名盤と私 8 Elvis Presley/ The Sun Collection (1976) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 メンフィスにあるサン・スタジオを訪れたのは、私が24歳になった1992年3月。
 街の中心部から外れた地域の、ひなびた国道沿いにある2階建ての小さなビルでした。扉を開けると、1階が簡単な食堂、階段をのぼると土産のレコードなどを置いていて、店番のお兄ちゃんが一人座っていました。
 「あれ?サン・スタジオはどこ?」と尋ねると、あきれた表情で、「隣の小さいほうの棟だよ」との答え。そういえばもうひとつ入り口があったな、と表に出てみれば、たしかに平屋の棟が連なっていて、ブラインドの下りた窓にMemphis Recording Serviceの文字が見えます。
 あまりの小ささに戸惑っている私の後ろ、ガランとした白昼の長閑な道を、トラックが一台、通っていきます。その瞬間に、どんな評伝のどんなに正確な記述よりも、ハッキリと空気で実感して鳥肌が立ちました。トラックの運転手だったエルヴィス・アーロン・プレスリーが、18歳の夏の日に開けたスタジオのドアの前に、今自分は立っているのだ、と。

 エルヴィスが亡くなった1977年、日本のニュースでもその訃報は大々的に取り上げられましたが、小学生の私にはとくに感慨はありませんでした。
 叔父が大ファンだったので彼の名前と顔は知っていたし、歌もひょっとしたら聞いたことがあったかもしれない。けれど、記憶に残っているのはエルヴィスのモノマネをする人のほうで、本人は好きでも嫌いでもありませんでした。
 中学生になって、ストーンズのメンバーがエルヴィスにも影響を受けていたと知ったときもピンと来ず、「昔の人にはカッコよかったんだろうな」と、往年の時代劇スターを見るような感覚しかおぼえませんでした。

 大学生になったばかりの私は、エルヴィスに関する知識が増えていたものの、晩年のイメージを拭えず、正直言って、大げさで古臭い歌いかたをする人との先入観も持っていました。
 最初にエルヴィスをちゃんと聴いてみる気になったのは、以前このブログでも紹介した佐藤滋さんの著書『ロックの世界』を読んでからです。佐藤さんは50年代にエルヴィスの登場を真っ向から受け止めた年代なのでしょう、その本の初めに割かれたエルヴィスの変遷に関する熱い文章が、一度しっかりこの伝説的なロックンローラーを聴いてみなくちゃ、と私を衝き動かしたのです。

 まずはレンタルしてみようと手に取ったのが『ゴールデン・レコード第1集』。「ハートブレイク・ホテル」「ハウンド・ドッグ」「監獄ロック」などの古典的ナンバーがめじろ押しの、RCA初期の魅力満載の一枚です。
 予想していたよりずっと楽しめました。大げさに聞こえる歌いかたではあるけれど、グラム・ロックに夢中だった私はキャンプな面白さも感じましたし、なによりそこにパックされた本物の歌の迫力は圧倒的です。
 ただ、魅了されたとまではいかない。演奏や録音、コーラスが、80年代の若者にはどこか間延びして聞こえたのは否めません。

 数年して、ジャズやらソウルやらなんやらと、自分にとって新しい音楽を発見してハマるという、思い返しても楽しかった時間のなかで、ゴスペルや戦前ブルースに興味を持つようになりました。
 ザラザラと粗い録音の向こうから飛び出してくる、人間の声の太さと、喜怒哀楽が入り混じった剥き出しの感情、背景にある文化の強固さとそこからはみ出さんばかりに躍動する個人の意志。そういう音楽に傾倒していくうちに、あれ?もしかして?の閃きが訪れたのです。エルヴィス・プレスリーって、もしかして、これなんじゃない?
 そうして、半ばおそるおそる、試しに買ってみたのが、1976年に発売された『サン・コレクション』のLPでした。私はここで、ほんとうにエルヴィスに出会いました。1990年頃のことです。

