ロキシー・ミュージックとブライアン・フェリーの全アルバム その1(1972年~1976年) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 今からロキシー・ミュージックとブライアン・フェリーを語り倒す記事を書きます。
 全アルバムの解説を銘打っていますが、中身は50過ぎたオッサンが一番好きなバンドと一番好きなアーティストへの想いをぶちまけるだけの暑苦しいものになるかと思われます。
 これまでにも、この記事この記事なんかで、ブライアン・フェリーについて熱をこめて語ったことがあります。思い入れが過ぎた点は認めますが、あれでも自制したつもりだったんです。
 しかし、今回は抑えません。先週の月曜日にフェリーのライヴを難波まで観に行ってから、私は毎日をフェリーの歌声とともにヘナヘナ、グネグネと過ごしています。今この想いを吐き出さなかったら、表に飛び出して、善良な通行人をつかまえて辻説法をしかねません。
 というわけで、非常に長い記事になりますが、篤志家のかただけでも結構ですので、お付き合いいただけると幸いです。
 デビュー時から今日にいたるまでのロキシーとフェリーのソロ・アルバムを、引っくるめて発売順に語っていきます。こうした記事ではバンドとソロの枠をべつにするのが常道ですが、ロキシーとフェリーの作品は混ぜてナンボの面白さがあるんです。
 記事は2週に分けて、全4回にわたります。まずは1976年の『VIVA!ロキシー・ミュージック』まで。2回目1983年の『ハイ・ロード』まで。3回目は1994年の『マムーナ』まで。4回目はそこから後です。
 
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ロキシー・ミュージック『ロキシー・ミュージック』(原題 Roxy Music)1972年6月
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 Re-Make/Re-Modelなるタイトルの奇妙なロックンロールを1曲目に戴くデビュー・アルバムです。
 ロックのフィジカルな躍動と距離を取り、各楽器の演奏をコラージュのような手つきで繋ぎ合わせています。その人工的なイビツさが本アルバムの魅力です。しどけなさと頽廃を絵に描いたようなカヴァー・アートや当時のメンバーの出で立ちは、サウンドとヴィジュアルがセットでフェリーのコンセプトにあったことを示します。
 
 プログレッシヴ・ロック的な構成や展開を主軸とした曲もあります。そこでのインストのパートはハッキリ言って下手です。でも、その下手さ加減が曲の醸し出す過剰なヨーロピアン叙情を、高尚ではなく、下世話に突きつけてきます。
 文字通りの電波を飛び交わせるブライアン・イーノのシンセ使いや、うらぶれた匂いをブカブカと吹いて放つアンディ・マッケイの管楽器、おかしなフレーズをペンタトニックに絡めて弾きまくるフィル・マンザネラのギターと、模範解答の見えないところに正解の居場所を作っちゃった強引さにはクラクラします。
 ポール・トンプソンのドラムはタメや跳ねをまったく感じさせません。このドラミングはロキシーが『アヴァロン』で最後に到達した地点からすると正反対の直線的なノリですが、ロックのビート感をリ・メイクしてリ・モデルするにはこれが必要だったのでしょう。
 
 本作でのブライアン・フェリーのヴォーカルは若く生硬です。ボブ・ディランから影響を受けた歌唱スタイルも、高く強張った声でやり逃げしている感があります。少なくとも、この段階ではまだ”魅惑のダンディズム”はなく、若者が頑張っている図を想像させます。しかし、その若さがChance MeetingやSea Breezesといった珠玉の佳品に青々としたデカダンスをふりかけているのも確かで、やけに生あたたかい血の温度をこのアルバムに注ぎ込んでもいるのです。
 
 ”ヨーロピアン叙情”と書きましたが、2HBでのハンフリー・ボガートへのオマージュや、Would You Believe?でのシャ・ナ・ナっぽいオールディーズ色、If There Is Somethingでの変なカントリー・ロック風味、Bitter Endに発露するフェリーのスタンダード趣味など、そこかしこにアメリカの音楽や映画への憧憬が窺えるのが興味深い。じつはロキシーの英国的な音楽にはアメリカンな要素が含まれています。それを秀逸に表現したシングル曲、Virginia Plainについては1977年の『グレイテスト・ヒッツ』の項で。
 
