カトケンの部屋
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ワーキングサークル

「働き方改革」とは無縁のバブル期。

「24時間戦えますか?」というキャッチコピーがあった。

 

膨大な量の仕事を依頼された下請け業者の担当が

「こんなに出来るわけないじゃないですか!

死んじゃいますよ!」と

真っ黒なクマを蓄えて充血した目に涙をためながらうったえる。

しかし依頼した方の担当は

「まあそう言わないで、なんとかがんばってよ」と

肩をもみもみしながら言っていた。

 

「仕事がなくて倒産」というのはごく自然?だが

「仕事がありすぎて倒産」という

一見わけのわからない事態が発生する時代であった。

 

そんな時期が過ぎ、日本は長い不景気に入る。

仕事があるだけラッキーじゃねえかという感じになり

低賃金で一時雇用みたいな人々があふれる。

「派遣切り」「派遣村」という言葉が飛び交う。

時は進み、たいして景気は好転しないまま

コロナ禍に突入。

 

またもや仕事は減り失業者が増える。

コロナがやっと落ち着いたと思ったら

今度は円安とそれに伴う物価高で

所得は目減りし生活はまた苦しい。

 

仕事というのは

ある時には「精神安定剤」にもなる。

例えば失恋した時など

「仕事に行かなきゃいけない」という状況が

無理矢理「ひきこもり」状態の人を

社会へと引っ張り出す。

 

しかし一方

仕事による「忙しさ」は本来必要な「思考」を奪う。

「忙」という字は「心をなくす」と読める。

仕事漬けの毎日は感情を失い人間性を薄める。

立ち止まって考えることができなくなり

何も感じず何も考えないロボットが出来上がる。

 

「勤勉」と言われる日本人は案外この状態を

「ここちよい」と感じる人が多いようだ。

しかし、それは「思考」を奪われた太平洋戦争のころを

連想させる。

 

「ワーキング・サークル」

ぜひ聴いてみてください。

 

 

あ〜んHappy Birthday

この曲を作った当時

おそらく1992年くらい

(うわ!もう30年以上前か)

「若い方が偉い」みたいな文化があった。

 

「女子高生が人類のトップ」的な

今考えるとちょっとイビツな価値観が横行していた。

まあ現在でも「若さ偏重」の風潮というのはあると思う。

さすれば「年を取りたくない」と考えるのは当然と言える。

 

一休さんの話を出すまでもなく

年をとることは一歩死に近づくことだ。

子供を別にすれば

だんだん衰えていくことは否めない。

 

で、この曲である。

誕生日はめでたいとパーティなんか開いちゃったりするが

「年を取りたくない」という観点から見れば

最悪な日である。

そんなリアルを歌ったつもりであった。

 

今聴くとちょっと稚拙であったところもあり

評判はあまり良くなかった。

誕生日のプレゼントが大幅に減ったのは

この曲のせいだったのか

人気が急降下したためだったのか。

おそらくはその両方であったのだろう。

 

メジャーから出した2枚目

「言えるもんなら言ってみな!」に収録されている。

このアルバムのレコーディングは

本当に辛い思い出が多い。

 

そんな苦い思いを胸に

このほろ苦いナンバーを歌います。

 

 

聖書を持ったストリッパー

「ちいさなちいさな石 大きな湖になげる」という

少々長ったらしいタイトルのソロアルバムをリリースしてから

早くも9年という月日が経った。

「10年が束で来る」という話は本当だった。

(「臨終コースター」の回を参照)

 

「カトケン人生弾き語り」で

ソロアルバムからはほとんど全部演ったと思っていたのだが

検索をかけてみたら

この曲はやっていたなかったようだ。

 

じゃあ演ろう

ということで演った。

 

おそらく20代前半で書いた作品で

とにかく勢いだけはある。

なにしろ「全部脱げ!」である。

 

その昔

「金曜日の妻たちへ」というドラマを

テレビでやっていた。(金妻と呼ばれていた)

その中で出てきたセリフ

「出ておいでよ、幸せの白い家から」

というのがあった。

世良公則が不倫相手の

篠ひろ子を後ろから抱きしめて

耳元で囁く。

(後で調べたら

金妻の続編で

「金曜日には花を買って」の一場面らしい)

 

