素敵な夜
昨晩はKatsujiの
還暦祝いイベントでした。
40年ぶりの一般死民2回目のライブ。
いいライブが出来ました。
セットリスト
1.Welcome愚か者
2.抑圧のくりかえし
3.ぬけがら
4.満足へのパスポート
5.日本人
ラストの日本人は
えびの曲として有名になりましたが
もともと一般死民でやっていた曲でした。
Katsujiとは
高校1年からExtacyというバンドで一緒にプレイし
大学時代には一般死民でソノシートをリリース。
その後は別々の道を歩んで来たが
40年という月日を経て
再び同じステージに立てたこと。
それは正に奇跡のような出来事でした。
来場してくれた皆さん
企画してくれたピートさん
出演者の皆さん
スタッフの方々
そしてKatsujiに
大きな感謝を送りたいと思います。
本当にありがとうございました。
素敵な夜になりました。
覚悟と思いに満ちた姿
11月15日の入魂のイベント
「死民40加藤60」が終わって
ひと段落と思っていた。
ちょっとのんびり出来るかな?と想像していた。
しかし、終わったら終わったで
いろいろとやることがあり
気づけばもう11月最終日ではないですか!
あと1週間しかないんです!
何がって?
Katsujiの還暦祝いイベントまで!
「死民40」では40年ぶりに再結成した「一般死民」と
「えび」のセルフカバーバンド「えびっス」で
ベースを弾いてくれたKatsuji。
ステージから生き様まで生粋のバンドマンであり
僕の高校時代の同級生。
そして「死民40」のラストでは
感極まって涙まで流した熱い男。
彼ともう1回「一般死民」をやる。
それが1週間後の12月7日(日)
高円寺SHOW BOATなのである。
僕の場合は出演者のスケジュールや
会場の予定などもあり
誕生日当日すなわち11月23日ではなく
11月15日にやった「還暦祝い」であったが
Katsujiの場合は誕生日当日の12月7日に行う。
高校1年、15歳の時から
僕らはいっしょにバンドを始めた。
そして45年間バンドマンとして生きてきた。
一般死民が活動停止状態になってから
いっしょに音を出す機会はなかった。
それが「死民40」で40年ぶりの再結成と相なった。
40年の間、本当に様々なことがあったのだろう。
もちろん僕もあった。
バンドマンであり続けるための代償をずいぶん支払った。
おそらく前回のイベントでは
その思いが吹き出したのだと思う。
Katsujiは今、主に3つのバンドをやっている。
一つは活動の大きな柱となっている「the LEATHERS」
結成40年を迎えた「NICKEY & THE WARRIORS」
そしてKatsujiとイズミダイズミ2人のユニット
「ザ・ナカスギロックス」である。
他にもARBのKEITHさんをはじめ
多くのバンドやユニットに参加している
引っ張りだこのベーシストである。
そんな彼が還暦を迎えるイベントである。
僕も全力で挑む。
そして、これが終わるとしばらくは何の予定もない。
もしかしたら最後のライブになるかもしれない?!
心を込めてやろうと思う。
ぜひ多くの人に見に来てほしい。
そしてKatsujiの覚悟と思いに満ちた姿に
拍手を送ってほしい。
これがイベントのフライヤーです!
心からの感謝、そしてもう1本
一昨日、リュウヂの告別式に参列した。
元々は「昨日、リュウヂの告別式に参列した。」と
昨日書き出したのだが
力尽きて最後まで書けなかった。
というわけで
一昨日、リュウヂの告別式に参列した。
赤い薔薇と白い蘭に囲まれて
次の世界へと旅立って行った。
リュウヂはとても僕のことを慕ってくれていて
土曜日のイベントでは
僕にサプライズで花束を渡す役を
やることになっていたらしい。
(サプライズなので、詳細は全くわからないが)
イベントが終わって
リュウヂを見送って
「ああ、ひと段落ついたな」と思った。
疲労感が全身を襲い
膝をついてしまうような気持ちになった。
しばらくはのんびりしようと考えた。
映画を観たり、本を読んだり
ここ1年ゆっくり出来なかった時間を取り戻そう。
イベントが終わったら
あれをやろう、これをやろうとしていたことを
一つ一つこなしていこう。それもゆるゆると。
だが、そうボヤボヤしてもいられない。
12月7日(日)
一般死民をもう1回やるのだ。
僕の高校の同級生でもある
ベースのKatsujiの還暦祝いイベントに出る。
メンバーは前回と同じ
Katsuji、イズミダイズミ、僕の3人だ。
「死民40」のイベントでは
理子ちゃんとKatsujiが僕に花束を渡す役をやってくれた。
何度も言うが、僕は知らなかったのだが...