ロキシー・ミュージック『フォー・ユア・プレジャー』(原題 For Your Pleasure)1973年3月
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 クリス・トーマスの”半分プロデュース”作。彼はLPでのA面に携わり、B面はジョン・アンソニーがバンドと共同でプロデュースしています。A面はダンサブルでキャッチーな曲を含み、B面は長めの曲が3つ、組曲ふうに構成されています。
 アルバムとしての統一感は損なわれていません。それどころか、デビュー作のエキセントリックさが整理されて、私たちの知るロキシー・ミュージックらしさにグンと近づいています。そのぶん、ファーストにあった奇矯でゴチャゴチャした面白さは薄れましたが、その後のロキシーの歩みからすると、このセカンド・アルバムのまとまりは意義が大きいと思います。
 
 クリス・トーマスがサウンドに深みと重さをもたらし、タムひとつの鳴りやキーボードの彩りの艶やかさに音響的な豊かさが格段に増しています。それが結実したのがDo The StrandとEditions Of Youの2曲。どちらもポール・トンプソンの縦ノリのドラムを充分に活かしたダンス・ナンバーです。
 Do The Strandでペダンティックな歌詞をシンプルなリズムに乗せてこねくりまわすフェリーの節回しはすでに千両役者です。簡潔な曲構成の中に上昇して墜落してゆくような間奏を加えたアレンジも見事。
 Editions Of YouでのイーノのVCS3シンセ・ソロはセンス一発の鮮やかな発信音で、いわゆるミュージシャン的な発想や技術ではカヴァーできない独特の狂おしさがあります。
 Beauty Queenもブライアン・フェリーを語るうえでは重要な一曲。デビュー・アルバムではまだ完全に反映されていなかった彼自身のファム・ファタール願望が頭をもたげ、ここから彼の倒錯したロマンティシズムがバンドの楽曲を侵食していきます。
 
 A面とB面の統一感に貢献しているのが、各面に入っているゴシックな曲。A面だとStrictly ConfidentialとIn Every Dream Home A Heartache、B面だとBogus ManとFor Your Pleasureです。この4曲がジャケットの夜のイメージと相まって光沢のあるダークネスを印象づけます。とくにIn Every Dream Home A Heartahceはフェリーの虚ろで悲痛なヴォーカルとバックの演奏の抑揚が演劇的で、とにかくよく練れていると感嘆するほかありません。
 
ブライアン・フェリー『愚かなり、わが恋』(原題 These Foolish Things)1973年10月
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 セカンド・アルバムの好評を受けたロキシーのツアーは成功に終わり、フェリーのアーティスティックな自信は強まっていきました。いっぽうで、イーノがフェリーをしのぐ人気を集め、二人のブライアンの確執はイーノが脱退することで決着がつきます。追い出される形になったイーノだけでなく、フェリーも彼なりに悩んだようです。
 そんなフェリーが着手したのはソロ・アルバム。しかも内容はカヴァー・ソング集。1930年代のスタンダードから1968年のローリング・ストーンズまで、幅広い時代とジャンルから好みの曲を選んで歌う企画でした。
 私はまずロキシーのアルバムを集めて、フェリーのソロでもカヴァー・アルバムは後回しにしていました。本作を聴いてみて、なんなんだ、この不思議なカヴァー・ヴァージョンの数々は!と驚いたものです。私にカヴァーの面白さを教えてくれたアルバムだったと言えます。
 
 バックにはロキシーからフィル・マンザネラとポール・トンプソンが参加しています。イーノの代わりにロキシーに参加することになるエディ・ジョブソンもヴァイオリンを弾いています。だから、演奏からはロキシーのタッチが聞こえるし、もっと軽快で明るく、とんがり過ぎない節度も感じられます。
 
 いつの時代のどんなジャンルの曲に対しても、フェリーは例の弯曲した唱法で歌い通しています。この変な歌い方が、その曲に広く持たれているイメージとはべつの道筋で、情感の中心からちょっと外れたツボを衝いてくるんです。フェリーが稀代のソング・スタイリストたる由縁です。
 彼にとってのヴォーカルの手本でもあるディランのA Hard Rain's A Gonna-Fallは、ディランを始発とする路線がグラム・ロックを経由してニューウェイヴへ延びていく様子を如実にあらわすスリリングなパフォーマンスです。
 River Of SaltやIt's My Partyといった女性ヴォーカル曲のカヴァーも、いささかやり過ぎの歌いっぷりが一周して綺麗に収まっています。男性的な声質がフェミニンな曲調に奇妙な居心地でハマり、その波長はビーチ・ボーイズのDon't Worry Babyやスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズのTracks Of My Tearsなどの男の弱さ・情けなさとも重なります。それはアルバム・タイトル曲のThese Foolish Thingsで倍増されてクロージングをつとめ、以降のブライアン・フェリーのラヴ・ソングの主調音にもなっていくのです。
 
