カトケンの部屋 -2ページ目

卒業証書をあげよう

かつてバブルのころ

「マハラジャ」というディスコができて

その後、その継承者とも言うべき

「ジュリアナ東京」という

オオバコのディスコが登場した。

 

そこではお立ち台にのった

ボディコン・ミニスカの女の子たちが

ジュリセンといわれる

派手なケバケバした扇子を振り回しながら

テクノハウスで狂喜乱舞していた。

 

派手好きの僕としては

その文化も嫌いではなかった。

でも、それは一時期のお祭りで

みんな卒業していった。

 

「さらば青春の光」という映画がある。

60年代、モッズファッションに身を包んだ不良たちの

青春の物語だ。

さんざっぱらヤンチャをしていた奴らも

ある時期が来るとみんな普通に就職して家庭を持って

幸せに暮らしていく

そしてまた、その子供も同じようになっていく。

 

それは人の道だから

それでいいのかもしれない。

しかし、これはまた別の映画「すじぼり」の中のセリフだが

そんなサイクルを

「まるで牧場みたい」と登場人物が言っていた。

 

さすると

さしずめ僕はその牧場から逃げ出した羊かもしれない。

牧場ではエサがちゃんと与えられる。

しかし、そこから飛び出したら

エサは自分で見つけるしかない。

いつ襲われるかわからない。

 

だから、ある程度の年齢になったら

卒業証書をもらって

青春を卒業するべきなのかもしれない。

立派な大人になるために。

 

 

健康一番

実は健康な人は健康に興味がない。

僕は小さい頃から病気ばかりしていた。

だから人一倍健康に興味はある。

 

しかし

いわゆる健康マニアという人はちょっと苦手。

健康情報を常にチェックして

健康のトレンドを取り入れ続ける。

 

そもそも健康とは

人生をよりよくするための土台ではあるが

健康それ自体が目的になっては本末転倒な気がする。

 

単一ダイエットなど

極端な情報に惑わされたり

健康のために時間、労力、お金をかけすぎて

肝心の人生を失ってしまっては元も子もない。

 

何か一つのことに集中できるということは良いことだと思う。

でも、あまりに集中しすぎて周りが見えなくなったり

目標を追求するあまり冷静さを欠いてしまうのは

少し危険かもしれない。

 

エベレストなどに挑戦する人が

頂上を攻略するという目標に固執するあまり

客観的な判断が出来なくなり

生還できないということが多々あるようだ。

 

話はやや脱線気味だが

当時の健康マニアの極端ぶりを

アイロニーを込めて歌った

3の線のヘビーナンバーである。

 

では聴いてみてください。

「健康一番」

 

 

おいしくなくっちゃダメ

小室哲哉

一時期、トップ10の半分以上が小室の曲

そんな時代があった。

 

小林武史

ミスチルをメガバンドに押し上げ

サザンオールスターズやMy Little Loverなど

数多くのアーティストのプロデュースを手がける。

 

二人ともイニシャルはT.K.である。

 

僕は本名を加藤健と書いて

カトウタケシと読む。

イニシャルはT.K.である。

 

「3人目のT.K.」そんな呼び名を付けてくれたのは

当時マネージメントをお願いしていたTさんだ。

 

ロック界にあっては

奥田民生がパフィーを手がけた。

 

そんな流れにあやかって

女の子二人組をプロデュースしてはどうか?

ということになり

「Super Milk」というユニットを始動させたことがある。

 

結局デモを何曲か録っただけで

終わってしまったのであるが

楽曲は僕の手元に残った。

そのうちの1曲である。

 

グルメブームを取り込む形で書いたこの曲。

2番の歌詞ではゴミ問題に言及している。

 

今でこそ有料の指定ゴミ袋に入れないと

ゴミを回収してくれないというシステムが定着したが

当時はどうやってゴミに課金するか?

という議論があった。

 

その時、僕は思ったのである。

「金払ってゴミ捨てる奴っているの?」である。

 

当時、空き缶を大量に集めている

ホームレスと思しき人をよく目にしていた。

空き缶を持ってきたら「お金をあげる」という

システムがあったから集めるのである。

 

お金をもらえるから

一生懸命空き缶を集めるのである。

生ゴミを持ってきてもお金をあげる

というのは難しそうだが

空き缶や空き瓶、それにペットボトルには

最初から10円くらい乗せておけばいいのではないか?

