ロキシー・ミュージックとブライアン・フェリーの全アルバム その2(1976~1983) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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(その1はこちらです。)
 
ブライアン・フェリー『レッツ・スティック・トゥゲザー』(原題 Let's Stick Together)1976年9月
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 ロキシーの最初の解散のあとにリリースされたフェリーのソロ作ですが、シングルのB面に入っていた曲などを収録した編集盤でもあります。しかも、5曲がロキシーのリメイクで、残る5曲も恒例のカヴァー。企画盤の趣きもあります。
 けれども、そんな制作背景とは関係なしに内容は聴きごたえ充分です。素直にカヴァー集として楽しむことができます。1977年のソロ・ツアーでもこのアルバムの収録曲がセットリストに選ばれました。
 
 ただ、ロキシーのリメイク・ヴァージョンに関しては、もともとシングルB面に分散していたものを寄せ集めた感は拭えません。アレンジの詰めが甘いところもあります。でも、ソロ・ツアーともなるとロキシーの曲も歌うわけで、ここでのリメイクはその指標になったのではないでしょうか。
 それらリメイクではロキシーでのトゲトゲしさが減っています。ロキシーのファースト・アルバムで素っ頓狂にグネっていたSea BreezesやRe-Make Re-Modelなどのヴォーカルは落ち着いた渋みに変わっています。アレンジも抑制が利いていて奇矯さが削られています。当初、私はこれが不満でした。
 
 けれども、いったんロキシーを終わらせてからのフェリーの音楽を追うと、ここでのリメイクが必要な試みであったのだと思えます。
 Re-Make/Re-Modelではオリジナルの肝であったソロまわしをバッサリとカットし、R&Bっぽいコーラスをバックに配しています。結果的にそれはオリジナルほどのインパクトを獲得できていませんが、ソロになったフェリーの関心がどこを向いていたのかが察せられて興味深いです。
 
 リメイク以外のカヴァーも、以前ほどアクが強くありません。『愚かなり、わが恋』も『いつか、どこかで』もフェリーのカヴァーには原曲の異聞とも呼べる異化効果がありました。それがここでは原曲の持ち味や美点をわりと忠実になぞっています。
 Let's Stick TogetherもShame,Shame,Shameもオーソドックスにカッコイイ出来栄えです。これはフェリーがロキシーの特異なフロントマンという看板をはずし、個人の歩みを残してゆくために必要な手続きでもあったのでしょう。”手続き”などと書くとパッとしませんが、そのくらいの温度でちょうどよく堪能できるアルバムです。
 
ブライアン・フェリー『あなたの心に』(原題 In Your Mind)1977年2月
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 このアルバムのリリースから4か月後にブライアン・フェリー・バンドでフェリーは初来日をはたしています。ロキシーとしてではなかったとはいえ、バンドにはマンザネラとトンプソンも参加していました。
 
 77年にまだ9歳だった私は当然のことながらブライアン・フェリーもロキシー・ミュージックも知りませんでした。85年の『ボーイズ・アンド・ガールズ』からフェリーとロキシーに傾倒していっても、『あなたの心に』はそのタイトルからソフトでメロウな音を想像して、何度か買うのをためらいました。
 しかし、聴いてみるとジワジワと染み込んでくる内容で、フェリーのソロ作の中でも指折りに好きな一枚になりました。ある意味ではこれが最高傑作かもしれません。
 
 全曲がフェリーのオリジナルで、シンプルなアレンジにR&B的な芯が通ったブリティッシュ・ロックの気骨ある演奏がぞんぶんに楽しめます。ホーンズや女性コーラスの配置もR&Bタッチで、やはりポール・トンプソンのドラムが独特の歌ごころで支えています。
 ギターもドラムも乾いた音で録られており、アンサンブルも詰め過ぎずに余白が残されています。そこにフェリーのヌメヌメしたヴォーカルが奇怪なダンスを踊るように乗って、ロキシーとは異なるカジュアルな狂おしさが伝わってくるんです。これにハマると病みつきになってしまうアルバムです。
 デヴィッド・シルヴィアンなんかは間違いなく本作のLove Me Madly Againのヴォーカルを聴き狂ったはずです。ステディなビートを刻むドラムにアン・オデルがアレンジしたストリングスが絡むこの曲の後半は特に身もだえさせます。
 
 All Night Operatorでは歌詞にライトにして病的なユーモアがにじみ、フェリーの歌も軽みと若々しさで弾んでいます。
 そういえば、このアルバムでのフェリーの声は、演奏に苦みばしった渋さが含まれているので気づきにくいけれど、ロキシー中期よりも若返ったように聞こえます。落ち着いているようでいて、不思議な活力で統一されているのも『あなたの心に』の特徴です。
 
