カトケンの部屋 -5ページ目

エコノミー

コロナになる前は
時々海外旅行に出かけていた。
行ける時は(時間的に、また経済的に)
年に一回くらいのタームで。

コロナになって全く行けなくなったが
最近やっと「そろそろ海外でも..」
という感じになってきた。
しかし、円安・物価高で
庶民(貧民?)がおいそれと
行けるような状況ではなくなった。

初めての海外旅行が大学生の時。
それから35年の年月が経った。
その間にアジア、ヨーロッパ、アメリカ

そしてちょっとアフリカと
様々な国と地域を巡った。

ひょんなきっかけから
お金を払うこともなく
ビジネスクラスに乗ったことが一度だけある。
しかし、その一回を除いて
すべてエコノミークラスである。

エコノミークラスでは
だいたい飛行機に積める荷物の重さは20㎏までだったと思う。
それを超えると追加料金ということになる。
日本だったら
荷物を減らすか、料金を払うかということになる。

まあ多くの先進国は同様だと思うが
そうでもない国は
係員に袖の下をに渡せば
あっさり見逃してくれることも少なくないようだ。

2回行ったある国では
交通違反で捕まっても
そっと警官ににぎらせれば
無罪放免になるときいた。
それどころか警官は小遣い稼ぎのために
交通違反で捕まえているそうだ。
そうして小銭を稼がないと
生活できないとまで言っていた。

無差別殺人を日々強行する犯罪国家であっても
21世紀となった今でも
暴力でまたは恐喝で領土拡大を図ろうとするチンピラ国家であっても
利益が絡めば話は別。
商売はまた別。

Rはあまりにも非道なためにわかりやすいし
Nはマンガかお笑いのごときである。
しかし、一番ヤバい思うのは
世界第2位の経済大国C。
国家レベルで暴力団的威嚇を仕掛ける。

僕は小さく不買運動をしているのだが
ほとんどの製品がC製?という現状。
どうやっても逃れられない。
この前はどうしても欲しい服がC製。
一度あきらめて帰ったが
次の日、改めて来店して購入してしまった。
(意志弱すぎ!)

話は更に飛ぶが
南極の永久凍土のメタンガスが噴き出し始めたという。
温室効果はフロンガスの30倍と言われている。
「いつまで経ってもエコノミー」では
人類滅亡の日も近し
と思ってしまう。

ずいぶん支離滅裂な文章になってしまった。
歌もそれに負けない分裂っぷり?ですが
メッセージははっきりしたミクスチャーナンバーです。
「エコノミー」

 

 

ジャメリカンピープル

高校1年でパンクの洗礼を受けた。
ロンドンパンク・ニューヨークパンクに酔いしれた。
20代半ばになって
視線はカリフォルニアに向かった。
カリフォルニアパンク・ミクスチャーロックにハマった。
その延長線上でヒップホップにも
かなり影響を受けた。
特にスヌープ・ドッグにはしびれまくった。
彼のファーストアルバム「Doggystyle」は
僕にとって今でもヒップホップのアルバム
ナンバーワンだ。

1950~60年代のアメリカは
豊かさの象徴だった。
その後
ベトナム戦争があったり
東西冷戦があったりで
もちろん浮き沈みはあった。

それでも21世紀を迎えるに当たっても
やはりアメリカは世界のトップに君臨する
憧れの国であった。
音楽や文化にしても
最も強力な発信源であり中心地である。

ソ連が崩壊し
1強と化したアメリカは当時(21世紀前夜)
向かうところ敵なしといった感じだった。
「シブカジ」などと言われた
日本の若者たちもこぞってアメリカ文化を取り入れた。
かく言う僕も、あの頃ずいぶん影響を受けていた。

ロンドンパンクのファッションスタイルを捨て
カリフォルニアのファッションに身を包んだ。
ダボっとしたTシャツやネルシャツ。
短パンや太めのジーンズ。
しかしまあ、どっちにしても
外国文化のコピーに過ぎないわけだが...

