Bryan Ferry/ Boys And Girls (1985) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 私がロキシー・ミュージックの名を知ったのは、82年のラスト・アルバム『アヴァロン』の頃だ。当時中学3年だった私はこのLPを買えず、ブライアン・フェリーにもさほど興味は持たなかった。曲はカッコいいけど、変なオヤジだなという程度のものでしかなかった。
 
 のめりこむようになったのは、彼が85年に放ったヒット・アルバム『ボーイズ・アンド・ガールズ』からだ。3年遅れで『アヴァロン』も聴いた。
 レンタル・レコード屋に置いてあったロキシーの『グレイテスト・ヒッツ』も借りてきた。それは優れたベスト盤で、ファースト・シングルから中期『サイレン』までの音楽性の変化がおおまかにつかめた。
 そこで初めて聴いた「ヴァージニア・プレイン」などの初期の曲は『アヴァロン』とは似ても似つかぬエキセントリックな音楽で、その差異にクラクラしながらも一貫して流れる美意識のとりこになっていった。
 もっといろんなロックを知りたいと思ったのはそこからである。毎日、フェリーやロキシーの曲に合わせて歌い、その頃の私はフェリーの節まわしをマネすれば京都の高校生では並ぶ者がいなかったにちがいない。
 
 それは冗談としても、ひとつ確かなことがある。『ボーイズ・アンド・ガールズ』リリース時のレコード会社のプロモーションはかなりの力の入れようで、ごく普通にMTVを見ている若者にも、彼の歌はそれまで以上に広く届いたということだ。
 
 たとえば、『ボーイズ・アンド・ガールズ』を買うと、このアルバムの裏ジャケットが刷られたポスターが付いてきた。 
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 また、「スレイヴ・トゥ・ラヴ」の12インチ・シングルのジャケと同じデザインのポスターもあった。
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 さらに、フェリーかロキシーのLPを買うと、ディスコグラフィーが載った2つ折りのフライヤーをもらえた。
 それだけではない、なんと、驚くなかれ、ロキシーの卓上カレンダーまで作られて、アルバムのジャケットが各月をあの悩ましいデザインで飾ってくれたのだ。
 
 それら加えて、ビデオ・テープのCMで、フェリーが「ドント・ストップ・ザ・ダンス」をノソーッと歌うという展開もあり(82年にもJUNのCMに出演している)、その翌年に公開されて話題を呼んだ『ナイン・ハーフ』では、「スレイヴ・トゥ・ラヴ」が即物的な使われ方をして、観た人にトラウマに近い印象を残した。
 
 70年代のロキシー全盛期をまったく経験していないから断言できないが、ブライアン・フェリーに日本でこれだけのプロモーションがなされたのは初めてのことではないだろうか(その後、「TOKYO JOE」が「月9」の主題歌になった時も、ここまではなかった)。
 
 メディアに取り上げられると必ずと言っていいほど使われたのは「ミスター・ダンディ」「中年の魅力」などの浅薄な言い回しで、長年のロキシー・ファンの先輩がたは苦々しい思いで見ていたにちがいない。
 FM雑誌に来日インタビューが掲載されたときには、ソロ・デビューをしたばかりのスティングや、やはりソロ・シンガーとしてヒットを飛ばしていたロバート・パーマーなどと比較されたりした。私はロバート・パーマーも大好きだが、ブライアン・フェリーとはまったく異なる正統派のR&Bシンガーである。
 
 ブライアン・フェリーはこの時、40歳だったのだ。ロキシーのアルバムをすべて聴くと『ボーイズ・アンド・ガールズ』ではけっこうまともに歌っているのがわかって驚いたが、それでも近年の枯れた歌声からは想像できないくらい、ヌメッと淫靡で、怪しさ満点だった。
 
 『ボーイズ・アンド・ガールズ』は『アヴァロン』以上にダンサブルなアルバムだ。オマー・ハキムやデヴィッド・ギルモア、マーク・ノップラー、ナイル・ロジャース、アンディ・ニューマーク、マーカス・ミラー、トニー・レヴィンなどの超豪華ミュージシャンが参加している。
彼らの演奏を敷きつめた濃密な音の絨毯の上をフェリーのヘナヘナとした喉声ヴォーカルが悩ましくクネ曲がり、熱病にうなされたような奇妙な浮遊感を引き起こす。もとの声質が低く男性的でもあるぶん、その霞がかった異様さといったらなかった。
 
 ひとつひとつの演奏はホットでありながら、フェリー独特の冷めた美意識がアルバムの隅々にまで行き渡っている。
 1曲めの「センセイション」は、リズム・ギターとベースとドラムスのアンサンブルは、デュラン・デュランやスパンダー・バレエ、ABCなどの人気バンド(ロキシーの多大な影響下にあることを後になって知った)を聴いていた私には耳なじみのある80年代型ファンク・ロックだったが、そこから逸脱するセンスが大きく、私はそちらの魅力にどんどん囚われていった。
 