 1曲めのThis Is Tomorrowと最後のIn Your Mindがシンプルな力強さで収録曲を挟み、間にはOne Kissのようなロッカ・バラードもTokyo Joeのようなノヴェルティっぽいダンス・ナンバーも入っていて聴きごたえがあります。
 終盤のParty DollとRock Of Agesにはフェリー流のアメリカン・ロックへの憧れ目線を感じさせます。もっとも、歌がああいう風なのでネジレが生じるんですけど、そこがまたこの人から離れられなくさせるんです。
 
ロキシー・ミュージック『グレイテスト・ヒッツ』(原題 Greatest Hits)1977年11月
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 今回の記事でコンピレーションを一種だけ取り上げます。それがこの『グレイテスト・ヒッツ』。ロキシーのデビュー・シングルから『サイレン』まで、つまり最初の解散前までから11曲が収録されています。デビュー・シングルのVirginia Plainはファースト・アルバムの発売後にレコーディングされたので、イギリス盤の同アルバムには収録されませんでした。2枚めのシングルPyjamaramaもセカンド・アルバムには未収録。
 
 私がこのベスト盤を手にしたのはフェリーの『ボーイズ・アンド・ガールズ』とロキシーの『アヴァロン』を聴いた後で、Virginia Plainのアヴァンギャルドかつオールディーズな作りには面喰ってしまいました。Pyjamaramaも『アヴァロン』以降のフェリーしか知らない者には冗談としか思えませんでした。
 でも、それに抗しきれない自分もいて、要は『アヴァロン』にもこれにも同じものが流れているんだと気づいたときには抜け出せなくなっていました。罪作りなベスト盤でした。
 
 鍵はB面の頭に入っていたLove Is The Drugでした。あの巧みにダンサブルでポップな曲が含み持つ毒が、『アヴァロン』にいたる後期へのマップをわかりやすく示し、なおかつ初期に導いてくれる道標にもなりました。
 そこからThe Thrill Of It All、Street Life、Do The Strandと辿っていくと、奇妙キテレツなVirginia Plainのカッコよさもわかるようになります。いっそ、年代を遡る曲順でもよかったんじゃないでしょうか。
 
 Virginia Plainはロックンロールのビート感をギクシャクとご破算にして、そのブツ切れの悩ましさを軸に再構築した曲です。女装に失敗したディランみたいなフェリーの気持ちの悪いヴォーカルも、素人くさいバンドの演奏も、すべてが悩ましい。これが通じるかどうか、大きな分かれ目となります。そして、表面的にはダンディでアーバンな後期のロキシーにも、このセンスは流れています。
 
ブライアン・フェリー『ベールをぬいだ花嫁』(原題 The Bride Stripped Bare)1978年9月
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 黒のレザーをビシッときめて横分けハンサムなフェリーがジャケットを飾る本作は、ゴシップ的には『サイレン』のカヴァー・モデルでもあった恋人のジェリー・ホールをミック・ジャガーに奪われて、その傷心が濃厚に反映されたアルバムと言われています。また、ギターのワディ・ワクテル、ドラムのリック・マロッタと、それぞれアメリカ西海岸と東海岸を代表する名うてのミュージシャンを招いて制作されたアルバムでもあります。
 
 『ベールをぬいだ花嫁』には、カヴァーが全10曲中6曲を占めているにもかかわらず、ブライアン・フェリー個人がほかの諸作よりも強く表れています。とりわけアン・オデルのストリングス・アレンジも優れたWhen She Walks In The Roomなんかは、みじめさを空虚で継いだような味わいが胸を打ちます。
 ライヴでの定番ともなったCan't Let Goでの、自己憐憫をドラマティックな哀切に高めたヴォーカルも彼ならではの冴え。ラストのThis Island Earthはもっと根源的な孤独感をテーマにしていますが、これも私生活での破局と無縁ではなさそうです。冒頭のSign Of The Timesは、困難とそれを表現で乗り切るハードな意志を伝えて力強い。
 
