文系ロック、ってのがあると思うんです。文学的な感性で紡がれていて、また、聴く人の心のそうした部分に強く訴えかけてくるロック。
いまどき文系だの理系だの分けるのはナンセンス。それはごもっともです。しかし、私は30年以上前にその2つが進学のコースに設定された学校教育を受けて育ち、また自身でも文系人間としての自覚から逃れられぬまま生きてきました。
というか、私の場合は”理数系が極端に苦手”な学生でして、小学校のときに三角形の面積の出し方を習ったあたりで、頭がささやかな混乱に見舞われました。
程なくして、本を読むのが好き、映画を見るのが好き、音楽を聴くのが好き、という三題噺を見事にクリアする青春時代を送るようになります。
ロックもそこに鳴り響きました。音楽は翼です。ロックのノイズは、文系男子に心のささくれを羽根に変える魔法を手渡しました。
これなら、飛べる。学校に居場所の少ないオレでも、いや、そんなオレだからこそ、内に向いていた矢印を外に噴出させることができる。ブルーハーツじゃないけど、”決して負けない強い力”をそこに見つけた気分になりました。
おそらく、ほとんどの文系ロックの出発点はこういうことです。
デヴィッド・シルヴィアンがJAPANの解散後、1984年にリリースした『ブリリアント・トゥリーズ』は、同じ年に発表されたザ・スミスのファーストと並んで、私には長く文系ロックの教科書的なアルバムでした。
今にも折れてしまいそうな繊細な感受性と知性が、新たに注ぎ込まれた音楽の謎とエネルギーで内側から輝いている。その目映い光に包まれて、シルヴィアンのヴォーカルにはデリケートさとともにソロとしての確かな一歩が刻まれていました。
JAPANは決してシルヴィアン一人の個性だけで成り立っていたバンドではありません。個々が卓抜たるセンスのミュージシャンばかりで、グラム・ロック的で毒々しい初期から静謐さと独自のファンクネスを絶妙に織り交ぜた後期にいたるまで、グループでの表現を追求したバンドでした。音楽性に膨らみを増した『錻力の太鼓』から『オイル・オン・キャンバス』へと続いた末期は、シルヴィアン個人の内向性とグループとしての演奏とが緊張感をはらみながら気だるくも熟したJAPANのサウンドの完成形です。
シルヴィアンはJAPANの後も充実したソロ・キャリアを積んでいたので、1991年になって再びミック・カーン、スティーヴ・ジャンセン、リチャード・バルビエリの3人とアルバムを発表した時には少なからずの驚きをおぼえました。ギターのロブ・ディーンこそ参加していませんが、これはJAPANの再結成以外のなにものでもありません。そして、この再結成プロジェクトにはレイン・トゥリー・クロウとの名前が付けられていました。
どういう音なんだろう?と興味をもって聴いてみました。1991年当時の感想は、「JAPANのようでJAPANではない」。ネガティヴな印象のほうが数割多かったように思います。私が期待していたのは、もっとカーンのベースがベッコンベッコンと踊っていて、ジャンセンがタイトなドラムを叩き、バルビエリのシンセが薄っすらとダイナミクスをつけて、そこにシルヴィアンの底なしに低いヴォーカルがネチっこく乗るような、要するに『孤独な影』(原題Gentlemen Take Polaroids)あたりのJAPANだったのです。
実際の『レイン・トゥリー・クロウ』には、JAPAN末期をさらに虚脱させたような寂寥感と枯れた味わいの漂う曲が並び、写真的、あるいはサウンドスケープ的な感触が想像力をかき立てます。
全体的にデヴィッド・シルヴィアンのソロの流れを汲むところの多いアルバムですが、ヴォーカルは前に出すぎておらず、グループ表現の一部として作用します。ミック・カーンのベースも個性的な跳ねを抑えています。英ニューウェイヴ出身の最高のドラマーであるスティーヴ・ジャンセンはコンガなどのパーカッションに注力しています。JAPANの色合いを強く残しているのは、もともと押し引きのセンスに長けていたリチャード・バルビエリのシンセです。
つまり、殊更にJAPANの再結成を打ち出したアルバムではなかったと言えます。それを待っていたファンの期待を、あえて肩すかししたようでもありました。そこに過去の自分たちの再生産を拒んだ感も受けましたが、いたって自然にこうなったという印象も持ちました。
名義をレイン・トゥリー・クロウとしたぶんの変化の重みが伝わる作品だと思います。私も自分の望んでいた内容ではなかったものの、失望はしませんでした。かつてのJAPANの文学的にして音楽的な綾がべつの形で描かれている。そこに納得のいくアルバムだったし、非常にクォリティの高い作品として歓迎しました。
