルバート・ホールはロックやポップスのコンサート使用に門を閉ざしていた時期があったらしく、フェリーのこのライヴ企画も一度は断られ、規制が解かれてから、1974年の12月に実現する運びとなったようです。フェリーのマネージメントはロイヤル・アルバート・ホールに、「このアーティストはバラードが中心で、オーケストラも使用するんですよ」と、ソロ・アルバムを同封して手紙を送りましたが、返ってきたのは「聴かせていただきましたが、やはりお断りせざるをえません。お送りいただいたレコードは、よろしければお引き取りください」との答え。
70年代の前半にロックの現場から遠かったヴェニュー。これはエルヴィスが1969年に8年ぶりのコンサート活動を再開した際に会場となったラス・ヴェガスのインターナショナル・ホテルともイメージが重なったりします(格式という点ではまったく別の物件ですが)。
これだけなら私のいつもの妄想でしかありませんが、もうちょっとだけお付き合いください。
そもそも、このライヴの時期の前にも後にもブライアン・フェリーはエルヴィスの持ち歌を好んでカヴァーしており、ファーストの『愚かなり、わが恋』(原題These Foolish Things)ではBaby, I Don't Careを、セカンドの『いつか、どこかで』でもWalk A Mile In My Shoes、Funny How Time Slips Away、Help Me Make It Through The Nightを取り上げています。
セカンド・アルバムでの3曲はそれぞれオリジナルがジョー・サウス、ウィリー・ネルソン、クリス・クリストファーソンらのシンガー=ソングライターですが、どれもエルヴィスによってカヴァーされた曲です。とりわけHelp Me Make It Through The Nightは、フェリーは明らかにエルヴィスのヴァージョンをアレンジのモデルにしています。ファーストでの60年代ポップスのテイストに比べると、セカンドでは選曲にカントリーとR&Bの色合いが強まっており、それはエルヴィス・プレスリー、とくに70年代のエルヴィスを意識したものだと思われます。
フェリーのロイヤル・アルバート・ホールでのライヴが行われた前年の1月14日に、ホノルルでエルヴィスのコンサートが開催されました。その模様は世界38ヶ国に衛星中継されて15億人が視聴したと言われています(日本での視聴率は37.8%!!)。ブライアン・フェリーもそれを見たのではないでしょうか。
そこでのステージは、「ツァラトゥストラはかく語りき」に導かれて幕を開け、TCBバンドをしたがえたエルヴィスがSee See Riderを円熟したヴォーカルで歌って始まります。フェリーの『ライヴ・アット・ザ・ロイヤル・アルバート・ホール1974』のオープニングを飾るSympathy For The Devilを聴いて、私が真っ先に連想したのもエルヴィスのSee See Riderでした。
もちろん、フェリーのバック・バンドが繰り出す演奏はハードでシャープなブリティッシュ・ロックで、ジェイムズ・バートンやロン・タットらを擁するTCBバンドの南部のグルーヴとはまったく異なります。しかし、セカンド・アルバムの『いつか、どこかで』のそこかしこにエルヴィスへのトリビュートがのぞいている事から、1974年のブライアン・フェリーにとってエルヴィスがブームだったのは間違いないでしょう。だからこそ、今回のリリースから実際のライヴで歌われたHelp Me Make It Through The NightとFunny How Time Slips Awayが省かれているのは残念ではあります。このあたりは、現在のフェリーに何か思うところがあったのか、定かではありません。
では、きわめて英国的なロック・シンガーであるブライアン・フェリーがアメリカの”キング”であるエルヴィスをそこまで愛するのはなぜか。デビュー時のワイルドなエルヴィスとはちがって、70年代のエルヴィスへの評価は高いとは言えません。歌は円熟していますが、退行的な部分も多い。
これもまた私の勝手な想像になるのだけれど、そのダメさがフェリーの琴線をくすぐったのではないでしょうか。
『いつか、どこかで』でカヴァーされたエルヴィス関連の曲は、おもに男の未練うたです。けっこうメソメソしています。カントリーにはこのタイプの曲が多いようです。
たとえば、『いつか、どこかで』に収録されたFunny How Time Slips Away。昔の恋人と偶然再会した男が「時のたつのは速いもんだねぇ」と余裕ある態度を見せつつも、「君は今の彼氏にも愛を囁いているんだろうね。俺にしてくれたみたいに」などと、じつに未練たっぷりのウジウジメソメソした本音から逃げられません。