でも、いくらマネをしても
やっぱりアメリカ人にはなれないわけで
醤油のにおいがするのである。
さしずめ「ジャメリカン」である。
そんな状況に自嘲の念も込めて書いた曲である。
「ジャメリカンピープル」
聴いてみてください。

 

 

心の去勢伝説

名プロデューサーとかアレンジャーと言われる人は

ベーシストであることが多い。

 

ベースとドラムは「リズム帯」と呼ばれるが

ベースはメロディ楽器でもある。

打楽器であるドラムとギターや歌などウワモノを結びつける

橋渡し役とも言える立場。

それがベースである。

 

打楽器サイドとウワモノサイド

両方を見渡し調整していく。

だから、プロデュースやアレンジの仕事に

つながっていくのだろう。

野球で言えばキャッチャーのような存在で

全体をよく見てバランス良く指示を出す。

そんな役割なのかもしれない。

 

しばしばこのプログで登場するベーシストのグッチ。

REBEL BLUE をいっしょにやっていたころは

血気盛んでケンカっぱやく無茶苦茶なところも多かったが

こと音楽に関しては名プロデューサーでありアレンジャーであった。

 

オーソドックスなアレンジで作られた僕のデモテープの曲たちを

次々と新新なアイディアで変身させた。

ある曲はモダンなサウンドになり

ある曲はミクスチャーに寄り

ある曲は荒々しいハードコアなナンバーに変化した。

 

この「心の去勢伝説」も彼の手にかかって生まれ変わった曲の一つである。

悪く言えば普通の曲だったのが

スラップベースバリバリのスリリングなナンバーとなった。

当時、ライプの最後の曲として採用することも多く

なかなか盛り上がるイケイケナンバーとなった。

今回は弾き語りなので、あまり「イケイケ感」はないが

あの頃のライブシーンを思い出しながら歌った。

 

思えば遠くへ来たもんだ。

でもまだ僕は歩き続ける。

どうぞ聴いてみてください。

 

 

NGパーソン

1冊だけ本を出したことがある。

それも自主出版ではなく

「死ぬまでに行きたい!世界の絶景」などで有名な

三才ブックスから出版していただいた。

 

「新しい神様」という映画を土屋豊監督が撮った。

その主題歌を僕のバンド REBEL BLUE が担当していた。

というよりも「新しい神様」という曲が先にあったのだが…

そのドキュメンタリー映画の主人公が雨宮処凛さんだ。

いまではすっかり作家として文化人として有名になってしまったが

もともとはここが出発点だった。

「ミニスカ右翼」などと言われ写真週刊誌などに取り上げられた。

 

5年にわたり「ひきこもり生活」をしていた青年がいた。

彼は雨宮さんに刺歌を受け、彼女に会うためにひきこもりから脱した。

彼のことを本にした。

それが「天国だったけど〜6畳王子マモルの1825日〜」である。

本の出版記念を新宿JAM で行った。

その時のテーマソング的なナンバーは、以前アップした「憂鬱ダイバー」という曲だった。

今回撮った「NG パーソン」は、挿入歌的なものだ。

この曲は今「生きづらい」人に対する応援歌とも言える前向きなナンバーだ。

会場では、この曲がループで流れていた。

 

新しい時代を築く人は、その前までの価値観に照らし合わせると

「NG」であることが多々ある。

控えめに言って「変わり者」「変人」、悪く言えば「社会不適合者」である。

現時点で優等生であり「いい子」である人にとって

現状をぶっ壊して、見たこともないものを作ることはなかなか難しい。

だから、今ずれている奴は、次の世界を作る人間なのだ。

そんなメッセージがこの曲には込められている。

 

僕も一人の「NG パーソン」として、残り少ない人生を全力で走り抜けたい。

どうぞ聴いてみてください。

「NG パーソン」

 

 