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ロキシー・ミュージック『ストランデッド』(原題 Stranded)1973年11月
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 このアルバムから、ロキシーの本格的な黄金期が始まります。ブリティッシュ・ロックのファンに人気が高いのもここから続く数作です。むせ返るほどロマンティックなロキシーの音楽美は『ストランデッド』『カントリー・ライフ』『サイレン』と重ねるごとに濃密になり、またポップにもなっていきました。
 イーノを擁して試みてきた実験から、より楽曲志向へと変わり始めたアルバムでもあって、よじれた快感を呼ぶフェリーのメロディーが一段と研ぎ澄まされています。
 
 冒頭のStreet Lifeはソロ作の『愚かなり、わが恋』で着手したR&Bの太い幹が通った快作。すっかり堂に入ったフェリーのヴォーカルもソロ・アルバム制作での経験が活かされているのでしょう。場面によってはイーノのシンセみたいにベンディングしながら音階を大胆に上下します。ダーティにひずんだ演奏の猥雑さも最高。
 
 デビュー・アルバムの賑やかな混乱とセカンド・アルバムでのゴシックな陰翳を、この『ストランデッド』では新たな美意識へと脱皮させています。
 収録曲もメロディーの佳さとアレンジのユニークさが際立つものが揃っていて、物悲しいメロディーをフェリーが切々と歌うJust Like Youなどは、ファーストでの同系統のバラードからの成熟を実感させます。
 
 各々の演奏にもロキシーならではの聞かせどころがあり、マンザネラはユニークなタイム感をAmazonaのリズム・ギターで遺憾なく発揮し、アンディ・マッケイはA Song For Europeで持ち前の俗っぽいブロウを効果的に鳴らしています。ポール・トンプソンのドラミングはMother Of Pearlの変形ファンク的なリズムが白眉。新入りのエディ・ジョブソンもヴァイオリンとキーボードで活躍していますが、彼の本領発揮は次作からです。
 
 このように、フェリーのコンセプトを主としながらも、『ストランデッド』ではバンドによる音の交歓が楽しめます。グループが創作していくうえで良い状態にあったことを窺わせる演奏です。
 とりわけA Song For Europeでのスケールの大きいトーチ・ソング、Mother Of Pearlでの淡々と繰り返されるミニマルな催眠ファンク感は圧巻で、アルバムの2つの柱にもなっています。
 
ブライアン・フェリー『いつか、どこかで』(原題 Another Time, Another Place)1974年5月
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 最初のソロ・アルバムがイギリス本国でヒットして、ロキシーでのサード・アルバムも高く評価されたフェリーは、セカンド・ソロ・アルバムに自信をもって取り組んだに違いありません。コンセプトも引き続きカヴァー集(アルバム・タイトル曲のみオリジナル)。普通に考えると二番煎じに陥りそうなものですが、選曲よし演奏よし歌よしの文句なしの内容に仕上がっています。
 
 前作はバンド内でゴタゴタがあって、フロントマンとしての自分を確認する意味合いもありました。今回は、バンドのクリエイティヴィティが上手くバランスを取れている状況です。その安心を支えに、より野心的に向上心を抱いての制作だったと思われます。
 その余裕と野心は選曲にも反映されています。今作ではYou Are My SunshineとSmoke Gets In Your Eyesの超有名曲が選ばれています。つまり、斜め上からの選曲だけではなく、誰もが知っている曲をカヴァーして、比較されることを厭わない姿勢なんです。
 フェリーは歌の上手いシンガーではありません。世界中の人々に口ずさまれてきた有名曲を歌えば、やれ歌い方が変だの音程が悪いだの声量がないだのと言われることも予想できたでしょう。しかし、ここにはそれに動じないブライアン・フェリーがいます。前述した2曲とも、彼ならではの失恋バラードに仕上げています。バンドが順調であるとはいえ、空いているほうの手でこれだけのアルバムを作りあげた才には感服せずにおれません。
 
