カトケンの部屋 -7ページ目

カラオケ

カラオケと言えば
いまや世界の「Karaoke」なわけで
老若男女、古今東西
みんな気軽にマイクをにぎっている。

しかし昔は
というのは僕が10代の頃までは
カラオケというのはオッサンがやるものだった。
店のママと「銀座の恋の物語」をデュエット
さもなければ演歌を歌うもの。
それが定番だった。

10代、というか高校生の時に
一度だけスナックというところに行ったことがある。
その時誰かが「ラブイズオーバー」を歌っていた。
なかなかいい曲だなと思った。
でも、もちろん僕は歌わなかった。
当時としては「オッサンがやるもの」だったからだ。

その後
女子高生がカラオケをやるようになり
一気にブームがおとずれ
それが世界に波及した。
彼女たちはイスの上に立ち上がって
アップテンポのナンバーを踊りながら歌った。
みんな盛り上がった。
さながらパーティだ。
それがカラオケを世界に広める原動力となったのだろう。

オッサンが「昭和枯れすすき」をしんみり歌っていたのでは
いまだに温泉地の場末のスナックのローカルレクリエーション
だったかもしれない。
しかも誰かが歌っていてもあまり聴いている人はいなくて
次に自分が何を歌うか選んでいたり
となりのおねえちゃんを口説いていたりするわけだ。
そんな光景を見て書いたのがこの曲「カラオケ」である。

イントロで浜村淳さんにしゃべってもらう
というのが当初の予定だったが
話がまとまらず
大木凡人さんにお願いすることとなった。
凡人さん、ありがとうございました。

オッサンの遊びだったカラオケは
若者の夜遊びの選択肢としても
トップランクとなった。
あの頃カラオケ派とクラブ派に分かれたが
当然?軍配はカラオケ派に上がった。
僕は当然?クラブ派だったけど...

クラブの話は別の機会にゆずるとして
とりあえず?今回は聴いてください。
歌はバッチリ入っていますが
タイトルは「カラオケ」です。

 

 

カエルの波のり

「井の中の蛙大海を知らず」
またまた「ことわざ君」の登場である。

「狭い見識にとらわれていること」を
大きな海を知らない井戸の中のカエルに例えて
言い表している。
というのが辞書的な解釈である。

カエルが実際に海に行ったら
塩分の浸透圧に耐えられず
死んでしまうじゃないか
という現実的な話は置いておいて
童話的、ないしは比喩的な意味においてのカエルが
大海に泳ぎ出た。
そんな童謡的な歌である。

狭くて暗い井戸に比べて
大きな海は
思う存分泳ぎ回れて
とても気持ちがいい。
さしずめ「およげ!たいやきくん」のごときである。

ウッヒョー!とは言えないから
ゲロゲーロ!かもしれないが
それはそれは嬉しそうに平泳ぎで泳ぐ
カエルの姿が目に浮かぶ。

しかし海というのは
やたらに広く
疲れても、つかまるところなどない。
泳ぎ続けなければ
どこに流されていくか、わかったものじゃない。
はじめは意気揚々と泳いでいたカエルも
故郷である狭い井戸を懐かしく思い出し
ホームシックになる。

大海を知った結果
生まれ育った井戸の良さを再確認し
「住めば都」だなと思うかもしれない。
しかし時すでに遅く
海でおぼれ死ぬかもしれない。
そうなると「知らぬが仏」いや
「知って仏」と言うべきか?

「知らない方が幸せ」ということもある。
しかしカエルではなく人間に生まれたからには
「知りたい」と思うのが常であるし
大海について「知るべき」だとは思う。

ところで
このことわざの由来は
中国の荘子にあるらしいが
「されど空の蒼さを知る」
という部分は日本に入ってきてから
付け加えられたようだ。

まあ、そんなうんちくはさておき
短い童謡ですので
どうぞ聴いてみてください。

 

 

おめでた

BOW WOW WOW...
パンクロックの落とし子
ニューウェーブムーブメントの中心的バンド。
セックス・ピストルズのマネージャー
マルコム・マクラーレンが
アダム&ジ・アンツのメンバーを引き抜き
14歳のアナベラちゃんをボーカルに添えて
結成した。

ジャングルビートなどと呼ばれる強烈なビート。
アナベラちゃんのキュートな歌声とルックス。
高校生くらいの僕はとにかくやられまくっていた。
いつかこんなビートのバンドをやりたいと思っていた。

そんな思いから
’ジャングルビート’で作った曲が何曲かある。
その中の一つが今回の「おめでた」
えびのメジャー第1弾
「にくまれっこ世にはばかる」に収録されている。

どんなリズムが来ようと
どんなサウンドイメージで行こうと
えびの手にかかれば
全部ドタバタビートになってしまう。
それが良いところでもあり
悪いところでもあるのだが
この曲もジャングルビートのつもりが
すっかり’音頭’になっている。
まあ、歌詞も音頭に近いけど...

