VAN HALEN/ 1984 (1984) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

(この記事は2007年に以前のブログで書いた文章を改訂したものです)
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 いま確認してビックリしたのだが、このアルバムって33分しかなかったのか。
 もちろんCD時代以前はアルバムの収録時間が40分程度がふつうだったのはよくわかっているし、私もそのくらいの長さのほうが好みだ。それにしても、の33分。こんなに楽しく馬鹿明るい33分が自分の高校生活に流れていたのだから、けっこういい青春時代だったのかもしれない。
 
 このアルバムは、最初の一音が鳴った瞬間から最後の一音まで、徹頭徹尾、笑わせてくれた。人を破顔にさせる活力がみなぎっているのだ。
 しかしあんなに鬱屈した思春期に、よくこんなカラッとゴキゲンな音楽を聴いていたものだ。
 (「パナマ」。これも何度MTVで見たか!しっかし、のっけからサービス全開だ)
 
 ヴァン・ヘイレンでいちばん好きなアルバムはほかにもある。ファースト、セカンドあたりは文句なしだし、『ダイヴァー・ダウン』も良かった。サミー・ヘイガーが加入してからの『5150』もなかなかいい。
 だが当時の高2のクラスでこの『1984』の話題で盛り上がった思い出にはおよばない。そういうのって、なにをさしおいて重要だったりする(ザ・スミスについて書いたときとまるっきり正反対のことを言ってますが)。そして、そういう体験と結びついた音楽があることは、やはり幸せなのだろう?少なくともMTVヒットについては、洋楽が一部のマニアのものではなかった。
 
 1984年。ここ関西では中高生のあいだでハード・ロックやへヴィー・メタルの人気が高かった。と言ってもほとんどの生徒はニューミュージックや歌謡曲を聴いていたわけだが、ロックが好きとなると、当時は即、速弾きとツーバスの世界の人で、ニューウェイヴ好きなんかほんの数えるほどしかいなかった。
 私はロックでもストーンズやRCサクセションのファンで、つまりそういう人たちから「下手クソ」と蔑まされるような音楽が好きだったが、ハード・ロックをやっている友人にはけっこう人の好いタイプが多くて、文化祭などのステージをよく観に行った。高校生で勉強を放棄しているわけだから、ひたすら楽器を練習する時間がある。そりゃあもう、指の動くギタリストがゴロゴロしていた。
 
 ヴァン・ヘイレンのコピーをしているヤツもいた。「暗闇の爆撃」から「ユー・リアリー・ガット・ミー」への流れを、視聴覚教室の特設ステージで何度見ただろう。
 彼らについて、特徴的なことがあった。みんな楽しそうなのだ。とくにギター。ソロがくると、両膝をついてのけぞって弾き倒すわけだが、その間、ずっとニコニコしている。野村義男症候群。エディ・ヴァン・ヘイレンになりきっていたわけだ。当時は珍しいからいちいち驚嘆していたが、あいつらのライトハンド奏法って、実際のところどうだったのだろう?
 とにかく、それまでハードロック・バンドのギタリストというと、リッチー・ブラックモアみたいにふてくされたような顔つきでソロを取ったりしていたものが、この頃を境に、やたら笑顔が目立つようになった。満面の笑顔である。どのくらい満面かというと、たとえばこんな具合。
 彼らのファンではない女子にも、エディのこの笑顔は「可愛い」と評判だった。そりゃそうだろう。まるで大好きなおもちゃを手にして寝食忘れて夢中になって遊んでいる男の子だ。あのギターにあの爽快な笑顔は、カッコよかったのだ。だからこそ彼の闘病のニュースを知ったときは心が痛んだ。どうかこの人がまたニコニコしながら超絶ギターを弾けるようになれますようにと祈ったものだ。
 
 またこの「ジャンプ」という曲が、シンセ和音のシンプルなイントロの響き、運指練習みたいなソロと、なんとも牧歌的な味があっていいのだった。文化祭バンドに頼まれて参加した女子(クラシック・ピアノ経験者)を、納得させるに足るやりがいを与えたはずだ。
 
 のちにアズテック・カメラが「ジャンプ」をアコースティックかつ少しフェミニンにカバーしていて、そのことを「男根主義へのアンチテーゼ」と言っていた人がいたけど、ちがうだろう。ロディ・フレームもこの歌が単純に好きだったんだと思う。
 私は、デイヴ・リー・ロスが好きだった。ストーンズでもキースよりミック派なので当然といえば当然かもしれないが、気難しそうで無口な人よりスポットライト浴びて尻ふってイェーイェーわめいて、責任持って一座を仕切る人のほうがふだんは冷静で大人だし、時間に遅れたり約束を破ったりしないという思い込みによるものだろうか。
 いや、単純に、バカを引き受けることのできる人が好きなのだ。「人を楽しませるために、進んでアホを演じることのできる人」。これもやりすぎると厭味になるから、才能とクールな視点が必要なのだろう。
 
 デイヴは最高に美しい「形」をもって、この役を演じていた。「ダイアモンド・デイヴ」の称号も当然だ。彼のパフォーマンスには瞬発力の美があったと思う。
 見るからに「戦略家」という風情で、ギラギラしていて、とにかくアタマよさそう!と思わせた。「金勘定が得意そうなデイヴィッド・ヨハンセン」といった感じで、めちゃくちゃスケベそうでよかった。
 
 彼はソロになってしばらくは王者の風格を発揮していたけど、「好事、魔多し」というか、いっとき失脚してしまった。2003年に出たなかなか渋いソロ・アルバムを聴いたとき、こんなのは他にやるヤツがいくらでもいるではないかと歯がゆく思った。その後、ヴァン・へイレンに復帰して2012年にはアルバムをリリースし、日本も含んだツアーを大成功におさめた。日本には1年間住んでいたらしい。 
 歌のうまい人ではない。しかしこの人にしかできないことがある。私はそういうヴォーカリストが好きだ。
 (1988年の「まるっきりパラダイス」。楽しませるためならなんだってやっちゃう)
 
 (この映画もヴァン・ヘイレンのファーストなくしては魅力減)