 先のソロ・アルバムよりも強まっているのはR&B色です。ラムゼイ・ルイスのThe 'In'Crowdに始まり、サム・クックのWonderful World、アイク&ティナ・ターナーのFingerpoppin'ではその志向が明確に聞き取れます。また、たぶんエルヴィスがカヴァーしたことで知ったのでしょうが、ジョー・サウスのWalk A Mile In My Shoesにビリー・ウォーカーのFunny How Time Slips Away(こちらも間違いなくエルヴィス経由)と、カントリー系のヒット曲にもR&B的なアレンジを施しています。
 この”エルヴィス経由”のカヴァーはクリス・クリストファーソンのHelp Me make It Through The Nightとともに、アメリカ南部の要素を背景にうっすらと浮かばせます。
 
 また、本作でもディランのIt Ain't Me, Babeを取り上げています。ディランのぶっきらぼうな歌を一度端整に組立てて、そこから個性的に崩す。この感情の表し方は完全にフェリーの流儀。名カヴァーであると思います。
 
ロキシー・ミュージック『カントリー・ライフ』(原題 Country Life)1974年11月
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 『ストランデッド』と並んでロキシー・ミュージック中期を代表する4作目のアルバムです。カヴァー・アートが論議を呼んだ作品でもありますが、内容にも緊張感と弛緩が巧みに交錯するエロティシズムが感じられます。
 1曲目のThe Thrill Of It Allがその色気をダイナミックに伝えてやみません。ギラギラと光るようなギターの音色、ドカドカと突っ込んで入って来るドラムの性急さ、裏声を含む男声コーラスの妖しい響き、『ストランデッド』の成功を早くも踏み台にして、グレードを上げた音が一丸となって迫ってきます。ゴージャスに増幅された印象も受けますし、セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ!』の音作りはここから多くを学んでいると思います。
 
 収録曲は『ストランデッド』以上にバラエティに富んでいますが、基本はあのアルバムにあるようです。フェリーの屈折したロマンティシズムを表現した楽曲と、その外枠を艶やかに彩る演奏。とくに今作ではエディ・ジョブソンの貢献が著しく、Out Of The Blueでのフランジャー処理されたエレクトリック・ヴァイオリンなどはその最たるもの。また、同曲ではベースのファンキーな動きも特筆すべきで、グルーヴの硬かったロキシーの新生面をアピールしています。これが次作『サイレン』でのさらなる大化けに結びついていくわけです。
 
 フェリーとマンザネラの共作であるAll I Want Is Youもキャッチーなロック・ナンバーです。モータウンを下敷きにした曲にマンザネラがハードで煌びやかなギターを付けて、フェリーのヴォーカルはグネグネに歪んでいます。
 のちにフェリーがソロでセルフ・カヴァーしたCasanovaも面白い。こちらは硬質なR&Bで、唸るスタイルのほうでのフェリー節が全開です。
 
 けれども、このアルバムの安定感と色気の源はThree And NineやReally Good Timeなどのリラックスした曲にあると思います。ノスタルジックな情緒もにじむこれらの曲はデビュー・アルバムでのデカダンスからの流れを汲み、『ストランデッド』ではA Song For Europeで強調されていました。それが、ここでは肩の力を抜いた洒脱さを伴って表現されています。
 
 ヨーロピアンな語法が取られたBitters EndやTriptychがサザン・ロック調のIf It Takes All NightとPrairie Roseと同居しているのも、ここでロキシーの音楽性がいったんの完成をみて、次の段階に入ったからでしょう。
 
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ロキシー・ミュージック『サイレン』(原題 Siren)1975年10月
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 私がいちばん好きなロキシー・ミュージックのアルバムがこの『サイレン』。ディスコグラフィーではちょうど中間点に位置する作品で、初期からのエッジと後期の優雅さがじつに良い塩梅で混ざり合っています。
 ポップなアルバムですが、日和ってはいません。むしろ、音楽性という点では厳しい審美眼を通過して出来上がったアルバムだと言えます。そして、その厳しさが難解さや取っつきにくさとは正反対の口当たりの良さを獲得したところに、この『サイレン』の魅力があります。
 