理子ちゃんはその美しい笑顔で僕に花束を渡してくれた。
その輝きに僕は見とれた。
次にKatsujiが青いバラの花束を僕に差し出した。
Katsujiは泣いていた。
「えっ?なんでKatsujiが泣いてんの?」
「えびっス」でベースを弾きながら
最後の曲「日本人」でいろいろなことが頭に巡ったと言う。
高校時代にいっしょにバンドを始めた。
40年前に「一般死民」というバンドで
この世界に飛び込んだ。
お互い様々な活動を経て
40年ぶりに同じステージに立っている。
その間にあった喜怒哀楽が一気に押し寄せてきたのだろう。
僕はびっくりしたが、その思いが伝染し感動が体を包んだ。
ステージで僕ら2人は抱き合った。
それが全く想定しなかったイベントのラストシーンとなった。
還暦を迎えるオッサン2人が
抱き合っている姿というのは
決して美しいものではないと思うが
その思いは純粋で、何ものにも変えがたい輝きに満ちていた?!
そうしてイベントは終わった。
たくさんのバンドマンに支えられ
たくさんのオーディエンスにバワーをもらい
最後までやり切った。
リュウヂも「ニューニヒリズム」を
いっしょに歌っていたと思う。
メンバーに感謝
スタッフに感謝
会場に来てくれた人達に
そして今まで関わってくれた全ての人々に
心からの感謝を送りたいと思う。
本当にありがとうございました。
そして上記のごとく
12月7日(日)高円寺ShowBoatで
一般死民をもう1回やるので
都合の合う方は是非いらしてください。
イベントのトリを飾った「えびっス」左がKatsuji、右が僕。
おかげさまで大盛況
昨晩
無事にイベントは終了しました。
予想以上にたくさんの人が来場してくれて
本当にうれしかった。
最高の還暦祝いとなりました。
ありがとうございました。
演奏的には悔やまれるところが
数多くありましたが
そんなことはぶっ飛んでしまうくらい
楽しい夜になりました。
(そんなことだから上達しない?)
声は最後まで出るのか?
体力はもつのか?
との心配もおおむねクリアし
トリのえびっス(何の生き物だ?)まで
無事完奏することが出来ました。
今回、本当に多くの人の力を借りて
なんとか大成功に導くことが出来ました。
心から感謝申し上げます。
いろいろと思うところもありますが
ライブ翌日の本日も絶賛労働中でございました。
昨日のステージを見てくれた人からは
「還暦感ゼロ!」と言われましたが
歳をとると疲労が遅れてくるものでございます。
さすがに今日はヘロヘロです。
とにもかくにも
約1年かけて準備してきた
死民レーベル40周年記念
加藤健(社長)還暦を祝う会「革命の夢」
大盛会にて幕を閉じることが出来ました。
すべての人に心からの感謝を抱きつつ
とりいそぎのお礼とさせていただきます。
本当にありがとうございました!
イベント終わってREBEL BLUEで写真撮ろうということになった。
しかし、すーさんは名古屋へ向かってしまった後だった。
ということでGUTWIEとコーキちゃんと3人で。
人生の集大成
いよいよ明日
僕の人生の集大成というべきイベントが
開催されます。
会場の下北沢Flowers Loftは
駅の真ん前だしキレイだし
とても素敵なライブハウスです。
バースペースとライブフロアが
完全に分離しているので
バーで休み休みゆったり楽しめます。
昼の部があるため
リハーサルの時間があまり取れないので
少し「押し」でスタートすることにしました。
17:30 OPEN 18:00 START
ということになっていますが
17:30にBarのエリアのみオープンとし
ライブフロアを18:00オープン。
スタートを18:15にする予定です。
深夜の部もあり
これ以上は押せない感じなので
18:00前くらいを目標に
来ていただけると良いかと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
それでは明日
下北沢で会いましょう!
カトケンというアーティスト
イベントまで
あと2日となりました。
是非ここから「予約」して
いらしてくださいね!
予約時限は11/14 18時です。
11月15日(土)
下北沢フラワーズロフトにて開催される
死民レーベル40周年と
加藤社長還暦祝いのイベント「革命の夢」を
盛り上げるためのブログを連載中です!
