名盤と私48:Santana/ Abraxas (1970) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 1970年にサンタナが発表した2作目のアルバム『天の守護神』(原題Abraxas)を2020年に聴いて何を感じるのか。ちょっと恐々とした心持ちで再生してみたところ、思いのほか楽しく、新たに感銘も受けました。やはりこれは名盤の称号に恥じない内容の作品であります。
 好きなアルバムですが、とっくに聴きあきた感もあるし、いま聴くとさすがに古臭いんじゃないかと危惧していたんです。

 いや、古いのは古い。「逆に新しい」とかではなく、しっかりと古いサウンドです。でも、このアルバムが全米1位を獲得し、日本でもBlack Magic Woman/Gypsy Queenのシングルが12万枚を売り上げたという当時の人気は、時代を経ても思い描くことができます。1970年に2歳だった私には、そうやって想像する楽しさを味あわせてくれるアルバムです。
 
 前年の8月に開催された『ウッドストック・フェスティヴァル』での大熱演の2週間後に、サンタナはファースト・アルバムを発表しています。1970年になると、4月に新作のレコーディングに入り、9月にセカンド・アルバムをリリース。それがこの『天の守護神』でした。
 本作には、上り調子にあったロック・バンドの熱量の高い演奏が詰まっています。私が初めて聴いたのは80年代の後半で、リリースからすでに15年以上の歳月がたっていましたが、それでもその熱量はひしひしと伝わってきました。正直言って、その時点で演奏のノリには賞味期限の怪しい部分もありました。しかし、それを上回って迫って来る魅力も確実におぼえました。

 最初に入手した盤はCDでした。たしか、80年代のそのあたりからレコード屋の店頭でCDの占める割合が増えたと思います。それに伴って、洋楽旧譜のCDも少しだけ安く手に入るようになりました。前年に買ったジャニス・ジョプリンの『コズミック・ブルースを歌う』は3000円。1年後に出たサンタナの『天の守護神』は2800円でした。
 セーラ・ロウエルとマイケル富岡がVJを務めていた『MTV』で、ロック・ヒストリーの特集回があったんです。サンタナは82年にHold Onという曲が中ヒットして知ったのですが、Black Magic Woman/Gypsy Queenを聴いたのはその『MTV』が初めてだったか。もっと前に聴いたことがあったような気もします。けれど、70年代のアルバムに興味を持ったのは間違いなくその特集がきっかけでした。1分にも満たない映像だったにもかかわらず、恍惚とした表情でカルロス・サンタナが紡ぎ出すあのギターに惹かれました。

 想像するに、1970年にリアルタイムでBlack Magic Woman/Gypsy Queenのシングルを買い求めた人の動機も、似たようなものだったのではないでしょうか。
 もちろん1970年にMTVはありませんし、仮にあったとしても、今まさにゴボゴボと沸騰中だったロック・シーンは”ヒストリー”の視点で触れるにはあまりにホットで年数も浅かった。

 当時だったら、きっとラジオ。どんなルックスの人が弾いているのかもわからないまま、♪キュ、キュ、キュルル、クイ~~ン♪と奏でられるギターに魅了されてレコード屋に足を運んだ人がたくさんいたのでしょう。日本における洋楽の受容史に興味のある私としては、この曲が学生からサラリーマンまでの幅広い層にアピールしたであろう事が重要だったと思えてなりません。

 カルロス・サンタナは、B.B.キングをはじめ、ブルース・ギタリストに多大な影響を受けています。Black Magic Womanの原曲を弾いていたフリートウッド・マックのピーター・グリーンも、B.B.キング譲りの艶のあるトーンを鳴らしていましたが、カルロス・サンタナはそれをもっと濃厚に煮込んだようなフレーズを引っ張って放ち、数小節ぶんの余韻に溶け込ませます。
 しかし、『天の守護神』をはじめて聴いたときの私はカルロスのギターをブルースだとは受け止めませんでした。まあ、単に私が鈍かったのだろうけれど、ホセ・チェピート・アリアスのティンバレスやマイケル・カラベロのコンガが叩きだすラテン・パーカッションが狂おしく煽り立てるリズムの中で、私が認識していたブルース・ギターとは異なって聞こえたのです。これはジミ・ヘンドリクスにも言えることで、やはり私はジミが大音量で歪ませるギターにブルースを感じ取れるまでには時間がかかりました。

 この”ブルースとは異なって聞こえた”ことも、Black Magic Woman/Gypsy Queenの日本でのヒットと関わっているように思えます。おそらく、1970年の日本の一般的なリスナーの耳は、80年代後半の私以上に、この曲にブルース成分を聞き取りきれなかったのではないか(というか、アメリカ発のブルースに慣れていなかった)。この曲は歌謡曲を好む感性にも訴えかけたのです。
 それは誤解であったのと同時に、サンタナの音楽の持つ間口の広さでもあります。そして、そんな幸福な誤解が英米以外のほかの国でも生じて、世界的な大ヒットに結びついたのだと想像します。

 あらためてこの曲を聴いてみると、イントロの段階でギターの手練に心動かされます。

 フレット上はさほど大きく移動しません。フィンガリングも2~4弦目に集中しているようです。 ベンディングに特徴的な間合いがあって、即物的な言葉を使いますと、エロい。ジワジワと引っ張るこのサステインの強さには参ります。さらに、ハンマリング・オン/プリング・オフをさりげなく絡めたり、ビブラートで僅かに焦らしたり、基本的なテクニックを巧みに織り交ぜて聴く者をシンプルにウットリとさせます。今や古典的な技ばかりですが、それらを合わせて醸し出すこの甘く官能的な匂いはサンタナならではです。