この曲の歌詞の中で出てくる「白い家」は

このセリフから影響を受けている。

さあ急に下世話な感じになったところで

聴いてみてください。

「聖書を持ったストリッパー」

 

 

Brand New Color

「色」を主題にした曲を探している。

某大手広告代理店の知人が

当時言っていた。

 

さっそく僕は2曲書いた。

そのうちの一曲である。

化粧品のCMに使われることを想定して書いた。

「これ、どう?」と送ったが

なしのつぶてだった。

 

曲がりなりにも懸命に2曲書いて送ったのだから

「ちょっとイメージが違う」とか

適当な理由でも付けて断りの連絡くらいよこせよ。

そんな風に一時は思ったが

「そんなもんか」と受け入れた。

 

楽曲は手元に残った。

ポップでカラフルな感じで

けっこう気に入っていた。

いつか発表したいなと思ったまま

いつの間にかお蔵入りとなっていた。

 

というわけで

「色」テーマ2曲

この場「カトケン人生弾き語り」にて

発表させていただきます。

その1「Brand New Color」です。

 

The Clash風のポップな

ロックナンバーです。

 

 

マッチョマン

僕は打たれ弱い。

そんなこと公言して

威張ったりしてはいけないと思うが。

(別に威張ってないけど)

対して

打たれ強い人

何を言われても我が道を行く人

そんな人を僕は「精神的エリート」と呼んでいる。

 

心がマッチョなのだ。

そんな人に大きな憧れと

少しのアイロニーを込めて

この曲を作った。

 

精神的エリートに対する憧れは

そりゃもう大きなものがある。

でも、そうでない弱い人間にも僕は共感を感じる。

そして、そんな人の気持ちを歌っていきたいと僕は思っている。

 

現状や社会に対して

全く不満や憤りがない人は羨ましくはあるけど

あまり友達になれそうもない。

いろんなノイズをものともせず

自分がやりたいことに突っ走れる人は本当に素晴らしいと

心から思うけど..

 

その一方で

アウトサイドしている人こそ

新しい時代を作っているという面があると思う。

現在メインロードにいる人だって

もちろん新しい時代を作るポテンシャルを持っているだろう。

一方、メインロードから外れているからこそ

今までと違うものが作れるという可能性は小さくない。

 

話がだいぶとっちらかった。

 

肉体的にもマッチョマンに憧れるけど

精神的なマッチョマンにも憧れている。

そして彼らが作った日の当たる場所

メインロードからの疎外感を歌にしたとも言えるかもしれない。

 

「マッチョマン」

聴いてみてください。

 

 

スペシャルシート

昔こんなCMがあった。

ボクシングの試合をテレビで見ている主人公が

「何やってんだよ!もたもたしてねーでパンチ出せ!」

みたいなことを言う。

次の場面でその主人公はテレビの中の

リングの上に立っていて

敵の前にいる。

「だったらお前がやってみろよ」と言われ

生唾の後に缶コーヒーをぐぴっと飲む。

 

テレビの前でスポーツ観戦などしていると

思わず熱くなってしまって

「何やってんだよ!このボケ!」

なんて言ってしまうことはままある。

しかし「じゃあオマエやってみろよ」と言われたら

出来るわけもない。

 

それがまあスポーツ観戦というものなんだろうけど

現実の世界でも、そうやって高みの見物をしていることが多い。

本当は自分がやりたいことをやりもしない

何のチャレンジもしていないくせに

離れたところから文句を言ったり

上から目線で意見を言ったりする。

自分だったらまるで出来もしないことを言う。

それはけっこう楽しいしラクだ。

 

いつもそのスペシャルシートに座って

離れたところから

あーでもないこーでもないと

愚痴だけを言っていて

自分は何にもやっていない。

 

「自分自身も含めて、そんな輩ばっかりだな」

周りを見回した時そう感じて

この曲を書いた。

そういえば昔

「オレは加藤の生き方がうらやましいよ」と

超一流企業の先輩から言われたことがある。

ぼくは妙にカチンときて

「だったらやってみろよ」と言ってしまった。

その後その先輩は一度、起業したようだが

しばらくすると元の会社に戻っていた。

 

起業した時もしかすると

僕が言った「だったらやってみろよ」が

効いたのかもしれない、などと言ったら怒られそうだ。

しかし、起業できるっていうのもすごいけど

「戻れる」というのはもっとすごい。

人としての能力、魅力、そしてマネージメント力が

よっぽど優れていないと出来ない芸当であろう。

 

