80年代「TV洋画劇場」日記:1984年2月 | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 私が思春期におもにテレビで見た映画を振り返る「80年代『TV洋画劇場』日記」のコーナー、今回は36年前(1984年)の2月です。実感からすると、高校1年の3学期だったこのあたりには、映画日記をつけることが生活の一部となっていたように思います。
 また、見る作品のジャンルを選ばないと言いますか、まずは見ろ、話はそれからだ、という姿勢も私の中でこの頃に根を張ったようです。日記のとあるページに、「ぼくが好きなのは芸術でも娯楽でもない。芸術でもあり娯楽でもあるモーション・ピクチャーなのだ。」なんて偉そうなことが書いてあります。

 1日の『水曜ロードショー』でウォルター・ヒル監督の『ザ・ドライバー』(1978年)を再見した際も、「人物が車とともに移動してゆく動きにサスペンスとアクションと美学がある。」と記しています。
 不思議なんですけど、当時の私はまだ蓮實重彦を知らなかったんですよね。『表層批評宣言』とか『シネマの扇動装置』などを読んだのは、たしか2年後に大学生になってから。なのに、映画というのは動きをどう見せるかなんだよな、と浅いながらも感じていたのは何に影響されてたんだろう。まあ、この話はややこしい所に入り込んでいきそうなので、やめましょう。
 
 4日土曜日の『ゴールデン洋画劇場』で『ナイトホークス』(1981年)。
 シルベスター・スタローン主演の刑事アクションです。注目すべきは敵のテロリストをルトガー・ハウアーが演じていることでしょう。『ブレードランナー』のひとつ前にあたる出演作で、この時点での彼はまだポップ・カルチャーに名を残す存在ではありませんでした。
 しかし、とても良かった。私はこの時のルトガー・ハウアーがいちばん好きですね。クールで知的、そして精悍で残忍なテロリストをシャープなシルエットの説得力で演じていました。敵が手ごわいとアクション映画は引き締まります。
 スタローンは『ランボー』の前で、『ロッキー』から後のキャリアを模索中。刑事ものは路線転換として大いにアリですが、ここでは「スーパーヒーロー的な活躍をしていない」と日記に書いてあります。髭モジャで、『セルピコ』でのアル・パチーノに寄せている印象もありますね。でも、そこに独特の丸まった感があって、本作でのスタローンは私には捨てがたいのです。スタローンの刑事(保安官)ものだったら、ずっと後になってからの『コップランド』のほうが遥かに良いですが。

 5日、日曜日の午前0時5分から、『デリンジャー』(1973年)。
 男臭い作風のジョン・ミリアス監督の実録ギャング映画。これ、良かったですねぇ!
 ウォーレン・オーツの快演するジョン・デリンジャーはカッコいいだけじゃないんですね。けっこう滑稽なところもあるし、温かい家族もちゃんといます。人間臭いんです。
 そういう男が、アウトローとしての人生を選んで血なまぐさい修羅場をくぐって生きていく姿を、ミリアス監督は哀感をこめて描いています。
 「FBIとの銃撃戦での、一つの城の攻防のような凄まじさ。屋上から落ちて軒にぶち当たる人間、車のフロント・グラスにへばりつく死体、鉛の雨をくらって踊るように倒れるギャング、粉々に壊れるガラス・・・」と、アクション演出も迫力がありました。「逃亡中のベビーフェイス・ネルソンが白昼のアスファルトでもがき苦しみながら殺されるショットは、一種のショック演出だ。」、よほど私の心に残ったようです。「ささやかな幸福よりもロマンに生きる男の幼さと哀しみを、ジョン・ミリアスは見守るように描いているのである。」ということです。

 11日の土曜日、午前0時15分より『エル・シド』(1961年)。
 タイトルからして『ベン・ハー』みたいなスペクタクル史劇を連想しました。主演もチャールトン・ヘストンですし。
 11世紀スペインの英雄の物語です。キリスト教徒とイスラム教徒の対立という日本人にはなじみのない設定もあって、しかも3時間の大作を(たぶん)2時間の枠にカットしていたので、ストーリーを追うだけで精一杯でした。
 でも、スケール大きくオーソドックスな演出は心地よく、重厚にしてテンポのあるドラマを楽しめたと思います。
 戦闘場面で『七人の侍』を彷彿とさせるカットが出てきたり、死んだ主人公を馬に固定して突進させ、敵を怯えさせて蹴散らすラストなどは、どこか菊池寛の「形」という小説にも通ずる味わいがあります。

 同じ日の『ゴールデン洋画劇場』で『Mr.Boo!/ミスター・ブー』(1976年)。
 すみません。私は本当にこのシリーズの何が面白いのかがわからないんです。
 「ギャグの数が多くて、面白いものを作ろうとする泥臭いバイタリティは感じるし、そこは認めたい。」と日記に書きつつも、「これとジャッキー・チェンの映画とはまったく別のレベル。」と断言しています。