「ちいさなちいさな石 大きな湖になげる」というのが
このアルバムのタイトルである。
これは僕にとって非常に重要なテーマであり
アーティストとしての活動の源である。
このブログの「革命導火線」のところで書いたが
大学時代の恩師永井旦氏からの影響が大きい。
また、これと同様な発言をスコットランドの
スピリチュアルなエコビレッジ「フィンドホーン」で
聞くことになる。
フィンドホーン滞在中に
このコミュニティの方に質問をする時間があった。
僕は次のような質問をした。
「ここは本当に素晴らしい。自然の恵み。エコな暮らし。
優しくて気持ちのいい人達。
人種も宗教も超えて愛に包まれている感覚。
しかし、ここはまるでシェルターのようだ。
一歩でも外に出れば戦争や紛争、貧困や格差に溢れている。
その現実をどのように考えるのか?
フィンドホーンの中がユートピアであればそれでいいのか?」と
彼の答えはこうだった。
「もしここが素晴らしいと思ってくれたのなら
ここで感じたこと、思ったことを
あなたがいつもいる場所に帰って伝えてください。
そして、それを良いと感じた人がまた伝える。
そのようにしてフィンドホーンのスピリッツが広がり
世界が愛で包まれるようになるのです。
それがこの体験週間を催す大きな目的の一つです」
ちいさな石が波紋になって世界に広がっていくイメージが
全く同じだった。
僕が音楽に向き合う時
この感覚が多くの場合、僕を包んでいる。
だから、このタイトルにした。
一方、僕は子供の頃からモノを作るのが好きだった。
小学生の時、日曜日になると
うちで「工作」にはげんだ。
木片や紙、発泡スチロールなどを使って
ロープーウエイやゴルフゲームなどを作った。
あの幸せな時間は
後に「音楽を作っている時間」へとスライドした。
モノを作っているという点では同じである。
このアルバムを作っている時も
しばしばこの多幸感に襲われた。
人付き合いが苦手で気が小さい僕だが
どもりながら叫び続けた。
そんなアーティスト「カトケン」が
今回還暦を迎えるにあたって
一つの「区切り」をつけることにした。
今まで「どもりながら叫び続けた」集大成となる。
多くの人にご来場いただきたい。
これにて死民レーベルからリリースした
アーティストを紹介するシリーズは完了となります。
長い間お付き合いいただき
ありがとうございました。
「えび」の頃の写真
感謝のアルバム
イベントまで
あと3日となりました。
是非ここから「予約」して
いらしてくださいね!
11月15日(土)
下北沢フラワーズロフトにて開催される
死民レーベル40周年と
加藤社長還暦祝いのイベント「革命の夢」を
盛り上げるためのブログを連載中です!
アルバムのレコーディングは
全て友人の「JA¥」の
自宅スタジオで行われた。
ドラマーである彼の自宅スタジオは
フルボリュームでドラムが叩ける。
けっこう音は漏れているが
昼間なら大丈夫らしい。
20曲ほどレコーディングしてみて
その中からチョイスして1枚となる予定だったが
どれも落とすことが出来なかった。
更にジャケットの撮影で行った
福島の原発事故による汚染区域。
その光景を見て新たに一曲加わってしまった。
「未来の花」という曲である。
もうこれは全部入れるしかない。
結果的に24トラック2枚組となった。
とにかくJA¥には本当に世話になった。
彼の休日は全てこのアルバムのレコーディングに
使われたのではないか?と思えるほど通いつめた。
おそらく30日近く参上した。
その上、データのやり取りもP C上で繰り返された。
ほとんどの曲のドラムの演奏に加えて
エンジニアとして他の楽器の録りもベタでつきっきり。
トラックダウン、更にはマスタリングまで
頼りっぱなしであった。
本当にありがとうございました。
他にも多くのアーティストの方に参加いただいた。
ドラムはJA¥の他にも
LOUD MACHINEのバンドメイトでもある
元BELLSの大島香。
YELLOW BATSの菅谷。
RUDE TONESの良太。
ベースには
今回のイベントではREBEL BLUEとJETCOASTER GIRLで
登場してもらうGUTWIE。
それから「おみwith俺が俺があず」のバンドメイトで
Unlimited BroadcastのEiji。
ギターでは
RUDE TONESのキヌ。
YELLOW BATSの宇野。
BAND WISEのよしき。
鍵盤では
今回「よびりん」で登場するAkko。
それにYUKA様。
コーラスにフミちゃん、みっちゃん
サックスでワカちゃん
ハープでトミー
三線に陽子ちゃん など
もう書き出したらキリがないほど
たくさんの人に支えられた。
演奏だけではない。
ジャケットは
チェルノブイリを撮り続け
福島の原発事故後は福島に通い続けているカメラマンの
中筋純氏に撮影してもらった。
汚染区域内に入るには特別な許可が必要だったが
僕は彼のアシスタントとして同行し
まんまと?撮影を決行した。
ガイガーカウンターは悲鳴を上げっぱなしだった。
この話は別の機会に。
予算がないのでクラウドファンディングを使った。
これに多くの人が賛同してくれたことで
ついにアルバムは完成したのだ。
このアルバムについて言えることは
一言で言えば「感謝」である。
「売れる」ことで恩返ししたいと
「未来の花」でNHK紅白歌合戦に出ることを目標と掲げた。
現実はそんな夢とは程遠い結果となってしまっているが
今のところ?