 カヴァー6曲はどれも興味深く、サム&デイヴ、J.J.ケイル、アル・グリーン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、O.V.ライト(あるいはオーティス・レディング)、それにアイリッシュ・トラッドと、ジャンルはバラバラですが大半はアメリカのロックとソウルということになります。
 ヴェルヴェッツのWhat Goes Onはさもありなんと思わせますが、サム&デイヴのHold OnにJ.J.ケイルのThe Same Old Blues、O.V.ライトのThat's How Strong My Love Isというのは意外な選択。ただし、もともとガス・ボードなるアマチュアのR&Bバンドで歌っていたくらいですし、先に『レッツ・スティック・トゥゲザー』でこのあたりの音を披露しているので驚きとまではいきません。
 サム&デイヴにしてもJ.J.ケイルにしても、失恋したフェリーがヤケになって強い酒をあおっているみたいで、これはこれで彼の世界だなと納得させられます。またヤケ酒を飲む姿であってもちゃんとスタイリッシュな洗練味で仕上げて提示しているところは、フェリーならではです。
 
 『レッツ・スティック・トゥゲザー』の項でも書いたように、フェリーにとってのカヴァーはこの時点でもう”異聞”ではなくなっていたようです。アイリッシュ・トラッドのCarrickfergusには曲に対して素直に感情をあずけて歌うフェリーの姿があります。彼が歌手としてこの段階に達したところで、ロキシー・ミュージックが再結成します。
 
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ロキシー・ミュージック『マニフェスト』(原題 Manifesto)1979年3月
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 ロキシーの最初の解散(1976年)や再結成(1979年)に当時のファンがどう反応したのか、残念ながら私にはその実感がつかめません。
 すでに『アヴァロン』でヒストリーがきれいに完結してからのファンにしてみれば、最初の解散は何だったんだ?との軽い疑問もおぼえます。いまロキシーの歴史を振り返る際に、最初の解散と再結成はあまり重視されないでしょう。 
 というのも、1979年に『マニフェスト』で復活をとげてからの活動が、初期にあったような混沌とした(そしてロック的には非常に魅力的な)模索を抱えておらず、とてもスムーズにスッキリとした放物線を描いて『アヴァロン』に向かっていったような印象を受けるからです。
 
 1979年はイギリスのロック・シーンをニューウェイヴの猛火が襲った年です。そこに元祖ニューウェイヴたるロキシーが復活してリリースした『マニフェスト』は、ニューウェイヴの音像を取り入れつつも、しなやかでソフィスティケートされたロックでした。
 例えて言うなら、ヌーヴェル・ヴァーグの時期にプロフェッショナルかつ新鮮な『太陽がいっぱい』を放った巨匠ルネ・クレマン監督を想起させます。キャッチーなメロディーとムダなく洗練された音作り。新生ロキシーは『マニフェスト』で自分たちのスタイリッシュな流儀を武器としてシーンに返り咲きました。
 
 アルバムは重厚なタイトル曲で幕を開けます。セカンド・アルバムのゴシックな気分が蘇るいっぽうで、いくぶんプログレがかっていた初期にはなかったソリッドな音の”立ち”が印象的です。
 このスパッとしたキレの良さはアルバム全編にわたり、いかにもニューウェイヴなポップ・ロックのTrashも、そこにフェリーがソロを経て持ち込んだR&B色をまぶしたAngel Eyesも色気に満ちています。
 Angel Eyesのタイトルは同名のスタンダード・ナンバーから来ているのでしょう。ヒットしたDance Awayは瀟洒なダンス・ポップで、曲にはコール・ポーターの影響が見受けられます。そんなところにも、フェリーがニューウェイヴの若者に対して何を勝負に仕掛けていたのかが汲み取れます。
 
 このアルバムはとにかく曲がいい。Still Falls The Rainも、オーティス・レディングに挑んだとおぼしきCry, Cry, Cryも、ソウル・ミュージックにニューウェイヴのビートを絡ませたMy Little Girlも、余裕しゃくしゃくに良い曲を連発するアルバムです。タイトル曲と対になる形でA面を締めるStronger Through The Yearsのヘヴィーにうねる演奏も、昨日今日の若いバンドには絶対に出せない音です。
 
 このアルバムを聴くと、充分に歳を食った今の私でも、自分の中に居残っている若者が完膚なきまでに叩きのめされるような気持ちになります。それが痛快。
 最後のSpin Me Roundの白茶けた余韻が伝えるダンディズム。これは1枚置いて『アヴァロン』で徹底的に追求されることになります。
 
ロキシー・ミュージック『フレッシュ・アンド・ブラッド』(原題 Flesh + Blood)1980年5月
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 ポール・トンプソン脱退。『マニフェスト』のツアーの後に事故で指を骨折して、とのことですが、フェリーの目指す方向性とも合わなくなっていたようです。
 