 12日の『日曜洋画劇場』で『ミスター・グッドバーを探して』(1977年)。淀川さんの嫌いなタイプの映画じゃないのかなぁ。
 昼間は学校の教師で夜は男あさりを続ける女性の顛末記。主演のダイアン・キートンはこの年に『アニー・ホール』でも好演しており、旬の女優だったんですね。ここでも人間の二面性と、そのどちらの根っこでもあるコンプレックスを熱演しています。本作の見どころの大半はダイアン・キートン。
 あとは、今見るとどうなんだろう。これってネットがなかった時代の物語なんですよね。ネットがこういう事柄を吸収している面もあるし、そこから零れる部分も、もちろんあります。ただ、ひとつ思うのは、新しい映画というのは題材の新しさを指すのではないのです。その点、リチャード・ブルックス監督の感性は教育的というか説明に収まるところが多かったような気がします。
 日記には「彼女が殺されるラストは、夜の生活ではなく、聖母のような昼の生活で、理不尽な暴力によって命を奪われるほうが面白いと思う。」と書いています。

 14日の火曜日の午後9時からサンテレビで『大いなる眠り』(1978年)。
 原作はレイモンド・チャンドラーの傑作で、ハンフリー・ボガートで先に映画化もされています。この『大いなる眠り』がイギリスでリメイクされたのは、3年前に『さらば愛しき女よ』が評判を呼んだからでしょうし、フィリップ・マーロウ役を再びロバート・ミッチャムが演じているのもそういう事なんでしょう。
 しかし、舞台をイギリスに移すべきではなかった。オープニングでイギリスの街並みが映った瞬間に、「違うのに・・・」とガッカリしました。
 原作のストーリーが混み入っているのを96分に無理に収めたのも敗因。なんとなく、市川崑が豊川悦司=金田一で監督した『八つ墓村』に感じたのと似た失望をおぼえさせる作品です。

 16日木曜日の午後9時から『探偵<スルース>』(1973年)。
 舞台劇の映画化作品で、出演者はローレンス・オリヴィエとマイケル・ケインの2人のみ。ある殺人をめぐってゲーム的感覚でストーリーが展開していきます。ゲームといっても、非常に知的な騙し合い。どんでん返しが連発し、見ている側もだんだんと何が本当なのかわからなくなってくるし、騙される楽しさが増していきます。
 舞台劇のほうが合っているのですが、そこを名優2人の芝居を集中的に見せ、なおかつセットや小道具などでミステリアスなムードを醸し出しているのがウマい。
 ただ、私はこの作品が大好きなのだけど、頭のいい人の自慢話に付き合っているような卑屈さをおぼえさせられたりもします。上手いけど、同時にそこが鼻につく。でも、この話はそのくらいハイブロウな感じで作ってこその旨味なので、それがないと魅力薄ではありますね。

 20日の『月曜ロードショー』で『グロリア』(1980年)。
 ジョン・カサヴェテス監督作品。大好き。ジーナ・ローランズ、最高!
 ニューヨークを舞台にしたハードボイルドです。知人から6歳の男の子を預かったグロリアが、組織に追われながらその子を守りぬく話。というわけで、どういう女優がこのグロリアを演じるかで、ほぼ全てが決まります。
 ジーナ・ローランズ以外に考えられない。もう、そこにいるだけでカッコいい。男がシビれるタフな女。酸いも甘いも噛み分けた深みと、男の子を守って闘う姿の強さ。個人的には、映画史上最高の闘うヒロインであります。ジーナ・ローランズは当時50歳。いいなぁ。
 蛇足ながら、私はこの映画を見ている最中に鼻血が出たんですよね。日記に「鼻血出た!」と書いてあるのは大げさじゃありません。

 22日の『水曜ロードショー』で『新・猿の惑星』(1971年)
 旧「猿の惑星」シリーズの第3作です。そして、旧シリーズにかぎって言えば、第1作についで面白い作品がこれです。
 どう面白いかというと、ここで時間軸が捻じれるんですね。未来の地球から、猿族の生き残りが現代にタイム・トラベルしてやってくる。で、1作目で人間が味わったような過酷な体験を、今度は猿が強いられるんです。というよりも、観客が猿の立場でこのシリーズをもう一度眺める塩梅です。
 前作の『続・猿の惑星』で猿の支配する地球が完全に破壊された後で、なおもシリーズを続けるとなると、こういう形になります。そして、先の2作が辿り着いたカタストロフとは異なる、和解と希望の大団円が待つ、べつの未来に進んでいきます。

 この1984年の2月に、私は『冒険者たち』をついに劇場で観ることができました。私の『冒険者たち』への想いはこちらの記事にあるとおりで、とにかく劇場でローラン、マヌー、レティシアの3人に会いたかった。それが叶ったんです。
 日記によると、2月3日の金曜日。その日は高校のマラソン大会が開催されて、それに厭々参加して何キロかを走ったあと、お昼に解散。その足で電車に乗って、大阪の毎日ホールまで赴いたのだから体力があった!
 テレビで見たときは吹き替えでしたので、この時に初めてジョアンナ・シムカスの声を聞きました。感激したなぁ。マイクロ・カセット・レコーダー(会議用)を父から借りて、こっそりと音声を録りました。帰りの電車の中でイヤホンでそれを再生し、フランス語は全然わからないけど、それでも場面は心に焼きついているから楽しかったのをおぼえています。
 そんな高校時代でしたね。映画にまみれていました。不便だった頃を過剰に礼賛したくはないのですが、答えを想像する時間と答えに行き着く道が無数にあったように思います。