(続く)
これがアルバムのジャケット。原発事故後の福島の汚染区域内で撮影された。
よろしくな、リュウヂ
昨日、友人でありバンド仲間でもある
リュウヂが突然亡くなった。
危篤の知らせを聞いて病院に駆けつけた。
次々に集まる人達が必死に励まし
本人も頑張ったが
そのまま旅立ってしまった。
今、途方に暮れている。
まだ50歳くらいだったはずだ。
これを書いていても涙がにじむ。
正直だいぶへこんでいる。
夏の福生のライブでは
いっしょに「ニューニヒリズム」を歌った。
荷物を運ぶのを手伝ってもらって
クルマの中でバカ話をしたのも、つい最近だし
この前の日曜日(11/9)には
メッセンジャーでやり取りをしたばかりだ。
そしてなにより土曜日のイベント
誰よりも楽しみにしていたがリュウヂだ。
「それなのにどうしてだ?」と言ったところで仕方がない。
引き金を引いたのはリュウヂではなく
全能の神なんだから(そんなものがいたとしたらだけど)。
そのイベントまであと3日しかない。
落ち込んだり感傷に浸ったりしている時間はない。
歯を食いしばってやるしかない。
何よりリュウヂ本人がシメっぽいのは嫌いなはずだ。
ド派手にやるから成仏する前に見てってくれよ。
「ニューニヒリズム」は「えびっス」でやるから
もう一度いっしょに歌ってくれよ。
よろしくな、リュウヂ。
福生のライブの時の写真。
俺って2年周期?
イベントまで
あとわずかとなりました。
是非ここから「予約」して
いらしてくださいね!
11月15日(土)
下北沢フラワーズロフトにて開催される
死民レーベル40周年と
加藤社長還暦祝いのイベント「革命の夢」を
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「えび」というバンドでメジャーデビューしたものの
レコード会社からのアーティスト育成費(給料)が
2年でストップして
契約をあと1年残した状態で
お茶の会社に入ったことは、だいぶ前に書いた。
大学を卒業して2年間
某大学の教務課で働きながら「えび」をやった。
メジャーデビューして2年間
プロのバンドマンとして活動した。
実際には教務課にいた頃の方が
よっぽど活動していたイメージだが。
そして今度はお茶の消費地問屋で働きながら
バンド活動をすることになった。
きっとまた2年間で次の転機が来るのだろうな。
かなり確信を持ってそう思っていた。
しかし2年後に転機は訪れなかった。
結局2年ではなく、22年間お茶の会社に勤めることなった。
それは想像を絶する長さであった。
その間もちろんいろいろなことがあった。
しかし、音楽活動を止めたことはなかった。
リリースとしては
REBEL BLUEのアルバムを2枚
大日本テロル
JETCOASTER GIRL
と細々とではあるが
死民レーベルからリリースしていった。
その他には、ギタリストとして
茶番の合点オミのバンド「おみwith俺が俺があず」
高校生の頃からの憧れだった西村さん率いる「LOUD MACHINE」
フィンガー5の三男正男さんのバックバンド等に参加した。
ソロでの弾き語りも続けていた。
さて、22年経って、なぜお茶の会社を辞めたかというと
会社が傾いたからである。
東日本大震災のあたりから、だいぶおかしくなってきて
2014年早期退職者の募集があり応募し受理された。
会社はその後数年ともたず倒産した。
35年に渡ってバンドしかやってこなかった僕の行く末は
決して明るいものではなかった。
お茶のことは多少わかったが
再就職すれば、もう活動は難しいだろう。
22年勤めたような「ゆるい」会社はないだろう。
(まあ、その分給料も激安だったが)
あっても僕を雇うことはないだろう。
年齢は50になろうとしていた。
僕はこれが最後だろうという思いで
今まで発表したかったのに発表できなかった
多くの楽曲の中から20曲余りを選び
ソロアルバムを作ることにした。
(続く)
ソロアルバムのジャケットは福島の汚染区域内で中筋純氏によって撮られた。