 初期と中期のロキシー・ミュージックが”アート・ロック”だったとすれば、この『フレッシュ・アンド・ブラッド』は差し詰め”アートA.O.R.”。もしも音楽の要素を数値化することが出来るなら、あの頃たくさん作られて流行ったソウル/フュージョン志向の都会派ポップスとほとんど同じに分類されます。
 そのくらいに聴き心地よく柔らかくなりました。これはポール・トンプソンの脱退と無縁ではないでしょう。レコーディングでスティックを握ったのはアラン・シュウォーツバーグとアンディ・ニューマーク。つまりフェリーは長年のバンドの呼吸にとらわれずに、有能なミュージシャンを配して自分の望むとおりの音楽を具現化する方針をとったのです。
 
 私は『フレッシュ・アンド・ブラッド』のこのサウンドを長く受け入れられないでいました。曲はいいし、こういうアレンジも嫌いではない。『アヴァロン』の前にこれがあるのも理解できる。
 だけど、同様の方法で作られた『アヴァロン』が大好きなのに、どうしてこちらに距離を感じるんだろう。
 各楽器の音が聞こえよすぎるんです。先に『アヴァロン』を体験してから『フレッシュ・アンド・ブラッド』を聴くと、シンセを筆頭にどの楽器も懇切丁寧に耳に届くように設計されてある。『アヴァロン』みたいに、ギターだかキーボードだかが奥のほうで鳴っては過ぎ去って行って、残響が絵筆になって思いもよらない模様を描く遠近感のマジックが足りない。
 
 しかし、『アヴァロン』のあのサウンドは『フレッシュ・アンド・ブラッド』をステップボードにして得た成果だとも言えます。
 バンドのグルーヴを解体してでもフェリーが追求した独自のモダンなホワイト・ソウル像は、たとえばウィルソン・ピケットのIn The Midnight Hourのカヴァーに色濃く表れています。原曲のテンポを落とすだけでなく、そのスペースに色彩感豊かな音色を散りばめていく。ピケットのアグレッシヴな原曲がソフトで緩やかなバウンドを持つ曲に生まれ変わりました。
 
 ほとんどの曲の演奏にフュージョン的なベースのフレーズやドラムの16ビートが応用されていますが、曲は意外とブリティッシュ・ロックの王道を基盤にしています。
 Over Youはロキシー中期を彷彿させるし、アルバム・タイトル曲のギターはストーンズ調。ディスコ・ビートを駆使した秀逸なSame Old Sceneもメロディーはブリティッシュな泣きで綴られています。My Only Loveは『ベールをぬいだ花嫁』のCan't Let Goをさらに明瞭に感傷的にしたアルバムの代表曲。
 
 Oh,Yeah!でのタイトルをコーラスする部分やSame Old Sceneでのシンセ、Rain, Rain, Rainでのレゲエを基にしたベースのトーン、バーズのEight Miles Highのカヴァーでのエンディングなど、音響による効果を『マニフェスト』以上に狙っているのも面白いです。このへんはニューウェイヴで多用されたダブに反応してのことでしょうか。次作ではこの音響面が一気にクローズアップされます。
 
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ロキシー・ミュージック『アヴァロン』(原題 Avalon)1982年5月
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 この優雅で美しいアルバムには、自然と心が躍り出す高揚感と、都会の夜のファッショナブルな華やぎと、どうしようもないくらいの切なさがあります。
 そのどれもが、ロキシー・ミュージックにはデビュー・アルバムからあったものです。キャリアの最初と最後で音楽性がガラリと変わるバンドは少なくないし、ロキシーにもそう指摘される点は多いのだけれど、共通する匂いがどのアルバムにも漂っていました。
 
 私はそれを”ビザールであることの美しさ”だと考えています。ロキシーはそれをスタイリッシュに求め、表現し続けたバンドだったのではないかと。
 最初の解散前に発表した『サイレン』で、ブライアン・フェリーの中では一つの決着がついたのでしょう。ソロ活動を経てロキシーが再結成したとき、新しいスタート地点はもう『フォー・ユア・プレジャー』や『ストランデッド』と同じ場所ではありませんでした。彼は以前のロキシーが持っていたビザールな美しさを、より一般的でポップな美しさに近づけ、今度はそれを超越するほどの美しさの境地を目指したのだと思います。
 
 『アヴァロン』は前作『フレッシュ・アンド・ブラッド』から多くのものを引き継ぐアルバムですが、前作を建て直して得たものもあります。それは大きなうねりです。
 More Than Thisのギター・リフで始まり、Taraの波の音で終わるまでの約37分。ほぼすべての楽器の音にリヴァーブやディレイがかかり、さながら木霊の飛び交う中で曲を聴いているかのようです。一つ一つの音に神経質なまでの調整がなされています。
 けれど、まったく息苦しくありません。それどころか大きなうねりに包まれて、揉みほぐされるような心地よさをおぼえながらアルバムを聴き終えます。
 