 この匂いは若者だけが嗅ぎ分ける類ではありません。むしろ、若いヤツにはわからない音の感覚が入っています。

 サンタナは1970年前後に日本で呼ばれていた”ニュー・ロック”のひとつだったのでしょうが、少なくとも『天の守護神』に関するかぎりは、野性味とともにそれを抑えるクールな落ち着きも働いています。鼻息の荒さではファースト・アルバムより控えめだし、ダンサブルなグルーヴも大傑作サード・アルバムほどではありません。
 『天の守護神』はサンタナ初期のディスコグラフィーの中でも絶妙にバランスがとれたアルバムです。どの楽器もクリアに録音されているし、配置されています。バンドが一丸となったエネルギーを一度取り込んで輪郭を整えたうえで提示されています。

 『ウッドストック・フェスティヴァル』でのパフォーマンスが評判を呼んだ後であって、しかも続くサード・アルバムであれほどアッパーな演奏を聞かせることになるのだから、このセカンドももっと激しさを剥き出しにも出来たんです。でも、そっちには突っ切らなかった。『天の守護神』のプロデュースにはカルロス・サンタナがフレッド・カテロと名を連ねているので、バンドが望んだ方向性だったのでしょう。
 (カルロス・)サンタナはここで自分たちの音楽性に適切なフォルムを求めたのではないかと思います。ファーストも相当良いアルバムなのですが、ラテン・パーカッションとブルース・ロックの融合が完全には捉えきれていません。それがあのファースト独特の良さだとは言え、バンドには不満も残ったはず。
 そこで、もっとリズムの基盤を安定させて、パーカッションもギターもオルガンも明瞭に聴き手に届くような録音とミックスが練られ、それが『天の守護神』に結実したのです。

 オープニングのSinging Winds, Crying Beatstから、その試みは吉と出ています。このインストゥルメンタルはプログレッシヴ・ロック的でもありながら、このアルバムで何が行われていくのかをパーカッションが的確に予告する優れた導入部です。この感覚は1972年のこれまた名盤『キャラヴァンサライ』でさらに徹底してアルバム1枚を貫くことになります。
 そこからBlack Magic Woman/Gypsy Queenへもグレッグ・ローリーのオルガンによってクールに橋渡しされ、曲がテンポ・アップして終わるや、間髪おかずにドアーズを想起させるオルガンのリズム・プレイに切り替わり、Oye Como Vaの名演へと引き継がれます。
 これら最初の3曲だけでもスリリングです。とりわけオルガンが、場面によってはギター以上に、熱を鎮めながら熱を高める効果をもたらしています。ハードロック的なリフを得たIncident at Neshaburではホットな演奏が一挙にクール・ダウンし、そこにギターが官能的なサステインを仕掛けてきて見事。

 Se A Caboはオルガン・ジャズ風に始まり、せわしなく刻まれるパーカッションの音色がギターのディストーションに負けず劣らずの前進力をもって賑わせます。
 Mother's DaughterはR&B~ハードロック寄りの曲。このアルバムはこうした要素も盛り込まれています。ヴォーカルのセンスもあって、時代を感じさせます。
 Samba Pa Tiは『天の守護神』のアルバム内でこそ滑らかに響き渡る寛ぎのオアシスです。じつはマイケル・シュリーヴのドラムがバンドの要なのだなと思い知らされます。
 Hope You're Feeling Betterもハードロック寄り。このアルバムの中では抑制が利いていないトラックで、そのせいか、浮いて聞こえます。クラシカルというよりも古めかしい。
 最後のEl Nicoyaは短いスケッチ的なアフロ・タッチの曲ですが、これで微笑ましくアルバムを聴き終えることができます。

 今回聴いて、何か所かで時代がかった和みをおぼえつつも、個人的にはそれも1970年産の本作を聴く楽しみでした。また、もう聴きあきたはずのOye Como Vaが存外に良かった。あれなどは典型的にこのアルバムのフォルムの美しさを代表しています。
 比較すると、私はサード・アルバムや『キャラヴァンサライ』、それに『ロータスの伝説』を含むライヴ盤のほうを好みますが、それらのアルバムの美点も『天の守護神』がこれだけ整ったフォルムを獲得したからであると思います。情熱的で野性的な演奏が寸法を測ることで一つ一つの音の艶めかしさや激しさの密度を増し、より多くの人に向けて開かれたアルバムに仕上がりました。
 サンタナは何度かの浮き沈みや大小さまざまな音楽性の変遷を経て、現在も活動中です。2019年のアルバム『アフリカ・スピークス』はビルボードで3位にまで上昇しました。『天の守護神』が勝負作として果たした役割は50年も利いているのです。

 本作のジャケットの絵はマティ・クラーワインの作品で、彼の絵はマイルス・デイヴィスの『ビッチズ・ブリュー』や『ライヴ・イヴル』のジャケットにも採用されました。ほかにもジョン・マクラフリンや横尾忠則などマイルスとサンタナを結ぶアーティストもいます。1970年の両者は音楽的にも遠からぬ距離にいました。1986年にはステージでも共演しています。
 でも、マイルスはサンタナのようにスピリチュアルな方向には進まなかったし、サンタナはジョン・コルトレーンに影響を受けた部分が大きいようです。いずれにせよ、サンタナの音楽はどう変遷していっても、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンよりずっと大衆的な官能を備えています。
 私は70年代のマイルスのアーティスティックで混沌とした音と同じくらいに、サンタナのそんな大衆性が好きです。本人にはもっと崇高な志があるのでしょうが、私には何よりもそのエロさが大きな魅力です。そして、サンタナは『天の守護神』でいつでも還っていける場所を築いたのだと思います。そこにはとても強固な型があり、この型があるかぎりサンタナの音楽は尽きることを知りません。