そうすれば

道端や中央分離帯に空き缶が落ちている

なんてことはなくなると思うのだけれど。

 

だって10円が落ちているのと

同じことになるわけだから。

拾えば「ちょっとおいしい」

10個拾えば100円だ。

昨今100円が落ちていることなど

まずないだろう。

今現在、実際に運用となったら

PayPayのポイントで還元とかになりそうだけど!?

 

 

何を信じて

大学生1年生の時

「一般死民」というバンドを組んだ。

ソノシートを1枚リリースした。

今思うと

このバンドは「解散」という区切りを

つけたことを覚えていない。

ここのところ本格的にいろいろなことを忘れまくっているので

ただ単に僕が忘れているだけかもしれないが。

 

大学4年生の時

「一般死民えび」というバンドを組んだ。

後に、このバンドが「えび」という名前になる。

えびはカセットテープを何本かリリースした。

最初に発表したのが

「きいてみそ」である。

 

A面 日本人

   さわらぬ神にたたりなし

B面 ニューニヒリズム

          Batman

     (信じてつくして)

の5曲入りであった。

 

なんで最後の曲にかっこがついているかと言うと

タイトルがなんだったか覚えていないのだ。

当時、ダブルカセットのデッキを使って

ダビングして製品を制作していた。

その時に使っていたであろう元テープはあるのだが

タイトルの記入がどこにもない。

 

この音源、このままだとなくなっちゃいそうだな、と

カセットからパソコンに入れた時は

なんと間違ったタイトル

「そうさLove Is Forever」と書いてあった。

 

逆に「そうさLove Is Forever」の音源はどこにもない。

デモテープですらいくら探してもなかった。

さらには歌詞も見つからない。

出だしとサビだけはかろうじて覚えているが

このままだと、この曲は永遠に失われてしまう。

けっこうお気に入りのナンバーだったので

残念でならない。

 

タイトルはおぼつかなくても

音源があったのが不幸中の幸い。

歌うことは出来る。

というわけで

今回は多分、いや仮タイトル?

「信じてつくして」

聴いてみてください。

 

という原稿を書いたのは

実はだいぶ前なんだけど

おそらくタイトルは「何を信じて」だったと

記憶が蘇ってきたので、これに置き換えました。

映像のラストでも「信じてつくして」と言ってますが…

 

 

旅の理由

個人的な内容極まれり、という感じである。

社会派のバンドマンとして生きてきたが

ラブソングを除けば一番反対側にある歌だ。

 

個人的な歌詞こそ、そこに共感が生まれ

社会性を持つことになる。

そしてそこに内包されたメッセージが

社会を変えていくパワーを持っているのだ。

 

そんなことを今いっしょに

VaaVLというバンドをやっているメンバーが言っていた。

 

そんなわけで

最近VaaVLで取り上げるナンバーは

僕の十八番(おはこ)であるところの社会派のものより

こういった個人的ナンバーがメインになりつつある。

 

「三つ子の魂百まで」という言葉があるが

子供の頃に植え付けられた価値観やコンプレックスは

大人になってもなかなか払拭できない。

心理学的なアプローチや哲学的な方法を探ってみたが

どれも目に見える効果はなかった。

 

以前この「カトケン人生弾き語り」で

「根拠もないけど大丈夫」という曲を発表したが

人生において一番大切なものは「自信」であると思う。

そしてその自信の根拠が

「お金」だったり「実績」だったりすれば

それらがなくなってしまったら自信は消滅してしまう。

 

「根拠のない自信」こそが

困難な人生を乗り切っていくための最重要事項であり

これがなければ未来の展望は非常に不安定なものになる。

 

そして、その自信を取り戻すことこそ

僕にとって「人生のテーマ」となったわけだ。

それこそが「幸福へのパスポート」である。

そんなふうにすら思うのだが

皆さんはどう考えるのだろうか?