日本のメディアでも、シルヴィアンが雑誌の表紙を飾ってインタビューも掲載されて、個々のレヴューでは高い評価を受けていました。ただ、1991年には若いロック・ファンの興味が90年代に何が起きているのかにあったので、1980年前後のJAPANと比べると盛り上がりは小規模でした。
しかしながら、アルバムの内容は素晴らしいものです。今回、あらためてその感を強くしました。
ソングライティングは即興のセッションを基にしているそうです。ロブ・ディーンを除く元JAPANの4人が、なんの打ち合わせもリハーサルもなくレコーディング・スタジオに集まり、まずはインプロヴィゼーションで演奏を録音していった。それが曲の基盤になったんですね。リリースされたものを聴くに、即興と言っても長いソロが延々と続くのではなく、ベーシックなトラックをその場のアイデアで築いていったのでしょう。
そのこともあってか、アルバム全編を通じてインストゥルメンタルの部分が強調されると同時に、ほのかに歌ものの表情もあります。ヴォーカルも楽器も対等に控えめな主張で構成されていて、全体としては即興性よりも慎ましやかな歌ごころが耳に残るのです。
収録曲の大半はドラマティックな展開を避けてあり、コード進行でもサブドミナントでの盛り上げは効かせていません。枯れた旋律が淡々と続き、シルヴィアンのあの艶のある歌声がなければ地味になりすぎていた可能性もあります。
では暗いのかというと、不思議と陰鬱な印象は受けません。まあ陽光燦燦とした音楽ではありませんが、不愛想な緊張感の中にどこか安らぎと落ち着きを感じさせます。
ソングライティングの過程での予測できない要素が緊張感となって曲に反映されているいっぽうで、出来上がった曲にフォーク的、もっと言えばブルースやワールド・ミュージックにも通じるような懐の深さを携えています。
もっとも、冒頭のBig Wheels In Shanty Townにアフリカンなコーラスがフィーチャーされ、シングルとなったBlackwaterにフォークの味わいがある以外は、それらは目立ってはいません。けれども、おもにジャンセンが叩いたパーカッションが、エスニックという以上に汎音楽的とでも呼びたい豊かさを湛えており、バルビエリのシンセも空気感と温もりの役割を兼ねています。
ビル・ネルソンやフィル・パーマーらがゲスト参加して演奏するギターにはそれぞれに個性的なトーンが閃いていて、それらもアルバムのトータル性への着色に見事に貢献しています。とくにRed Earthでのフィル・パーマーのアコースティック・ギターによる間奏は叙情性という点でも絶品です。
さらに、カーンが管楽器類で活躍しており、アンビエントなインストゥルメンタルのNew Moon At Red Deer Wallowではバス・クラリネットでジャジーなブルース色の効果をもたらしています。唯一のファンキーな曲調のBlack Crow Hits Shoe Shine Cityで、ワウをかけたサックスも秀逸。また、ジャンセンのドラムはBlackwaterでのブラシを用いたスネア・ワークに彼ならではのビート表現の上手さを聴くことができます。
このように、一聴すると地味で索漠とした外見のサウンドですが、それを暗さに溺れさせないクリエイティブなアイデアや実験でいっぱいのアルバムです。ここを楽しめると、『レイン・トゥリー・クロウ』の、ひいてはJAPANの魅力もわかりやすくなるでしょう。これはJAPAN時代からの彼らの美点でもあり、私なりに言いますと、創作することの持つ明るさなのです。
その明るさが先述した写真的/サウンド・スケープ的な感触と反応しあって、まるでフィルムを現像する過程のように風景が浮かんでは消えていくと、その先は文学的な詠嘆にも近づきます。
そこには俳句の影響もあるんじゃないでしょうか。グループ名にしてアルバム・タイトルの”レイン・トゥリー・クロウ”は、”レイン・トゥリーにカラスが止まっている”風景を思い浮かべてもいいけれど、もっと俳句に寄せて、”雨”と”木”と”カラス”、べつべつの事物として受け止めたほうが作品の情趣には合うと思います。
『レイン・トゥリー・クロウ』の日本盤CDにはデヴィッド・シルヴィアンが寄せた文章があり、そこで彼は「カラスの霊気」と書いています。原文が掲載されていないので「霊気」の英語が何なのかがわからないのですが、英語圏ではカラスは謎や英知の象徴でもあるようです。タイトル曲のRain Tree Crowは歌詞もじつに俳句的。
私は世界をともにする
影絵の中で光がいまも輝いていることを知っている者と
雨、木、カラス
終末感に覆われた世界を思わせるサウンドと、それでも大地を潤し生命を芽吹かせる雨、一本だけ立っている木、そしてカラス。私はリリース時よりも2020年の2月現在のほうが、このアルバムに実感のともなう感銘を受けています。