「おめでた」と言っても
妊娠とは全く関係なく
何か考えたり疑問を持ったりすれば
他人や社会と衝突することもある。
何にも考えずにアッパラパーに生きていれば
おもしろおかしく生きていけるよね。
というのをアイロニックに歌っている。
ああ、おめでたいと!

でも案外、それが幸せへの近道だったりするかも。
たとえ短絡的であったとしても。

当時の現状に対して
自分の置かれている立場を考えて
もしくは周りの人々に向けて
様々なメッセージが隠されているナンバーでもある。

そして、この曲もおそらくライブでやったことはない。
日の目を見なかったグループから
30年の時を超え復活?
30年以上ぶりに歌いました。
聴いてみてください。
「おめでた」

 

 

すべてをギャグに

えびの最初のアルバム
「あわせみそ」に収録されたナンバーである。
当時はこれくらいで
かなり「速い」曲であった。
ちょっとダムドっぽくもある。

「ことわざ君」は
この曲でも本領を発揮し?
「笑う門には福来る」というのが
歌詞の中に登場する。

これを聴いたファンの方に
「そうですよね。笑っていれば良いことが起こりますもんね」
と言われて
ちょっと答えに困ってしまったことを覚えている。

確かにこのことわざの意味はその通りである。
しかし、僕がこの曲を作るきっかけになったのは
ストラングラーズのジャンジャック・バーネルの言葉
「そんなに笑ってばかりいると目が見えなくなっちまうぜ」である。

世の中、深刻な問題ばかりなのに
よくそんなに能天気に笑ってばかりいられるな
というような文脈で語られていたと思う。

更に僕はそこで終わらず
いち小市民として
「深刻な問題」に対峙して考えることの困難さを感じ
それだったら最初から目なんか見えない方が
つまり、そんな問題に気が付かない方が
幸せに近いのではないか?と問う。

360度回転して元に戻ったのか?みたいな話だが
そこには一度気づいてしまった者が
2度と元の場所には戻れない悲しさを含んでいる。

曲の内容について
作者が説明することは
なんとも「いけてない」感じだ。
だが「深刻な問題」が山積みになっている現在
新たな意味を帯びてきたナンバーだと思った。

聴いてみてください。
「すべてをギャグに」

 

 

お別れ

伝説のバンド「リザード」のベーシストとして知られる

ワカさんが亡くなった。

「Loud Machine」でもベースを弾いていたが

その時ギターを担当していたのが僕だ。

つまりワカさんとはバンドメイトということになる。

最後にいっしょにステージに立ったのは

おそらく2017年だったと記憶している。

 

Loud Machineのリーダー西村氏から

久しぶりの電話が来たのが

2月9日の夕方だ。

コロナの出口が見えてきたので

Loud Machine再始動の話か?と

僕は能天気な想像しながら受話器ならぬ

iPhoneをタップし左耳に当てた。

 

「最近どうしてる?」などと

お互いの近況を話した後

「残念な話..」と切り出した彼が次に言ったのが

「ワカさんが亡くなった」というセリフだった。

「え?」絶句してしまった。

何を言っていいかわからない僕に西村さんが

現状を説明してくれた。

「葬儀など新たな情報が入ったらまた連絡ください」と

お願いして電話を切った。

 

その後「葬儀」ではなく

「お見送り」が2月13日に行われた。

僕も参列しお別れを言い

骨を拾った。

その時のことは機会があれば改めて記すことにする。

 

ワカさんとはLoud Machineや西村組で

ライブをやったりツアーに行ったりしているので

数々の思い出がある。

 

中でも印象的なのが

西村組のライブで大阪に行った時のことである。

僕が自分のiPhoneで音楽をかけながらクルマの運転をしていた。

いよいよ会場近く大阪の街に入った。

後部座席に乗っていたワカさんがその時

口を開いた。

「カトケン、ちょっと音楽を消してくれないか?街の音が聞きたいんだ」

しびれた。

普段あまりしゃべらない人がポツリと言ったということもあり

深く心にささった。

いつか小説を書くことがあったら出だしはこのセリフにしよう

そんなことを思った。

 

毎週金曜日の夜

首相官邸の前に立ち

原発反対を訴え続けた本物のパンクスであった。

ぶっとく鋭い音で強力な存在感を持つ偉大なベーシストであった。

共にサウンドを作り上げることに喜びを感じていた。

しかし、再びいっしょに音を出す日は永遠に来なくなってしまった。

本当に「残念」である。

心から冥福を祈ります。

 

案外恵まれているかも

ハロウィンで街に繰り出したら圧死しちゃった

なんてことが起こるんだから

本当に何が起こるかわからない。

 