 

ウンチクはこのへんにして

まあ聴いてみてください。

曲調は極めてポップ。

フルバージョンはちょっと

ビッグビートぽい感じでもあります。

「旅の理由」

 

 

ナイアガラ

お金というのは

そもそも概念に過ぎない。

以前は「お札」がお金のメインだったわけで

この紙切れが「お金」と思っていた。

しかし昨今、あまりこの紙切れを使わなくなった。

そもそも概念であり

数字のやり取りなのだから

「紙いらないんじゃない?」となったわけだ。

 

しかし、お金というのは

概念としては「存在」しているわけで

この数字が安定していればいいが

いざ暴れだすと大変なことになる。

その最もわかりやすい例がインフレである。

しかもこれに「ハイパー」がつくと

想像を絶する事態になる。

 

昔、アルゼンチンでこれが発生した。

昨日まで100円で買えていたものが

今日は1000円出さないと買えない。

そんな現象が起こったのだ。

 

安全で安心な社会というのは

治安が安定していることはもちろんだ。

一方、経済も安定していないと

社会が混乱し

失業者や犯罪者を生み出し

結果、治安が悪くなるということになってしまう。

 

ロシアが侵略戦争を始めてから

世界は安定感を欠き始めた。

エネルギーをはじめ

食料や資材など流通は大きく変わり、滞り

コロナで疲弊した世界の傷口に塩をぬった。

 

1ドル100円余りだった「円」は

160円を超える勢いだ。

だいぶ前だけど

円は一時80円近くまで上がっている。

そこから考えると円の価値が半分くらいまで

下がってしまったことになる。

 

「もう気軽に海外に行けないなあ」

そんなことをぼやいている僕自身に苦笑してしまう。

ウクライナに続き

ガザで凄まじい惨状が起きているというのに..

 

今のところ

日本は平和である。

ゆっくりおだやかな流れを進む舟のごときである。

しかし、流れは次第に早くなっている。

この川の先にナイアガラの滝が待っているかもしれない。

滝の直前でそれに気づいたところで間に合わない。

滝つぼへ真っ逆さまに落ちていく。

 

我々庶民のところに

重要な情報が来るのは

いちばん最後である。

でも「みんなで落ちれば怖くない」のだろうか?

 

 

横須賀ボー

僕は世田谷区で生まれたのだが

その頃の記憶はまるでない。

ものごころついた時には

立川基地のそばに住んでいた。

 

小さい頃、立川の街では

足を失った帰還兵らしき人が

アコーディオンを弾きながら物乞いをしていた。

いや、今の感覚で言えば

ストリートミュージシャンなのかもしれない。

しかし、白装束で地べたに座り

おどろおどろしい文字の紙をかかげて

暗い曲を演奏する片足のない人は

幼い僕にとってホラーであった。

 

北口と南口をつなぐ地下道は

耐え難い悪臭を放っていた。

「赤線」のなごりのある地域は

派手で蓮っ葉な女の人や

一目でヤクザとわかる

おっかない男の人がたくさんいた。

 

おいそれと近づくと2度と帰って来られない

恐ろしい場所だと感じていた。

 

立川基地は1977年に日本に返還され

今は昭和記念公園などになっている。

 

高校生になってバイクの免許をとり

横田基地に行った。

バイクでちょっと出かけるには

ちょうどよい近さだった。

まあ、行ったと言っても中に入れるわけではない。

なにしろ中の住所はロサンゼルスである。

 

基地の周りは米軍相手の店を中心にして

独特の雰囲気を持っていた。

そしてその雰囲気に憧れた。

「スローなブギにしてくれ」という映画にも影響され

米軍ハウスやその中にある家具にも

憧れを持った。

 

横須賀にも米軍基地がある。

黒人兵が多いイメージがあるが

実際にはどうなのだろう?

「サーカス」というクラブがあって(場所は横浜?)

黒人と彼ら目当ての日本人ギャルが集まっていた。(らしい)

そんな黒人好きの女の子のことを

「横須賀ボー」と言っていたようである。

それをただ歌にした。

シンプルにしてストレートなナンバーである。

 

こんな歌も時にはいいんじゃない?

よかったら聴いてみてくださいね!

 

 

ワーキングサークル

「働き方改革」とは無縁のバブル期。

「24時間戦えますか?」というキャッチコピーがあった。

 

膨大な量の仕事を依頼された下請け業者の担当が

「こんなに出来るわけないじゃないですか!