 Love Is The Drugというアメリカでもヒットした曲を収録したアルバムです。メロディーもアレンジもリズムも洗練されて聴きやすくなりました。Love Is The Drugはその好例です。引きの美学を徹底させたリズム・ギター、選びぬかれたサックスのフレーズ、ダンサブルなビートを刻むドラムと、レコーディングに相当な吟味がおこなわれたことが想像できます。そして、いま挙げた特徴はセルアウトを招かず、逆にシンプルであるがゆえの切れ味をもたらしています。結果的に、こうした試みが”ありふれたラヴソングっぽいけど普通ではない”という印象を、とくにアメリカのリスナーには与えたんじゃないでしょうか。
 
 End Of The Line、Sentimental Fool、Could It Happen To Me?などはフェリーお得意のウジウジした男の未練唄で、これも”普通ではない”印象を与えるのは、それまでのロキシーが培ってきた、定石を逸脱するビザールな感覚です。その感覚を殊更に強調せずに技として用い、全体をしっとりとしたプチ『アヴァロン』的な味わいで包ませています。
 
 WhirlwindやBoth Ends Burningなどのハード・ロックもしくはR&Bの方法を用いた曲も軽快で好きですが、最高なのはなんと言ってもLPのB面1曲目に入っていたShe Sells。ホントに単純なピアノのイントロが流麗さの闇討ちを仕掛け、目くらましにあったように曲の変化を追ってしまう。フェリーの唱法も凝縮されています。私の個人的なロキシーのベスト・ソングはShe Sellsです。
 
ロキシー・ミュージック『VIVA!ロキシー・ミュージック』(原題 VIVA!)1976年8月
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 『サイレン』のツアーを終了して解散を宣言したロキシー・ミュージックの初のライヴ・アルバムです。
 これ以外のロキシーのライヴ盤は、『アヴァロン』のツアーから『ハイ・ロード』(4曲入りEP)と1990年になって唐突に出た『ハート・スティル・ビーティング』、2001年の再々結成時の『ライヴ』があります。ほかにも出てはいますが、正統な盤はこれら中期、後期、再々結成のツアーからのものです。その中では『VIVA!』はやや特殊な性格のライヴ盤でもあります。
 
 収められているのは1973年、1974年、1975年の音源。アルバムでいうと『ストランデッド』以降『サイレン』まで。最初期のテイクが入っていないのはイーノの存在があるからか、あるいはブートレグやテレビ出演時の映像で確認できるようにバンドの演奏がアマチュアっぽいからか。
 興味深いのは、ロキシー中期のツアー音源を集めていながら、大半が初期の曲であること。なんと傑作『ストランデッド』からは1曲も選ばれていません。『カントリー・ライフ』からもOut Of The Blueのみ。これはどういうことなのか。
 
 私の憶測を述べれば、ファーストとセカンドの楽曲や演奏を今一度現在(このライヴ盤のリリース時)の自分たちの手許に引き寄せる意図があったのではないかと思います。フェリーにとっては特にファーストでのヴォーカル。あれはあれで面白いのですが、『サイレン』にまで至ったフェリーには更新したいとの気持ちが生じたのではないでしょうか。
 こじつけて言うと、このアルバムはロキシーのライヴのリ・メイク/リ・モデルだったのではないか。曲の繋ぎやアルバムのエンディングがスタジオで加工されているのもそう思わせますし、なによりもフェリーは次のソロ・アルバムで具体的にロキシーの初期曲のリ・メイク/リ・モデルを実行します。
 
 ここに収められた演奏はプロフェッショナルな磨きがかかり、堂々たる太さと逞しさに貫かれています。スタジオ盤以上にプログレッシヴ・ロック的な部分もあります。と言っても長いインプロヴィゼーションがフィーチャーされているのではなく、ポール・トンプソンの表情豊かなドラムを中心に演奏が器楽的な旨味で興奮させるのです。
 いや、ホントにここでのトンプソンのドラムはいい。フェリーにとってのバンド・サウンドはポール・トンプソンのドラムに負うところが大きかったのでしょう。
 欲をいえば、女性コーラス・チーム”サイレンズ”の場当たり的でワイルドに乱れた歌をもっと聴きたかった。
 
その2へ続く)