そういう僕も一度、古巣(大学の職員)に戻りたいと思って

「戻れませんか?」と訊いたことがある。

戻れなかった。

そう、僕にはもう戻るところなどない。

ちょっと意味が違うが

僕のスペシャルシートは削除されたのだ。

 

しかし世界を見渡せば

紛争だったり飢餓だったり

「まともな」生活を送れない人たちが

それはそれはたくさんいる。

僕はとりあえず3食ご飯が食べられるし

夜寒くて震えながら眠ることもない。

そういう意味では案外

十分なスペシャルなシートに

座っているのかもしれない。

 

 

原発アタック

この曲を書いたのはまだ 20世紀だった。(多分)

スリーマイルやチェルノブイリといった

原発事故の記憶から始まる。

もし在日米軍の戦闘機が原発に落ちたら

どうなっちゃうんだろう?。

そんな思いから曲が出来上がる。

 

21世紀に入って「アメリカ同時多発テロ」が発生する。

イスラムの過激派が突っ込んだのは

ニューヨークのツインタワーとペンタゴン。

ツインタワーに2機。ペンタゴンに1機。

もう1機はテロリストに奪われた操縦席の奪還を

試みた乗員と乗客により

どこかに「突っ込む」ことはなく墜落した。

生存者はいない。

 

ひどい事件だ。3,000人近い人たちが亡くなっている。

しかし、「突っ込む」場所がもし原発だったら

更にとんでもない事態になるだろう。

原爆が発明された時

「人類はついに人類が自殺する手段を手にしてしまった」

と誰かが言っていた。

原発は爆弾ではないが、その危険性は誰でも知っている。

この曲の歌詞は事実上4行のみである。

 

アメリカの戦闘機が原発に落ちた。

イスラムの過激派が原発に突っ込んだ。

気のふれた科学者が原発で吹っ飛んだ。

そりゃ大変だドッカーン!

 

どれも「ない」とは言えない。

「あってもおかしくない」話である。

ロシアのウクライナ侵攻でなお一層現実感が増している。

「そりゃ大変だ」と言う他人事では済まないことは

福島の原発事故を考えれば容易に想像できる。

海水をかぶっただけ?で、あの大惨事である。

 

この曲は僕のソロアルバム

「ちいさなちいきな石大きな湖になげる」に収録されている。

ちゃんとしたバージョン?も是非そちらで聴いてくださいね。

アマゾンでCDが買えます。

スポティファイやアマゾンプライムで聴くこともできます。

とりあえずは

ちょっと迫力不足な?弾き語りバージョンで

聴いてみてください。

「原発アタック」

 

 

根拠もないけど大丈夫

昔々、付き合っていた女の子に

「他のメンバー(バンドの)は持っていて

 あなただけ持っていないものがある。

 それは人にとって一番大切なもの」

と言われた。

 

それは一体何なんだ?

もちろん僕は訊いた。

しかし彼女は質問をはぐらかし

答えてくれなかった。

 

僕はしつこく訊き続けた。

3日後に彼女は教えてくれた。

「自信」と。

 

確かにそうだ。

人生で一番重要なものは

金でも力でもなく自信である。

 

僕は子供の頃

徹底的に自信を奪われた。

その傷は深く大人になっても治らなかった。

そうして

僕にとって人生とは

自信を取り戻す旅となった。

 

そもそも自信とは何だろう?

経済的に成功して自信を持つ人がいる。

何かのコンテストで優勝して自信を獲得する人がいる。

試験で1番になって自信を回復する人がいる。

はたまた銃を携帯することによって自信を手にする人もいる。

しかし、どれも自信の根拠になっているものを失えば

たちまち自信喪失である。

 

経済的に成功した人も

ある日破産するかもしれない。

コンテストで優勝した人も

それっきりでその後全く認められなくなってしまうかもしれない。

試験なんて次に受けたら全然ダメなんてことはしばしばだ。

銃なんて風呂に入っている時には役に立たない。

 

根拠のある自信はあてにならないのだ。

本当に強いのは根拠のない自信である。

「僕は何があっても大丈夫だ」という自信。

それこそが困難な人生を生きていく

最も強力な武器だ。

 