 感激しました。収録された16曲、1枚のレコードのなかで何度もビッグ・バンが起こっている!私は急速にエルヴィス・プレスリーのとりこになっていきましした。
 歌がうまいのはある程度予測していたことですけど、鋭く突っ込んでいく切れ味の、直感的な、何者にも縛られない自由さとタフな活力。ピュアなエネルギーがみなぎっています。天然のしなやかさで駆けまわる野性の身のこなし。バラードでの、弄ぶようなワルさと情熱的な誠実さの合わせ技。細やかさとふてぶてしさが表裏一体になった色気が心をかき乱します。

 どれか一曲をなんて、とても選べません。強いてあげるなら、Milk Cow Blues Boogie。どこでこういう表現を身につけたのか、なんでこんなふうになるのか、ココモ・アーノルドやスリーピー・ジョン・エステス、それにジョニー・リー・ウィリス(ボブ・ウィリスの弟)の先行ヴァージョンを聴いても、いや、聴くとよけいにわからなくなります。
 That's All Rightは、原曲を聴くと、なるほどアーサー・クルーダップの歌いまわしを手本にしてるなと納得しますが、ジュニア・パーカーのMystery Trainでのタメ、スカシかたは独自のセンスです。
 このLPでもっとも好きな曲はTrying To Get To Youです。原曲はイーグルスという50年代のヴォーカル・グループで、エルヴィスも基本的にはオリジナルの歌唱を踏襲しているようです。しかし、シャウトにこめられるエモーションは、結果的に原曲と別の、それまでの音楽に収まりきらない方向を目指して飛んで行ってます。そのエネルギーの野卑な美しさに、今度こそ本当に魅了されました。
 しばらくして、私がエルヴィスを聴きはじめたことを知った叔父から、彼の持っているレコードがすべて送られてきました。デビューLPの『エルヴィス・プレスリー登場!』や『エルヴィス』はそのときにもらったもの。
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 叔父は70年の『エルヴィス・オン・ステージ』の映画をきっかけに目覚めた年代ですので、その頃のライヴ盤がたくさんありました。金太郎飴みたいな内容で、『サン・コレクション』の洗礼を受けた耳には「魂を売った音楽」にも聞こえました。
 ところが、『エルヴィス・イン・メンフィス』を聴いて、ここまで濃厚な南部サウンドってあるのだろうか!と、またまたひっくり返ったのです。60年代のヒット曲も楽しめるようになりました。今ではポップな『ゴールデン・レコード第3集』がいちばん好きです。
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(大好きな『ゴールデン・レコード第3集』と、
ブルージーな曲を集めた『リコンシダー、ベイビー』)

 こうなってくると、魂を売ったとか、そんなチャチなことはどうでもよくなってきます。エルヴィスとの出会いは、私のロックとの向き合いかたも変えてしまいました。
 やがて、晩年の、ジャンプ・スーツに空手のアクションのステージも聴き倒し、写真集を買う、映画も見る、片岡義男の『ぼくはプレスリーが大好き』も読む。
 で、いつのまにか、メンフィスを訪れていた私。

 エルヴィスの邸宅、グレイス・ランドにも行きました。エルヴィスは両親とともにこの地に眠っています。
 その日は小雨が降っていて、客足もまばらでした。三面が鏡張りの階段やゴールド・レコードがキラキラと反射して並ぶ廊下、さぞかし高価だっただろうテレビがある居間、私には趣味がいいとは思えない豪奢な調度品をいくつも見ているうち、なんだかやりきれなくなりました。映画『市民ケーン』のモデルにもなったウィリアム・ランドルフ・ハーストの城を西海岸に訪ねたときも味わったやりきれなさです。
 広大な敷地のなか、自家用の飛行機が置いてありました。娘の名前を冠して「リサ・マリー号」と呼ばれるその飛行機は、飛び立つことを忘れ、雨の中に翼を広げたまんま機体を休めていました。私は胸が張り裂けそうになりました。
 『サン・コレクション』で火が付いた私のエルヴィスへの思いから、あの日グレイスランドで見たリサ・マリー号の姿を拭い去ることはできません。

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