 終盤はそこに切なさが加味されます。To Turn You Onが離陸時のワクワクにも似た気分を醸し出して終わると、夜の街を上空から眺めるようなTrue To Lifeが始まります。それでもう、だんだんと、どうしようもないくらいに切なくなっていって感情が決壊しそうになると、最後のTaraが流れ出す。
 アイデアとセンスだけは秀でている変わり種だったロキシー・ミュージックがこれを実現できたことには驚嘆しますが、フェリーを突端に美意識の足並みがそろっていたことと、バンド形態に対する柔軟さがあったからでしょう。まずはベーシストを、最終的にはドラマーを流動的にしてもロキシーの音楽は揺るぎませんでした。
 
 The Space BetweenとThe Main Thingでアンディ・ニューマークが叩きだす突っ込んだファンク・ビートは刺激的です。そのビートに断片的な楽器のフレーズが乗り、歌詞は俳句なみにシンプルな言葉が繰り返されます。フェリーのヴォーカルも淡々と、しかし確実に震えを聞かせます。
 あるいはMore Than ThisやTake A Chance With Meでの、フォーク・ロックとも共振しそうなリズムの幅をしなやかにまとめあげる演奏。ごく単純なフレーズをホワホワと鳴らして、そこに絶妙の遠近感を生み出すキーボード。最良の意味で、大人のニューウェイヴです。
 
 タイトル曲のAvalonのこのリズムはどういう作りなのでしょう。レゲエとサンバとファンクがミックスされたような、世にも気だるい妙なるリズムです。ヴォーカルはフェリーの一世一代の聞かせどころ。Re-Make/Re-Modelの叫びもMother Of Pearlの虚無もMy Only Loveの悲哀も、彼のロキシーでの歌が形を変えてここに流れこんでいます。
 
 Avalonでのthe party's overの感覚は、ラストの手前のTrue To Lifeでもう一度繰り返されます。
 そこでは刹那的な都会の風景が自虐まじりに歌われて、「そろそろ、海辺のダイアモンドと腕を組んで家に戻るとしよう」との呟きをもってアルバムのヴォーカルはすべて終わります。モア・ザン・ディス、これ以上は、なにも歌われません。海辺のダイアモンドと手をつないだフェリーの姿も消えて、あとは波の音を待つだけです。
 
ロキシー・ミュージック『ハイ・ロード』(原題The High Road)1983年3月
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 『アヴァロン』発売の約1年後に4曲入りのEPの形でリリースされたライヴ盤です。82年8月のグラスゴーでの録音。
 
 なぜ4曲なのかという疑問もずっと持っていますが、最新ツアーからのスペシャルな企画盤だったと推測すると納得もいきます。収録された4曲はCan't Let Go、My Only Love、ニール・ヤングのLike A Hurricane、ジョン・レノンのJealous Guyです。これらも、なぜ『アヴァロン』のツアーからのライヴ盤で?と思わせますが、Can't Let Goはソロ・アルバム『ベールをぬいだ花嫁』収録だったし、カヴァー2曲はレアという価値があったのでしょう。もちろん、Jealous Guyはロキシーがレノン追悼シングルにカヴァーしています。
 
 私が中古で買った86年の時点でもフラストレーションの残る尺の短さでしたが、リリース時の評判はどうだったのでしょう?
 内容は素晴らしく、Can't Let Goはアルバム・ヴァージョンよりずっと躍動感があります。ただ、この曲は失恋フェリーのウジウジした女々しさに思い入れを持ってしまいますが。
 My Only Loveは『フレッシュ・アンド・ブラッド』収録のオリジナル・ヴァージョンと同じくらいに良い出来。フェリーのヴォーカルも自然体寄りでこの曲を演じている気がします。
 Like A Hurricaneはこの盤の白眉でしょう。ニール・ヤングの歌唱と比べるとインパクトは弱いけれど、曲が聴く者をフェリーの世界へ連れてゆく梯子の役目をはたしています。
 Jealous GuyはLike A Hurricaneとセットでより楽しめるカヴァーです。こちらも男っぽいレノンが見せる弱さとは異なり、情けない男がさらに弱っている様子です。まあ、好みは分かれるでしょうが、私はどっちも好きだし共感できます。
 もっとも、映像版が手に入れば特にレコードを集める必要は・・・いや、このジャケットは、持っていたいですね。ロキシー・ミュージックですから。
その3に続きます。)