 アタック感を抑えてサステインとその残響を強調したギターの短いフレーズが、音の輪郭をぼかしてキーボードと混ざるように飛びかい、ゴージャスでありながらどこか虚無的に響く。慎重に配されたストリングスも、アレンジの「上モノ」というより室内楽的な厳かさをたたえて鳴り、曲を縁取って、絵画を見るように向き合わせた。この曲をかけるとイントロだけで部屋の空気が一瞬にして変わる、そんな魔力を持っていた。
 
 日本でも先述したようなプロモーション作戦があったのは、おそらく、前々年に『レッツ・ダンス』でポップ・スターとしても特大ブレイクをはたしたデヴィッド・ボウイを念頭においてのことだったのだろう。グラム・ロックのブームをともに背負い、そこからニューウェイヴへの道を切り拓いてきたイギリスのロック・ミュージシャンとして、またヴィジュアル面を重視した活動を続けるアーティストとしても、『ボーイズ・アンド・ガールズ』を売るレコード会社の目標にボウイがあっただろうことは想像に難くない。両者に携わったボブ・クリアマウンテンの音が旬だったことも、もちろん大きい。
 
 けれどオープンできらびやかな『レッツ・ダンス』とちがって、『ボーイズ・アンド・ガールズ』はひとつひとつの音に尋常ではない緊張感がみなぎるアルバムだった。その徹底ぶりはフェリーの美学の揺るぎなさだが、いっぽうで細部まで計算されすぎていて、『アヴァロン』にあった心地よいうねりと解放感とは逆に窮屈さを強いるところもあった。
 ただ、緊張と密閉の中で、フェリーの歌の足取りのあやうさは被虐的な輝きを放っている。その脱力と放心のいびつな美しさがこのアルバムの最大の魅力だ。
 その最たるものが、シングルとしてもヒットした「スレイヴ・トゥ・ラヴ」。この曲は私がこのLPを買ったきっかけでもあるので思い入れも大きい。ミディアム・テンポのリズムと美しいメロディーに乗せてうたわれるのは、なんとも倒錯した懸想の世界。 
 
彼女に伝えて いつもの場所でぼくは待っていると
すっかり疲れてくたびれはてても 逃げることはできない
いいかい、ひとりの女に焦がれるあまり
強い男もダメになり 金持ちも冨を失うものだ
恋の奴隷 あぁ 恋の奴隷 もう逃げ道はない
ぼくは恋の奴隷
 
 落雷の音がとどろき、ギターの音が悩ましくこだまする。人間やめますか恋愛やめますか。そんなどうしようもなさに為す術もなく溺れていく男の姿を、敗北感に酩酊するがごとく陶酔しきって歌うフェリーのヴォーカルはホントに危ない。
 
 彼の作るラヴ・ソングには人工的なまでに美しい女性が頻繁に出てくる。ロキシー初期にはアンドロイドを思わせる女性像も登場するし、メイル・オーダーで取り寄せたビニール製の美女もある。
 彼女たちは華やかな外見にくらべて内面の空虚さをうかがわせたりもするが、フェリーはその空虚さも含めて愛で、美しさへの盲信に浸る。美に吹き飛ばされそうになりながら思索の迷路を彷徨う。そんな歌詞は彼の真骨頂と言っていい。
 
 吹き飛ばされる、と言えば、ロキシーの頃にニール・ヤングの「ライク・ア・ハリケーン」をカヴァーしたことがあった。これなど、フェリーのために作られたかに思える「弱い男のロック」である。
 
「きみはハリケーンのように/ その瞳の真ん中はおだやかだ/ ぼくは吹き飛ばされてしまう/ ここより安全な場所へ 心のとどまるどこかへ/ きみを愛したいけれどぼくは吹き飛ばされるだけ」
 
 『ボーイズ・アンド・ガールズ』には、その返歌のような素晴らしい曲が入っている。熱波が夜の帳を包み、なにも見えない聞こえない、砂が風にさらわれてゆく、という見事なイメージで絶望的な恋が描かれる「ウィンドスウェプト」だ。
 

 ブライアン・フェリーのラヴ・ソングは耽美的すぎて、日常的な恋愛の共感用BGMとしては役に立たないかもしれない。しかし、彼の歌が、恋というものが普遍的に持つ層を伝って不意に忍び込んで響けば、ある感情がかきたてられる。それは誰もが知っている感情で、また誰にも伝わりきらないパーソナルなもがきでもある。そのとき、彼のヘナヘナした声の震えは聴く人の心の震えに変わる。
 『ボーイズ・アンド・ガールズ』は、そんな危険で甘美な毒を持つ極上のアルバムだ。
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(日本盤「ウィンドスウェプト」の12インチ。 ヴァン・モリソンの名曲「クレイジー・ラヴ」のカヴァーが良い。 
ヴァン・モリソンにしても、ほかのアルバムでカヴァーしたO.V.ライト、エルヴィス・プレスリー、アル・グリーン、フランク・シナトラにしても、よくこんだけ歌の上手い人たちの曲を選ぶよなぁ)
Roxy Music/ Heart Still Beating(1990)についての記事はコチラ
ブライアン・フェリー@なんばHatchについてはコチラ