死んじゃいますよ!」と

真っ黒なクマを蓄えて充血した目に涙をためながらうったえる。

しかし依頼した方の担当は

「まあそう言わないで、なんとかがんばってよ」と

肩をもみもみしながら言っていた。

 

「仕事がなくて倒産」というのはごく自然?だが

「仕事がありすぎて倒産」という

一見わけのわからない事態が発生する時代であった。

 

そんな時期が過ぎ、日本は長い不景気に入る。

仕事があるだけラッキーじゃねえかという感じになり

低賃金で一時雇用みたいな人々があふれる。

「派遣切り」「派遣村」という言葉が飛び交う。

時は進み、たいして景気は好転しないまま

コロナ禍に突入。

 

またもや仕事は減り失業者が増える。

コロナがやっと落ち着いたと思ったら

今度は円安とそれに伴う物価高で

所得は目減りし生活はまた苦しい。

 

仕事というのは

ある時には「精神安定剤」にもなる。

例えば失恋した時など

「仕事に行かなきゃいけない」という状況が

無理矢理「ひきこもり」状態の人を

社会へと引っ張り出す。

 

しかし一方

仕事による「忙しさ」は本来必要な「思考」を奪う。

「忙」という字は「心をなくす」と読める。

仕事漬けの毎日は感情を失い人間性を薄める。

立ち止まって考えることができなくなり

何も感じず何も考えないロボットが出来上がる。

 

「勤勉」と言われる日本人は案外この状態を

「ここちよい」と感じる人が多いようだ。

しかし、それは「思考」を奪われた太平洋戦争のころを

連想させる。

 

「ワーキング・サークル」

ぜひ聴いてみてください。

 

 

あ〜んHappy Birthday

この曲を作った当時

おそらく1992年くらい

(うわ!もう30年以上前か)

「若い方が偉い」みたいな文化があった。

 

「女子高生が人類のトップ」的な

今考えるとちょっとイビツな価値観が横行していた。

まあ現在でも「若さ偏重」の風潮というのはあると思う。

さすれば「年を取りたくない」と考えるのは当然と言える。

 

一休さんの話を出すまでもなく

年をとることは一歩死に近づくことだ。

子供を別にすれば

だんだん衰えていくことは否めない。

 

で、この曲である。

誕生日はめでたいとパーティなんか開いちゃったりするが

「年を取りたくない」という観点から見れば

最悪な日である。

そんなリアルを歌ったつもりであった。

 

今聴くとちょっと稚拙であったところもあり

評判はあまり良くなかった。

誕生日のプレゼントが大幅に減ったのは

この曲のせいだったのか

人気が急降下したためだったのか。

おそらくはその両方であったのだろう。

 

メジャーから出した2枚目

「言えるもんなら言ってみな!」に収録されている。

このアルバムのレコーディングは

本当に辛い思い出が多い。

 

そんな苦い思いを胸に

このほろ苦いナンバーを歌います。

 

 

聖書を持ったストリッパー

「ちいさなちいさな石 大きな湖になげる」という

少々長ったらしいタイトルのソロアルバムをリリースしてから

早くも9年という月日が経った。

「10年が束で来る」という話は本当だった。

(「臨終コースター」の回を参照)

 

「カトケン人生弾き語り」で

ソロアルバムからはほとんど全部演ったと思っていたのだが

検索をかけてみたら

この曲はやっていたなかったようだ。

 

じゃあ演ろう

ということで演った。

 

おそらく20代前半で書いた作品で

とにかく勢いだけはある。

なにしろ「全部脱げ!」である。

 

その昔

「金曜日の妻たちへ」というドラマを

テレビでやっていた。(金妻と呼ばれていた)

その中で出てきたセリフ

「出ておいでよ、幸せの白い家から」

というのがあった。

世良公則が不倫相手の

篠ひろ子を後ろから抱きしめて

耳元で囁く。

(後で調べたら

金妻の続編で

「金曜日には花を買って」の一場面らしい)

 

この曲の歌詞の中で出てくる「白い家」は

このセリフから影響を受けている。

さあ急に下世話な感じになったところで

聴いてみてください。

「聖書を持ったストリッパー」