Brand New Bible

20代のころ、よく京都に行っていた。

友人のところへ泊めてもらい、神社仏閣を巡った。

名のあるところはほとんど見たと思う。

寂光院も火事になる前に訪ねている。

もちろん三千院と合わせて行っているが

京都の中心部からだいぶ離れていて

暑い季節だったこともあり、到着するころには

疲れ切っていたことを覚えている。

 

何年かかけて見てまわった京都。

最後に行ったのは鞍馬山だった。

京都の観光地図を見ていて真北に位置するところだけ

全く行ったことのないエリアだった。

他の場所も同様だが、平日をねらって行った。

もちろん理由は空いているからだ。

 

「山」というだけあって、当たり前だが「山道」だ。

天気も悪くない。

「終点」まで歩くと1時間かかる。

一人でとぼとぼ歩く。

前にも後ろにも誰もいない。

僕はだんだん怖くなってきた。

本当に天狗が出てきそうだ。

ここで天狗に捕まって殺されると

現世的には「心臓麻痺」とか言うことになるのだろう。

そんなことを考えながら

それでも歩を進めた。

 

向こうから人が歩いてくる。

二人連れだ。

すれ違いざまに「こんにちは」とあいさつをした。

向こうも「こんにちは」と返してくれた。

僕は少しほっとした。

しかし、次の瞬間。

振り返るとその二人がきつねになって追って来るのでは?

という思いに囚われる。

恐る恐る振り返る。

もう二人の姿はなかった。

 

山道の両側はかなり背の高い草が生えている。

足元は黄土色の土だ。

少し開けた場所に出る。

空が高い。

よく晴れているのに、なぜか暗くなってきている気がする。

全身に鳥肌が立った。

もう元の世界には戻れない、そんな気がした。

まだ見ていないスポットが残っていたが

あまりの怖さに僕はそこで道を引き返した。

 

さて、なんでこんな話になってしまったかというと「京都で神社仏閣巡り」である。

僕はその頃、クロスのペンダントをしていた。

言うまでもなく、キリスト教の象徴だ。

特に信仰している宗教もなく、こだわりもない僕が

ファッションで身に着けていた。

 

世界で起こる戦争や紛争。

かなりの部分が宗教がらみである。

信仰心の厚い人たちが殺しあうより

信仰心のない人たちが助けあう世界の方がいい気がするのは

僕に信仰心がないからだろうが

「Bland New Bible」は案外そんなところに、ころがっているかもしれない。

 

 

メルトダウン

1999年にリリースした
REBEL BLUEのアルバム
「POP AGITATION」に収められた1曲。

スリーマイル
チェルノブイリ
地震大国である日本の原発。
そして狂ったリーダーの
原発への攻撃。

僕たちは常にメルトダウンの恐怖に
さらされているという事実。
それを歌にした。

アルバムリリースから10年以上経って
東日本大震災が発生。
憂慮は現実のものとなった。
そして今度は
上記二つ目の事態が間近に迫ってきた。
狂ったリーダーによる
原発への攻撃という凶行が
現実味をおびてきた。

地球は間もなく
人類が生存できない星になろうとしている時に
殺戮による恐怖で
広大な土地を強奪しようとしている。

今の人類が滅亡して
我々の「遺跡」が発掘され
その史実を知った未来の高等生物は
あまりの愚かさにあきれかえるであろう。

「原子力 明るい未来の エネルギー」
福島県双葉郡双葉町の看板に記されていた
原子力の標語である。
しかし、実際には明るい未来を奪うエネルギーであることを
我々は思い知った。
だったら方向転換すればいいと思う。

間違えないに越したことはないが
間違えたら正すことはもっと大事だ。

「過ちは繰り返しませぬから」
言うまでもなく
ヒロシマの原爆記念碑に刻まれている言葉である。

「怒りこそ パンクロックの エネルギー」
と言われているが?
最近年のせいか?
怒りを通り越して、あきれ果ててしまう。

小学生、いや、幼稚園生ですらわかることがわからない
大国のリーダー。
それを選ぶ国民。

おっと話が大幅にそれてしまった。
曲の方は「メルトダウン」
ファンクでラップ?なナンバー。
弾き語りに落とし込むのは
困難を極めました。

めげずにチャレンジしてみました。
聴いてみてください。

 