こうしたシチュエーションやみじめな心情が、時代から退行しながらもバラードに深い説得力を持つ70年代エルヴィスの像と、おそらくフェリーの中では重なったのではないかと思います。
先述したように、1974年はロキシー・ミュージックが独自のロマンティシズムを開花させた最初の黄金期です。また、同時にそれはロキシーでのフェリーのソングライティングに、そういった未練うたの類が増えていく時期でもありました。
『カントリー・ライフ』の前のアルバム『ストランデッド』ではペダンチックな言葉を用いて歌われていたその心情(Just Like You)は、『カントリー・ライフ』を経て次の『サイレン』では、より直接性を増した歌詞となってアルバムの大半を占めるようになります。それに伴って、ヴォーカルのヘナヘナとした頼りなさが芸風としても定着し、やがては名盤『アヴァロン』で極楽浄土を目指して海の彼方へと飛び立っていくのです。
そんな特殊ロマンティストたるフェリーの資質がイーノの脱退によって解き放たれ、具体的にロキシー・ミュージックというバンドの全体を仕切り出した1974年のソロ・ライヴです。ブライアン・フェリーのファンにはもちろんのこと、この快活な演奏はロック・ファンにも(ある程度は)広くお薦めできます。
なによりも、私にとっての本作のポイントはブライアン・フェリーと70年代のエルヴィス・プレスリー。アルバム中で歌っているエルヴィスのカヴァーのBaby, I Don't Careも良いですが、そこから『愚かなり、わが恋』の曲順に沿って、レスリー・ゴーアのIt's My Party(邦題「涙のバースデイ・パーティー」)でのオーヴァー・アクトな泣きが飛び出す瞬間に、エルヴィスの姿が2つの曲とシンガーを照らす灯台となって浮かんできます。
このアルバムは最高の『ブライアン・フェリー・オン・ステージ』です。
~今回の記事の内容を時系列順に整理してみました~
<1969年>
7月31日 エルヴィス・プレスリー、ラス・ヴェガスのインターナショナル・ホテルで8年ぶりのコンサート活動を再開
<1970年>
6月23日 エルヴィス・プレスリー、Walk A Mile In My Shoes(のちにブライアン・フェリーが『いつか、どこかで』でカヴァー)を収録したライヴ盤『エルヴィス・オン・ステージvol.2』をリリース
11月11日 エルヴィス・プレスリーのライヴ・ドキュメンタリー映画『エルヴィス・オン・ステージ』公開
<1971年>
✳︎ロキシー・ミュージック結成
1月2日 エルヴィス・プレスリー、Funny How Time Slips Away(のちにブライアン・フェリーが『いつか、どこかで』でカヴァー)を収録したアルバム『エルヴィス・カントリー』をリリース
12月24日 ロキシー・ミュージック、最初のコンサートを行う
<1972年>
2月20日 エルヴィス・プレスリー、Help Me Make It Through The Night(のちにブライアン・フェリーが『いつか、どこかで』でカヴァー)を収録したアルバム『エルヴィス・ナウ』をリリース
6月16日 ロキシー・ミュージック、ファースト・アルバム『ロキシー・ミュージック』をリリース
<1973年>
1月14日 エルヴィス・プレスリー、ホノルル・インターナショナル・センターでコンサートを開催(世界38ヶ国に衛星中継)
2月4日 エルヴィス・プレスリー、ライヴ・アルバム『アロハ・フロム・ハワイ』をリリース
3月23日 ロキシー・ミュージック、2作目のアルバム『フォー・ユア・プレジャー』をリリース
✳︎ロキシー・ミュージックからブライアン・イーノが脱退
10月5日 ブライアン・フェリー、最初のソロ・アルバム『愚かなり、わが恋』をリリース
11月1日 ロキシー・ミュージック、3作目のアルバム『ストランデッド』をリリース
<1974年>
7月5日 ブライアン・フェリー、2作目のソロ・アルバム『いつか、どこかで』をリリース
11月15日 ロキシー・ミュージック、4作目のアルバム『カントリー・ライフ』をリリース
12月17日 ブライアン・フェリー、ニューカッスルでソロ・コンサートを行う
12月18日 ブライアン・フェリー、バーミンガムでソロ・コンサートを行う
12月19日 ブライアン・フェリー、ロンドン(ロイヤル・アルバート・ホール)でソロ・コンサートを行う
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