ああ、それが僕にあったら

と思うと同時に

そんなおめでたい奴とは

たぶん友達になれないかも

という斜めな視線も込めて

この曲を送ります。

「根拠もないけど大丈夫」

 

 

臨終コースター

以前この「カトケン弾き語り」チャンネルで

発表した「Let’s Party Rock」という歌がある。

その中で

 

時間は逆に流れない

だんだんスピードアップするぜ

 

というクダリがある。

 

子供の頃は1日が長かったのに

今や毎日が飛ぶように通り過ぎていく。

 

尊敬する大先輩のバンドマンが

「カトケン、50歳過ぎたら10年が束で過ぎてくぜ」

と教えてくれた。

彼は還暦のお祝いに自分に革ジャンを買った。

「赤じゃあんまり「そのまんま」だから青にした」

とちょっと照れながら言っていた。

 

知人の身内が脳卒中で倒れた。

意識が戻らない。

戻ったとしても半身に麻痺が残るだろうと言われたという。

まだ51歳だ。

 

同じ時期にデビューした

CHU-DOKUのマコちゃんは早々に亡くなってしまった。

一緒に「KMO」というバンドをやったりして

時に楽しい時間を共有し

またバンドマンとして戦い続けた戦友でもあった。

 

僕の弟のバンド「中国釣具店」でベースを弾いていた

カズオさんは30そこそこで逝ってしまった。

 

二人とも癌だった。

 

そういえばストラマーズの岩田も52歳でこの世を去った。

ブッチャーズの…

キリがないな。

 

とにかく僕らは「臨終コースター」の乗っているわけだ。

しかも僕は多分ゴール手前だ。

やりたいこと、やるべきことは

迷いなくやった方がいいだろう。

 

このスーパースピードの乗り物から

降りることは許されていないのだから。

 

営利主義

おそらく一番初めに作ったデモテープの1曲目のナンパーである。

高校1年。

パンクの洗礼を受けたばかりの僕が

「洗礼」のきっかけを作ったバンドメイトのカツジとともに書いた曲だ。

歌詞をカツジ、曲を僕が書いた。

「青さ」というよりも「幼さ」すら感じるが

それでも初期衝動の「かっこよさ」がある?!

Aメロの転調っぷりも斬新だ。

 

この曲を最初に演奏したバンドは「EXTACY」(エクスタシー)という名で

高校時代に力を注いでいた。

ベースがカツジで僕がボーカル&ギターだった。

ほかにギタリストとドラマーがいたが

彼らはもうバンドマンではないと思うのでここでは割愛する。

 

カツジとはその後「一般死民」というバンドを結成。

5曲入りのソノシートを発表した。

その時作ったレーベルが「死民レーベル」である。

残念ながら、このソノシートには「営利主義」収録されなかった。

なので、音源がない。

無数にあるカセットのデモテープの中から

この曲を探すのは容易ではなかった。

一度はあきらめて、全く覚えてなかった2番の歌詞は

「今から考えるか?」というところまでいった。

しかし、幸いにもこの曲が入った古〜いカセットテープを発見。

無事「テープおこし」をすることが出来た。

 

この曲はEXTACYというバンドにとっては馴染みのナンバーで

しばしば演奏した。

一般死民になってからもそれは続いた。

特に印象に残っているステージと言えば歌舞伎町のホストクラブであろう。

店の名前はもう忘れてしまったが

伏見直樹という伝説のホストに誘われて出演したのだ。

 

ライブハウスに置いてあったフライヤーが気に入ったのか

突然全く無名であった「一般死民」に

伏見氏本人から直々に出演依頼が来た。

「なんで俺たちがホストクラブで?」と思ったが

ギャラも払ってくれるということで承諾した。

 

実際に店に行ってみると、それはもう全く場違いで

どんな顔をして演奏すりゃいいんだ?とは思ったが

そこは「俺たちパンクスなんだから、これでいいいんだ!」と

「営利主義」を熱唱(下記YouTube映像の歌詞カードに注目)

若いホストやお客さんはただただ呆気にとられていた。

「もう懲りただろう?」と思ったら伏見氏は

もうワンステージやってくれと言う。

 

「まじか?」

 

もうワンステージやった。

他のことは覚えてないけど。

ホストクラブで「営利主義」を叫ぶ!という何ともシュールな図であった。

 

 

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