 

CLUB MAYBE

ブリリアントグリーン(ブリグリ)というユニットが
この曲を書いた頃すごく流行っていた。
こんな雰囲気の曲を書きたいなあと手をつけ
出来上がったのがこのナンバーである。

おそらく前出の「リセット」を書いたころに近く
当時の若者文化からの影響が大きい。
リセットとは音楽的にはだいぶ違うけど。

今は流行りの楽曲を聴こうと思えば
サブスクやらYouTubeがあるし
コード進行をチェックしようとすれば
大体ネット上に転がっている。

でも当時はCDかラジオで音楽を聴いたし
コード進行をチェックするには
いわゆる歌本を買う必要があった。
だから時々歌本を買っていた。
鍵盤で作った曲のコードは
とても複雑なことが多く

コード音痴だった僕には

ハードルが高いものも多かったが...
実際には今でもそうだけど
基本は「耳コピ」だった。

それでもって
ブリグリを研究したのか?というと
そんなことをした思い出はなく
数曲コピーした程度だった。
何か他のアーティストから取り入れる時は
ドップリにならないよう気を付けている。
「同じ」になったり「パクリ」になっては困る。
エッセンスをちょっと拝借することが目的で
同じようなものを作るのでは本末転倒である。

オリジナリティを高める
もしくはオリジナルの幅を広げるために
新しいエッセンスを取り入れるのである。
「パクリ」になったら
オリジナリティにとって致命的である。

歌の内容はと言えば
おそらくブリグリとは全く違って
日常の薄いブルーの中に潜む
濃いブルーを歌っている。
当時、バンドのキャッチコピーとして使っていた
「現代のブルース」と言ったところか。
そういえばバンド名も「レベルブルー」だった。

 

 

楽しい敗残者

高校3年生の時

大学を何校か受験した。

全部落ちた。

浪人した。

猛勉強した。

翌年、大学に受かった。

 

大学4年の時

当時やっていたバンドで、テレビに出た。

人気が出た。

大学の事務の仕事をしながら2年間

デビューの話を断りながら、パンド活動を続けた。

今思うと幸せな2年間だった。

 

2年が経ち

諸事情あってデビューすることになった。

うまくいかなかった。

デビューしてから2年、もはやバンドで食えなくなった。

そのパンドは僕の知らないところで、解散が決まっていた。

 

その後メンバーとは疎遠になったが

それぞれ進路変更して、まずまずの人生を送っているようだ。

僕はと言えば

進路変更せずにそのまま崖に向かって突っ込んだ。

人生の敗者へと転落した。

徹底的に落ち込んだ。

 

ある時、遊びのない人生に問題があると考えた。

音楽活動は続けながらも

海に山に繰り出し、美しい夕日をあちこちで見た。

周りを見れば、その落差を感じ

へこむこともあったが、

同じ敗残者なら「楽しい敗残者」になろうと思った。

 

そんなことを考えていた三十路のころ

書いたナンバーです。

「楽しい敗残者」

聴いてみてください。

 

 

 

新バンド猛烈な産声を上げる

去る7月16日(日)

都内某所にて

大学時代、所属していた音楽サークルのイベントが行われた。

僕が大学を卒業してから、気づけば30年を超えている!