突然、隣国が「ここはオレの土地だ!」と侵略してきて

「イヤなら殺しちゃうもんね」

なんてことも平気で起こっている。

 

伝染病があっという間に蔓延。

仕事も収入も無くなった。

なんて人も大勢いる。

 

五体満足で、まずまず健康で

とりあえず仕事があり

食うのに困らない状況にある。

というのは案外恵まれているのかもしれない。

 

「カトケン人生弾き語り」

ただダラダラとアップしているだけ?ですが

それでも182人の方にチャンネル登録していただき

「日本人」は1889回再生されている。

この場を借りて改めて感謝を申し上げます。

本当にありがとうございます。

 

ここしばらく撮りためていた映像を小出しにして

アップしてきましたが

前回の「マドンナ」で弾が尽きました。

年内くらい少し忙しいこともあり

しばらくお休みします。

 

できれば!年明けくらいからは

再開したいところです。(未定です)

それまでは、ここまでにアップした

150本足らずの映像から

ぜひご覧になっていてください。

多くの作品が数十回程度の視聴ですが

どの楽曲もみんな自分の子供のような存在です。

 

このブログは

なんだか「カトケン人生弾き語り」専門みたいに

なっちゃってますけど

映像も尽きたことだし

気が向いたらなんか雑多なことを

書くことがあるかもしれません。

それまでお元気で?!

 

マドンナ

この曲を最初に発表したのは

3本目のカセットテープ「かにみそ」である。

 

その頃はバンドがかなりいい感じになっている時で

レコード会社や芸能事務所などから

ずいぶん声をかけていただいた。

 

その中でも特に熱心に親身に接してくれていたのが

甲斐バンドのギタリストの大森さんだ。

当時ファンハウスレコードのプロデューサーだった。

彼はえびのことがとても気に入っていて

ライブには皆勤賞とも言えるくらい毎回通ってくれた。

ご飯をご馳走してくれたり

メンバーのバイトの世話までしてくれた。

 

歴史に「たられば」はないが

この時、ファンハウスと契約していたら

と思ったことは数え切れないほどある。

そんなに良くしてくれたのに

WEAと契約してしまったからだ。

 

もちろんWEAの人も一生懸命だったし

(えびをサザンオールスターズにすると言っていた)

タイミング的に大森さんが少し離れ始めた時期でもあったので

仕方がないというところもあるが

結果としてうまくいかなかったために

どうしても「たられば」を考えてしまう。

 

大森さんが施してくれたことの中でも

特に大きかったことの一つが

上記の「かにみそ」テープ5曲を

ファンハウスの巨大なスタジオで

レコーディングさせてくれたことだ。

 

えび、というか僕にとってのホームスタジオとも言える

「OUR HOUSE スタジオ」は

小さいスタジオとしてはすごく良い音が録れる。

しかし、トップメジャー、

おそらく小田和正さんなどが録っていたと思われる

でっかいスタジオでのレコーディング。

今思えば、これは本当に素晴らしい経験だった。

しかも「タダ」なのだ。

 

なんとも申し訳ないことをしたなあ

と30年以上経った現在、苦い思いを感じる。

 

さて、肝心の?歌の内容だが

30余年の月日でジェンダーをめぐる状況は

ずいぶん変わってきた。

「お茶汲み」とか「腰掛けOL」なんていうのは

死語かもしれない。

 

ただ、女の人の方が「選択肢が広い」というのは

今も変わらない、というか更に増えている感じがする。

下世話な話だが

「子供は絶対自分の子」というのも女の人の特権?である。

 

この曲を作った背景に

土井たか子さんを筆頭にした

「マドンナ旋風」があったことは言うまでもない。

 

では聴いてください。

「マドンナ」

 

 

なかよし

僕は大学2年になる時に

一人暮らしを始めた。

品川区の中延というところに住んだ。

大学のある三田駅まで都営浅草線で10分。

大井町線も来ているので自由が丘まで12分で行ける。

五反田を経由すれば渋谷まで20分はかからない。

 

色々とアクセス最高。

駅から徒歩2分。

都心に近い割には庶民的な商店街があって

物価も安め。

今思えば素晴らしい環境だった。

しかも入居する時、家賃は月19,000円。

一度値上げしたけど、それでも21,000円だった。

 

もちろん風呂はない。

水道も部屋にないので

共用の流しまで出ていかなければ使えない。

トイレも共用。

さすがにボットン便所ではなかったが

上にタンクがあってクサリを引っ張るタイプ。

当然和式。

自殺用に?ガスだけはある。

線路沿いなので電車が通るたびに

騒音と振動が激しい。

窓を開けていると電車の乗客と目が合う。

 

網戸がないので

網を買ってきて画鋲で貼った。

夏、今ほど暑くなかったが

それでも夜は氷を見ながら勉強したのを覚えている。

では、昼はどうしていたかというと

大学の図書館か

大学の図書館が使えない時は

港区立の図書館に行っていた。

 

図書館というところは

僕にとって第2の家くらい大切なところだ。

夏は涼しく冬は暖かい。

本はタダで読み放題。

勉強したり詩を書いたり物思いに耽ったりできる。

 

それがコロナ禍になってから図書館は

「予約した本を取りに行くところ」になってしまった。

 

さて、なんの話だったかというと

一人暮らしの話である。

自分一人しかいないのに

中延の商店街で「安いから」と

レタスやイチゴを2つずつ買って

悪くしてしまった。

料理などしたことがなかった上に

水道が部屋にないので

自炊はなかなか厳しかった。

 

それでも「自分の城」を持った僕は

なんとなく自由になれた気がしてうれしかった。

でもやっぱりさびしくもあった。

「自由と孤独」は案外コインの裏表のように

セットなのかもしれないな。

そんな思いから書かれた曲です。

 

メジャー第2弾「言えるもんなら言ってみな!」に

収録された1曲です。

聴いてみてください。

「なかよし」

 

 

肉体至上主義

えびの後期に書いた作品。

タイトルにあやかって

裸で弾き語ろうと思ったのですが

iPhoneに映る上半身ハダカの自分にビックリ。

「こりゃたるんでて使えん!」

 

コロナで3年近く運動不足だったせいか?

理由はどうあれ

これはまずいと服を着て撮り直した。

 

少し前に「ブルシット・ジョブ〜クソどうでもいい仕事の理論〜」

という本が流行った。

クソどうでもいい仕事をしている人がいかに多く

その人たちの給料がクソ高いのはいかがなものか?

ものすごくザックリ言えば、そんな内容だ。

 

世の中まわりを見渡すと

3K(きつい・汚い・危険)な仕事の方がむしろ

労働対価が低いような気がする。

多くの人が嫌がる3Kの仕事をしているのに…

彼らこそが一番収入が多い人々になるべきなのでは?

というところから、この歌が生まれた。

 

今となっては(いや、前からか?)

差別的だとかヘイトだとかと言われて

使えない言葉を使ったりしているわけで

絶対世に出せない感じではあるが

ここなら良かろう?

 

おもしろくしようとして

ちょっと茶化している風だが

身体を張って働いている人に対する尊敬を表している。

彼らに対して最大の対価を与え

「クソどうでもいい」仕事の従事者の対価は

その1/3〜1/10くらいでいいんじゃないか?という話である。

「クソどうでもいい(ブルシット)」と言っているのは

僕ではなく、デヴィッド・クレーバー氏でありますので

念のため。

 

さて、この曲に対して

こんな説明自体が「クソどうでもいい」です!

とっとと聴いてください。

「肉体至上主義」

 

 

ETERNAL DRY

欲しいものを手に入れる。

一時は満足する。

でもまた他のものが欲しくなる。

なんとかして手に入れる。

やっぱり一時は満足する。

でもまた別のものが欲しくなる。

欲望は尽きることがない。

 

他の人が持っているものが欲しくなる。

その人が譲ってくれるというのならいいが

絶対に手放さないという。

それでも欲しいと思った時

時に力ずくでということになる。

 

それがなければ死んでしまうというような

切羽詰まったものであれば

場合によっては仕方のないこともあるかもしれない。

でも多くはそうではない。

 

例えば領土なんかもそうかもしれない。

例えば権力なんかもそうかもしれない。

 

肥沃な土地は魅力的だろう。

資源がたくさんある地域は特に「欲しい」だろう。

そこをとったら次はどこを?である。

 

そういうことをやっていたら

人類は滅亡してしまうということに

第2次世界大戦で思い知ったのではなかったのか?

もう80年近く経ってしまったので

忘れてしまったというのか?

当時、十分に物事のわかる年齢になっていた人はいなくなってしまった。

つまり経験した人はほぼ存在しなくなってしまったのだから

「知らない」と言った方がいいのか?

しかし、人間だけは史実から学ぶことが出来るのではないのか?

 

「足るを知る者は富む」という言葉がある。

「もっともっと」と際限なく

欲望のままに「欲しいもの」を手に入れていこうとすれば

きっと何もかも失うことになりかねない。

 

現実はどうか?

「千と千尋の神隠し」に出てくる

「カオナシ」を思い出す。

今見えやすい形で現代の問題点が現れている。

人々が考え、進路を変更するチャンスとも言える。

そして進路を変えなければ

みんなそろって海に身投げするレミングのネズミになる。

この伝説はデマだったようだが

我々人類が実践することにならないよう祈るのみである。

 

少々大げさな話になってしまいました。

レベルブルーでやろうと思って書いた曲です。

「エターナルドライ」