それなのに?僕より少し上の先輩、下の後輩と

OB、OGがけっこう集まった。

 

10年余り前から毎年行われていたのだが

コロナ禍で3年ほどリアル開催が出来なかった。

やっと集まれたことに感動しながら

次々にステージに上がるバンドを観ていた。

 

そうこうしているうちに

8番目にエントリーしていた自分のバンドの出番が来た。

この日初めて人前で演奏する新バンド「Brain5」である。

 

「カトケン人生弾き語り」でコラボしている鍵盤のAkikoさん。

以前いっしょにやっていた幻のバンド「kiBisu」のリズム帯・砂山とちん。

(アッコちゃんとちんにはソロアルバムでもお世話になりました)

そしてコロナ前に声をかけていたけど、コロナ禍で立ち消えになっていた

ギターの好美ちゃん。

そして僕、という5人だから

とりあえず「なんとか5…う〜ん、ブレイン5とでもしとくか」

なんて仮で出しておいたら、結局そのまんまになっちゃったのでした。

 

で、初ライブ。

3曲だけだったけど

だいぶミスもしたけど

なかなかどうして良いライブになりました。

猛烈に熱かったです!(外も暑かったけど)

 

ライブ自体、ものすごく久しぶり。

というよりも家族と職場以外の人間に会うのが3年半ぶりくらいな感じ。

2次会で居酒屋に行ったけど、飲み屋に行くのも3年半ぶり。

それどころか外食自体ほぼしてなかったので

急にいろんなことがやってきて?疲れ切ってしまい

次の日は丸一日コンコンと眠り続けました。

 

話がそれました。

Brain5です。

 

10月14日(土)町田ナッティーズで行われる

MIGHTY BONE JACK復活記念ライブ

Brain5が出演することになりました。

れっちゃん、誘ってくれてありがとう!

そしてMIGHTY BONE JACK、20年ぶりの復活おめでとう!

すごく良いバンドだったので

また観られるのが僕もうれしいです!

 

まだ少し先ですが

ぜひ皆さん、今から予定に入れておいてくださいね。

詳細貼っておきます。

 

2023.10.14(土)

町田NUTTY'S『MIGHTY BONE JACKpre 新HxBxM vol,1』

 

-SHOW-

 

MIGHTY BONE JACK

NO ALL

tpo.

Brain5

WITHOUT SYSTEM

中村岳大

 

-DJ-

hsmadelta

(soundnutsstudio)

MOTOMMY

(hi-stone)

 

open17:00/17:30

 

ADV¥2000/

DOOR¥2500

(共に1D別¥600)

 

VIVA VIVA

SHAM69...
Oi-Punkのトップに君臨するバンドである。
労働者階級を代表する彼らは
コックニー訛り全開で熱いメッセージをぶちまける。
ライブでは大合唱となり
それはそれは大変な盛り上がりとなる。
が、その一方
ライブ会場での客同士の喧嘩が絶えなかった。
ボーカルのジミーパーシーは
演奏を止めて「喧嘩はやめろ!」と繰り返し
時には涙を流したとも伝えられている。

日本のパンクバンドとして
最もスタンダードとなったブルーハーツも
彼らからの影響が大きく
これ、まんまSHAM69じゃん!
みたいな曲もある。

さて、今回とりあげた
「VIVA VIVA」も
そんなSHAM69風なナンバーである。
えびのメジャー第1弾
「にくまれっこ世にはばかる」に収録されている。

ちょうどバブルの尻尾くらいの時期で
世間的な景気はまだまだ良かった。
しかし、その繁栄を未来永劫続くという感覚を持っている人は少なく
バブル景気の終息を予感している人の方が多かった気がする。
その肌感覚を歌にした。
のちに実際、バブルははじけたわけだが
この曲を書いた時はまだバブル成金が
似合わないブランド物を身に着けて
六本木を闊歩している時代だった。

えびとしては
この曲をライブでやったことは
たぶんないと思う。
メジャー1枚目にして
すでに迷走が始まっていたと言えるかもしれない。

というわけで
この企画「カトケン人生弾き語り」がなければ
2度と日の目を見ることもなかったであろうこの曲。
今日は当時に思いをはせつつ
またウイキペディアによると
2つに分裂してしまったSHAM69に
リスペクトを込めて歌います。
 

VIVA VIVA!